生きて、元気に暮らせ 現パロ・カインの死ネタ・捏造過多・「無.花.果とムーン」の一部パロディ カインがツリーナッツ類のアレルギーだったということは、周囲の大抵の人物が知っていた。ハイスクールの友人はもちろん、教師も寮監も直接関わったことがない近所のキオスクの店員も把握していたほどである。 ナイトレイ一家はカインが寄宿制学校に編入すると同時に、古い持ち家を売却して引越しをしているが、当時公立小学校に通っていたカインが、クリケット大会で振る舞われたパイ料理を食べ、隠し味に使われていたアーモンドペーストで発作を引き起こし、みるみるうちに顔面蒼白と呼吸困難に陥って救急車で運ばれたエピソードは、近隣では大層有名だったそうだ。 そうでなくとも、カインは有名な子どもだった。ごく平凡な家庭に生まれたが、常に恒星のような輝きを放っていた。運動神経がよく、あらゆるスポーツの代表になった。快活な性格で友人も多かったし、整った顔立ちで女の子にも人気だった。誰に対してもわけ隔てなく接し、いじめや不正を嫌った。人の上に立つよりは、人の中心に立つことに長けていた。その光は成長と共により明るさを増す。未来永劫愛し、愛される人生を送るのだろうと、誰もが確信していた節がある。 しかし、彼は上り調子の思春期まっただ中に命を落とした。 死因は、重篤なアナフィラキシーショック。アレルギー物質であるアーモンドを摂取し、喉が腫れ上がって呼吸困難に陥った上、血圧が降下。その晩のうちに亡くなった。 ◆ この頃、オーエンとカインの関係に名前はなかった。 二人は学校も習い事も違ったし、家も決して近所とは言い難い。アーサーだのリケだの、共通の知人は何人かいたけれど、彼らと連れだって出かけるような関係ではなかった。 それでも何故か、二人はお互いの連絡先を把握していて、折に触れて他愛ないメッセージを送り合った。放課後にカフェで待ち合わせたり、図書館で顔を突き合わせて試験勉強をしたり、クリスマス前に河沿いのウィンターマーケットに出かけたり。一度だけカインが誘導し、部外者厳禁の寮室に忍び込んだことさえある。 意外にも何かと口実が見つかるもので、どちらともなく提案したり、からかったりを繰り返しながら、なんともいえない距離感を保ち続けていた。 ナイトレイ家の教会事情もあり、葬儀がおこなわれたのは死亡から一週間後のこと。この間、彼が所属していたあちこちの友人グループが立ち上がり、教会に送る献花のお金を集めたり、寄せ書きやアルバムをこさえたりしていた。 そうした連中の数人からは、オーエンのもとにもたびたび連絡が入った。 若者の人脈というのは大したもので、直接的な関わりなど一度もなかったのに、どうにかしてオーエンの連絡先を入手し「手紙を書いて」だとか「フォトブックに写真の提供を」だとか求めてくる。彼らは善良な精神から、他意ひとつなくそれを求めたが、オーエンはほとんど無視した。電話は途中で切ったし、話しかけられても煙に巻いて立ち去った。 唯一、目を真っ赤に腫らし、下唇を噛みながら頭を下げてきたリケのカードにだけ「バカ」と走り書きをした。一見すれば失礼極まりないこのメッセージを、リケは何故だか満足げに抱きしめていた。相変わらず口元は弱々しく歪んでいたので、家に入れてノンアルコールのエッグノックを飲ませ、彼の寮まで送り届けた。後から思えば、カインの死後、彼と共通の知り合いと話したのはこの時が初めてだったかもしれない。 柄にもなく甲斐甲斐しく世話を焼いてしまったと思ったが、もしかすると世話を焼かせてもらったのかもしれないなどと考え、それ以上はろくでもないところに行き着くのがわかっていたので、その晩オーエンは作り置きのファッジを空になるまで食べ漁った。