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りついずワンライ「写真」


 朔間凛月が写真に撮られる機会は、年々減少の一途を辿り、ここ数年はろくなものがない。

 夢ノ咲の卒業後、彼がアイドルの道に進まなかったことは大きいだろう。
 流しのピアニストになってから、一切の音源も出版していないし、撮影が出来るような大々的なコンサートもほとんどしていなかったから。

 クローズドな世界で、望んでひとりピアノを弾いている。孤独な寂しい選択ではなかった。名前の通り澄み渡った天体のような演奏は、柔らかな引力を持って麗しい音を奏でてくれる。
 一時は皆がもったいないと口を尖らせていたけれど、泉はその選択を結局のところ尊いと思っていたし、そんな彼の側は、苛立つことさえ多いけれど、凪のような安寧に満ちていた。



 そうやって、瀬名泉と朔間凛月が、所謂恋人関係になったのは卒業後しばらく経ってのことだった。

 泉の方はと言うと、卒業後、むしろ本格的にモデル業に専門し出していたから、写真は桁違いに増えていた。
 だからなのか。なんとなく、一般人の写真なんて、どの程度残るものなのか、麻痺してしまっていたのかもしれない。

 恋人の写真が少ないことに、違和感を持つのは、やっぱり遅すぎたのかもしれないけれど。
 どうだろう。気づかないフリをしたかっただけかもしれないけれど。

「くまくんさぁ」
 凛月は。
 元々積極的に被写体になりたがるタイプではなかったけれど、カメラを向けて露骨に嫌がることも少なかったので、数年前までは人並み程度の写真が残っていた。それこそ、アイドルをしていた頃の写真は、インターネットのデータベース上にも、星の数ほど存在している。

「ん〜?」

 アイパックをつけた泉を怒らせないよう、外頬にすり寄って来る凛月。
 くすぐる細い髪をひと撫しつつ、引き剥がしながらそっとそのかんばせに視線を落とす。
 
「……なんでもなぁい」
「え〜?」

 凛月に見られないように、そっとスマートフォンを閉じた。
 そこに映し出されていた、ユニットのメンバーで撮った高校当時の写真。

「何見てたの?」
「内緒」
「セッちゃんのケーチ」
「ちょっと、っわ」

 じゃれつくようにソファに押し倒される。
 強引で、それでいて丁寧な手つき。気分屋なのはお互い様だから、しょっちゅうつまらないことで言い合いになるのだけれど、時たまこうしてテンションが噛み合うことがある。
 要するに、今はお互いに甘えたいタイミングで、肌と体温を重ねたいのだ。

「ね」
「ん、」
「……不安?」
「は…?」

 そのまま視界が暗転する。泉が目を閉じたわけではない。凛月の骨ばった大きな手が、泉の視界をそっと覆ったのだ。決して表面に指紋のひとつも残さないよう、壊れものを扱うみたいなしんとした仕草で。
 そして口づけられる。手つきと同じくらい繊細で、隙間ひとつ、呼吸ひとつ漏らさないように深く、どうしてかひっそり泣いているような。

「セッちゃん、明日は仕事?」
「……オフ」
「じゃあゆっくり出来るねぇ」
「ちょっと、ここじゃ嫌なんだけどっ」

 泉は、低反発の柔らかいソファに沈められながら、今度こそ自分で視界を閉じた。

 ゆっくりと瞼の裏に浮かんで来るあらゆる凛月の姿を反芻する。いま目の前に本物がいるのに。ひとつに繋がろうとしているのに。体温も声も、自分のものみたいに、そこにあるのに。

 変わらないのだ。
 ずっと、全然、変わらない。凛月は同じ顔をしている。いつの頃からか、姿が一緒のまま年月が過ぎた。

   泉は少しだけ背が伸びて、筋肉がついたり、痩せたり、ちょっと太って落ち込んでダイエットをしたり、顔つきが大人びたり。そういうものが、いつの頃からか凛月には降りかからなくなった。

 成長期が終わってしまったとか、いつまでも童顔だとか、そういう風にはとても処理しきれないくらいだけれど、今はまだ、そういうことにしていくらでも誤魔化せる。いつも若々しくていいですね、と褒められているのを聞いたこともある。凛月はなんとも言えない顔で笑っていた。

 きっと、だから、写真を撮られることを辞めたのだ。写るような場所からも姿を消して、徐々に徐々に世界を狭めていったのだ。

「ね、くまくん」
「ん?」

 凛月に問われた通りだった。この胸を燻らせるような不安の影は、時折、浸食するように歯を立てる。

 いつか、置いていかれるだろうか。
 自分が終わるときまで、側にいられるのか、それとも異変があからさまになるその日の前に、そっと姿を消されてしまうだろうかと。

 それとも、時を経て、姿形が違ってしまって、今よりもっと噛み合わなくなってしまっても、こうして肌に触れることを、許してもらえたりするのだろうか。

「セッちゃん、大丈夫?」

 肌蹴たシャツと、微かに上気した頬に、乱れた髪。
 窺うように降る声も、出会った頃と変わらない響きのまま。

「さぁ」
「え〜?今更ダメって言われても、俺もう止まれないんだけど」

 それはこっちの台詞だというのに。




りついずワンライ:お題「写真」