短い夢 | ナノ

箱庭の幸せ

水差しに入れられたお湯と、それを注ぐための浅い水桶、手ぬぐいなどなど。朝の準備に必要なすべてを慎重にお盆に乗せたままゆっくりと目的の部屋までの廊下を歩く。既に日は昇りきり、綺麗に磨かれた廊下を柔らかい光が染め上げるのをみて、何気ない光景に穏やかな気持ちになった。
目的の部屋の前で、小さく「失礼しまーす」と声を掛けるがまだ部屋の主は夢の中の様で返事はない。それもいつもの事なので、返答を待たずにお盆を片手でバランスを取りながら抱えると、素早く扉を開けて体を隙間に滑り込ませた。ベテランの侍女のおばさま達からはお行儀が悪いと目くじらを立てられそうだが、誰も見ていないのでまぁいいかと肩をすくめてそのまま部屋の中をずんずんと進んだ。
大きな寝台の上、真っ白で柔らかそうな布団が小さく盛り上がっているのをみて、更に物音を立てない内容に気を付けながら盆を寝台脇の机に置くと、ひょいと布団にくるまる小さな体を覗き込んだ。

「白龍様。朝ですよー、目を覚ましてください」

取りあえず一回声を掛けるが、布団から除く青みが買った黒い髪は微動だにしない。
仕方ない、と、いったん傍を離れて窓を開け放つと、部屋の中が一気に明るくなった。

「ほら!起きてください!もうすぐお食事の時間ですよ」
「うー・・・ん、もうすこしぃ」
「だめです!」

いやいやをする小さな頭を一度撫でて、布団をめくればぎゅっと体を縮こませた、幼い少年の姿があって、イオは今度こそはっきりと笑い声を漏らした。

「おはようございます。白龍様!今日もお天気でいい日ですよ」
「・・・・おはよう、イオ。お布団を返して」
「だ・め・です。二度寝する時間ないですよ。はい、お顔を洗ってください」

持ってきたお湯を桶に注ぎながら、布団の上で拗ねる様にこちらを見つめる白龍においでと言う様に手招きすれば、彼はずりずりと四つん這いで這い寄ってくるとちょこんと寝台の淵に腰かけた。
小さな手がお湯を掬って顔に何度もかける。ぱちゃぱちゃとした音が終わったタイミングで手拭いを差し出せば彼をわしわしと顔をぬぐった。
その間に新しい湯を注いで、違う布を浸すと固めに絞る。「白龍様」と声を掛けてこちらを向いた幼い顔を拭いながら、首元、髪の毛へと優しく滑らせた。静かになすが儘になっているうちにと、櫛で髪を梳いて寝癖を整える。王族がよくやるという髪型に結い上げてやれば、大人しくしていた白龍が「もういい?」と小首をかしげながら後ろを振り向いてきたので笑顔で頷けば、彼はぴょんっと寝台から飛び降りて、軽い足音で駆けて行った。

「白龍様、お着替えをしましょう」
「今日はこれにする!」
「それは鍛錬の為の服ですよ。お食事のときはこっちです」
「えー、動きずらいのに・・・」
「そんなことないですよ。これを着た白龍様、とってもかっこいいです」
「ほんと?兄上みたい?」
「はい、お二人にそっくりです」

白龍とは年が離れた2人の皇子を彼はとても慕っているので、とてもうれしそうに笑うと大人しく着替えをさせてくれた。
着物の様な、服を着つけて、最後に飾り帯をきゅっと締める。「はい、どうぞ」と軽く結び目を叩けば彼は弾かれたように駈け出した。

「イオ!早くいこ」
「はいはい、お食事のお部屋までですよ」
「えー、いっしょに食べればいいのに」
「いけません。白龍様は皇子様、私は使用人です」

ただでさえ、こうして気安い口をきくのも本来であれば問題なのだ。自分の出自が特殊なので大目に見てもらっているだけで、本当ならば鞭打ちのうえ解雇になってもおかしくない罪だ。
せがまれるままに手をつなぎながら、白龍と連れ立って食事用にと作られた部屋へと向かう。幼い皇子と皇女のために、用意されたその部屋からは既ににぎやかな声が漏れている。沢山の侍女たちが出入りしている様子から、既にほかの皇子たちはそろっているだあろうことが伺えた。

「おはようございます!白雄兄上、白蓮兄上!それに姉上も!」
「あぁ、おはよう。白龍。それにイオも」
「おはようございます、白雄殿下、白蓮殿下、それに白瑛姫様も」
「おう、おはようさん!」
「おはようございますイオ!ねぇねぇ、イオ明日は私を起こしに来て。髪を結ってほしいの!こないだやってくれた髪型みたいに」

深々とあいさつのために頭を下げたイオの上から、明るい声が降りてくる。ゆっくりと顔を上げれば、白瑛が白龍そっくりの顔をキラキラと輝かせてこちらの腰辺りに抱き付いてきた。

「えぇ、勿論ですよ。白瑛様」
「えー、イオは僕を起こしにきてよ。イオじゃなきゃ起きないんだから」
「白龍!順番、でしょ?」
「でも・・・」
「ほら、お前たち。席に着きなさい、食事が始められないだろう」
「そうそう、イオが起こしに行くのは順番こだ。そう決めただろ?」

白雄と白蓮の言葉に、幼い二人はおとなしくこっくりと頷くとそれぞれの席に着いた。全員そろったところで、始まった朝食にイオは「失礼いたします」ともう一度深く頭を下げて部屋を下がろうと背を向けた。

「イオ」

背後からかけられた声に、振り向けばそこには優しく笑う白雄の姿がある。「なんでしょう」と首を傾げれば彼は面白そうに笑って「一緒に食べるか?」と尋ねてきた。

「いいえ、白雄様。私は一緒には召し上がれませんので」
「・・・そうか」

少しだけ寂しそうに笑った白雄にもう一度頭を下げるとイオは今度こそ部屋を後にした。


イオがこの国に来たのは全くの偶然だった。奇跡といってもいいだろう。
神の様な存在が、気まぐれを起こしてイオをこの煌帝国に落とした。それが全てで真実だ。
何の変哲もない日常。学校の帰り道に、突然穴に落ちた様な感覚の後、気が付いたらこの煌帝国の宮中にいたのだ。何もわからず、混乱に半泣きになりながら助けを求めたが、見知らぬ恰好で彼らからしてみたらこの上なく怪しい小娘を無事に保護何てしてくれるわけもない。
捕えられて、どこの国の間者か拷問してでも吐かせ様などと物騒なことをいう兵士たちに今度こそ恐怖が抑えきれずに涙を零した自分に救いの手を伸ばしてくれたのは白雄だった。
混乱と、恐怖に恐慌状態になり、泣きじゃくって何も言えないイオを見て、根気よく話を聞いて、しかもそのおとぎ話のような信じられない話を信じてくれた彼は、帰る方法も分からない自分に居場所をくれた。幼い弟妹達の遊び相手兼、世話係として侍女としての仕事をくれた。
もといた世界では、家事一つまともにしたことがないイオを優しく見守って、助けてくれた。
この国の礼儀も仕来りも歴史も何一つ知らない不作法な人間を、宮中に勤めさせるというだけで彼がどれだけ骨を折ったか分からない。だからせめて、与えてくれた立場を守って、白雄と、そして彼の大切な人達のために働こうと、そう決めたのだ。

「さぁ!今日も元気に働きますか!」

青く澄んだ空の下でぐっと背伸びをして、イオは笑顔を浮かべて見せた。



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