あまり味がしなかった。砂糖も練乳もあんなに大量にぶち込んだのに。 ◆ 葬儀当日。いかにも近代的な、楽しく元気に故人を送ろうと喧しい式になるのだと思っていたのだが、意外にも厳かな進行だった。ナイトレイ家の信仰なのか、教会の戒律なのかは不明だが、オーエンは「あいつらしくない最後だな」と思った。騎士だの魔法使いだののコスチュームに身を包み、ハロウィンと見紛うような式にしてやった方が、本人も楽しいだろうに。 はて、しかしどうだろうか。意外にも誕生日を大切にするタイプだったから、「人生の節目は丁寧に送るもんだろ」とか言って、旧式で真面目くさった式を求めたかもしれない。どちらでもいいけど。どうせ死んでるんだから。もう。何もわからないんだから。 「オーエン!」 澄んだ呼び声に振り向くと、上等な黒スーツに身を包んだアーサーが、小走りで駆け寄ってくるところだった。そのすぐ後ろには、何人もの護衛係がついている。 「呼び止めてすまない」 不自然なほど距離を詰め、小声で話しかけてくるのも、彼なりの気遣いなのだろう。護衛係たちには聞こえないように喋りたいのだ。 「大丈夫か?」 教会の入り口では、王子らしい厳粛な振る舞いをしていたのに、今のアーサーの表情は年相応。カインと同じ学校に通っていた、少年のそれである。 「……何が?」 「カインが死ぬのを、目の前で見ていたんだろう」 言い淀む様子がない。こそこそと、それでいて堂々とした物言いだ。今日は絶対この話をするんだと、あらかじめ台本でも書いていたみたいに。 「そうだけど」 「アーモンドトフィーを誤食するなんて……」 「そうだね、僕もびっくりしたよ。カインがいきなり、壊れた映写機みたいな動きになってさ。喉を押さえて、苦しげに咳こみ始めて。体の内側に青い絵の具が詰まってるの、想像したことある? それが一瞬で弾けて、皮膚の下にじわっと広がっていくみたいに、あいつの顔が真っ青になった。目が合ったのはこの時かな。一瞬だけね。すぐにぎゅって閉じて、もう二度と開かなかった。背中から倒れていく時の、あいつの――」 「やめてくれ!」 悲痛な叫びに遮られる。細やかな刺繍の施されたワイシャツが、ぐしゃぐしゃに握られている。耐えきれないと指先が物語っていた。 「やめてくれ、オーエン」 弱い者いじめのような気分には浸れない。アーサーの瞳には、弱者の色は灯っていない。もっと何か、オーエンにとって都合の悪いものが見え隠れしている。 「……あり得ないんだ。普段のカインなら」 「はは。そうだね。あり得ないよ」 いびつに崩れた口元から、乾いた笑いが零れ落ちる。 「ねえ、アーサー。僕がカインを殺したと思う?」 真相を語ってやる気はない。誰にも。 ◆ あの日。カインが死んだ日。 オーエンはカインに呼び出され、王立公園のベンチで放課後を持て余していた。待ち合わせの時間はとっくに過ぎており、いつもならとうに立ち去っているのだが、少し前にかかってきたカインの謝罪電話は正体不明の気迫に満ちており、気づけばオーエンも「これが一生で最後だよ」と返していたのである。 どうせ学校から走って汗だくでたどり着くのだろうから、その様子を遠目に眺めて笑ってやろうと思っていた。 最寄り駅のパン屋で買ったアーモンド味のトフィーを頬張り、並んでウォーキングに励む老夫婦や、フリスビー片手にはしゃぎ回る親子連れを眺めたが、やがて彼らも帰路についていく。太陽はゆっくり傾き、子どもや老人は減って、スーツ姿のサラリーマンやデート中のカップルが多くなっていく。 オーエンの腰掛けるベンチには、いつの間にか野生のリスが登ってきていた。