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不滅の恋人


暗い






 夜な夜な、ひとりの観客もないリサイタルが行われているというので、チケットも取らずに音楽室に突撃した。会場は案の定すっからかんどころか、件の幽霊ピアノの噂のせいで、がっちり施錠されている始末。隣のクラスの生徒から、スペアキーを拝借しておいて正解だった。やたらと悲しげな瞳をしていた気もするけれど、あの赤い色は、恐らく噂の真夜中のピアニストと瓜二つ。居心地の悪さからとっとと逸らしてしまったので、あまりよく覚えていない。

 重く立てつけも悪い防音扉を押し開けると、ピアノソナタ第14番が漏れだしてくる。ひとっこひとりいない校舎に、ぽろぽろとお化けの音がこぼれていく。

 開演時刻はとうに過ぎていたらしく、室内は静謐と音楽だけが鎮座している。カーテンの隙間から、夜空の淡い光が忍び込んで、おぼろげなスポットライトのように揺らめいていた。

 この状況で月光のソナタとは、涼しげな顔をして、なかなかに陳腐な選曲じゃないか。

「なぁに笑ってるの」

 あまやかな指先だけを残し、粒の流れを止めることなく、ピアニストが微笑んだ。青白い頬、暗がりに溶ける髪、すうっと消えそうな体躯。ずうっと同じ。猫背気味に腰かけて、小首を傾げて演奏するところも。

「もっと明るい曲弾けば?」
「ふふ、弾いたらお客さんの元気出るかなぁ?」

 別にベートーヴェンのままでも、泉は元気だった。歓喜とも言える。絶望にも近い。寂しくて悲しくて嬉しかった。このリサイタルに、来たくて来たくなくて、どこにも行けない気持ちでやって来たのだ。

「セッちゃん、こんな時間まで起きてていいの? お肌荒れちゃうよ」
「ほんとだよ。最近ただでさえストレスでやばいのにさぁ」

 大げさなため息をつきつつ、古びた椅子を間近まで引きずっていく。ピアノは教室前方に設置されており、低いステージの上にある。最前列を陣取って、特等席面で足を組めば、凛月はまた、真夜中の妖精みたいに笑った。耳打ちのような囁き。

「ごめんねぇ」
「……うるさい」
「俺のせいだもん」
「思い上がらないでよ」
「死んじゃってごめんね、セッちゃん」

 腸の虫より、目頭の熱に負けそうになって、思わず視線を落としてしまった。歯を食いしばり、目尻にぎゅうっと力を入れて、零れてくれるなと拳を握る。

「くまくん」

 顔を上げたら、リサイタルは終わっていた。ピアニストは忽然と姿を消していて、カーテンコールも叶わない。
 無論、拍手をしてやるつもりなんて毛頭なかった。この手で触れたかったのは、もっと違うものなのだ。