彼らは野生のくせに人によく慣れており、ちいちい鳴きながら近寄ってくる。オーエンが「どうしたの」と小首を傾げると、親しげにすり寄ってきたので、キャンディ部分をはぎ取ったアーモンドを少しだけわけてやった。夢中で食べる姿が可愛くて、思わず目を細めて笑った。 こうしてリスに気を取られている隙に、カインは到着したようだった。背後から優しく肩を叩かれ、呼ばれたのと振り向いたのに大した差はなかった。 「オーエン!」 「……遅いよ」 「悪い! 図書当番を交代してやってたの忘れててさ」 カインはいつものようにへらへら笑っていた。あろうことか、自分自身の当番ですらなかったので、オーエンはわざとらしく深いため息をついて見せた。 「お人好し。断ればいいのに」 「こういうのはお互い様だろ」 「へえ。じゃあ僕よりもそのクラスメイトの方が大事だったわけだ」 冗談だ。別にそんなこと思っていない。こいつの中の優先順位がどういう仕組みで成立しているのかはとっくに理解できている。ちょっとばかり困らせてやろうという算段だ。そのくらいは許されるだろうと思った。甲斐甲斐しく待っていてやったのだから。 「…………ちょっと?」 返事がない。おかしい。 この手のおふざけがオーエンの十八番であることを、カインが一番に把握しているはずなのだ。それなのになぜかこの男は、顎に手を当て何やら悶々と思案している様子。 「おい、何か言」 これ以上、続けることはできなかった。カインの人さし指が伸びてきてオーエンの唇を遮る。内緒話の前触れみたいではあるが「これ以上何も言うな」という行動なのは、その瞳を見れば十二分に伝わってくる。 いったいなんだと言うのだと、いつもならその指を早々に振りほどくはずなのに、どうしてか動けなかった。 「ちょっと黙ってくれ」 「んむ」 「いつもの調子になると、ちゃんと言えなくなる」 無骨な指が唇をなぞる。息が詰まった。いつの間にか鼓動がやけに早くなっていて、どうにもできなかった。 「オーエンに、ずっと伝えたかったことがあるんだ」 指が離れる。無意識に止めていた呼吸を解放したのに、すぐにかえって苦しくなった。 「っ、ん」 唇が重なったからだ。 予想通り学校から走ってきたらしいカインの唇は、熱く火照っていた。離れようと身じろいだが、後頭部と手首を捉えられてしまう。またキス。今度は少しだけ、深く。 前触れも釈明もないキスが、心地よかった。その理由を、受け止めたくなかった。 ◆ あの時に握り返した手の、厚くて硬い皮膚。棺の中で祈る形に組まされているのとは、どう見ても別ものだ。 死化粧を施された唇は、色味こそ生前のそれによく似ているけれど、その感触は絶対に違うのだろう。冷たく硬直して、作り物みたいに変わっているはずだ。死者へのキスを、なんてやってられるかと思った。 葬式の帰り道、オーエンは先日のパン屋に立ち寄った。あの日食べていたのと同じアーモンドトフィーを一袋だけ買い、王立公園のベンチに座り、リスにアーモンドのかけらを与えて、自分の口にもひとかけら放り込む。 甘い。べったりと舌に絡みつく。この味が好きだ。香ばしいアーモンドの味。あいつを殺したキスの味。 「…………ははは」 どうしようもなく、耳を澄ませてしまう。気配を探してしまう。足音が聞こえるのではないか。汗をにじませて駆け寄ってくるあいつが、名前を呼んで、キスをしてくれるんじゃないか。名残惜しげに唇が離れたら、その燃えるような瞳でこちらを射抜いて、拙くもちゃんと、らしくない言葉を伝えてくれるんじゃないか。 そんな空想を繰り広げ、鼻で笑い、ようやく気づく。もっと早く言葉にすべきだったのは、お互い様だったのだ。 「ばか」 |