短い夢 | ナノ

獣の獲物の捕まえかた・後

イオと初めて出会ってから数年。
シェヘラザードの言葉通りに、幼い少女のことを気にはかけていたものの、あまり接触は持たずに数年たってしまった。
そもそもアレキウス家の一員として、やがてレームの剣となるべく日々訓練を行う自分と、静かに貴族の子女として、そしてやがてレームを支える魔法使いとして暮すイオとではあまり接点などない。これが社交界にデビューしてからならば、顔を合わせることもあるかもしれないが、まだイオはとても幼くてそれも無い。彼女の噂は時折伝え聞くものの、あまり興味も湧かず深く聞こうともしなかった。
それに、正直に言えば自分もイオを構っていられるほど余裕がなかったのだ。
自分の中に半分だけ流れるファナリスという血。南の大陸、暗黒大陸といわれるその場所にかつて存在した最強の民族は今は奴隷として狩り尽されていて、その姿はみる影もない。世界中に散り散りになった自分たちはやがて、奴隷として一生を終え民族としての運命も潰えていくのかと、そう思った時に居てもたってもいられなくなってレームを飛び出した。自分の、そしてファナリスの存在が行き着く場所を知りたくて、ほんの僅かな希望に縋って大峡谷の先へと向かおうとした。
真っ暗な大峡谷の底で出会ったユナンというマギの静止を振り切ってがむしゃらに進んだ先にあった真実を知った時、ムーは歓喜してそして絶望した。
ファナリスの帰る場所は確かにあった。懐かしく、そして野蛮な、本能がせめぎ合う世界。
でもそこでは自分は人ではなくて、明らかに人間ではない種族であった事にムーは思わず崩れ落ちた。本能が故郷に帰ることを望んでいるのに、自分が残してきた想いが還ることを拒んでいた。一度向こう側にいったら二度と戻っては来れない。つまり、レームに残してきた幼い妹のことも、そして守るべき国もすべてこの場で捨てなければならない。そんなことはとても出来ず、崩れ落ちた自分に悠々とした笑みを浮かべたマギは諭すように言った。
「向こう側に行きたければ全てを捨てておいで」と。
人の形をして、人の様に暮しているけれども、根本的な部分で自分は人間とは違う生き物。そんな途轍もない違和感を感じながらムーは再びレームに戻ってきた。求める答えは得られたがその道は到底選べるものではなく、結局飛び出す前と変わらない生活を再び始めるしか無かった。

どこか無力感を感じながら、レームでの生活をこなしていた頃。いつものようにどこぞの貴族の夜会に出席したときに、周りの大人たちが少し色めきだったように『今日はお人形様がいらしているのね』とくすくすと嘲りを含んだ声で笑い合うのを聞いてムーは思わず足を止めて大人の会話に耳をそば立てた。

「まぁ、彼女はあまりこういった場には訪れないと聞いていたのですが・・・」
「あぁ、何しろ最高司祭殿があまり参加させることによい顔をしないらしい・・・。だが、今日の主催は貴族の中でも重鎮だ。彼女の両親も断り切れなかったのだろう」
「そうなんですの。でも、確かに『お人形様』の姿はあの方に瓜二つ、力はなくともその姿だけでも十分に価値はありますわ」
「うむ、彼女の姿形は強力な武器になる。今のうちに手懐けておけば必ずいずれ役に立つだろう。ん、噂をすれば・・・」

途切れた会話と、入り口から聞こえる静かな興奮にムーもそちらに視線をやる。そこには記憶の姿からだいぶ成長した少女が父親らしき男性に伴われて入室してきたところだった。やわらかな髪を長く後ろに伸ばして、白いレースをあしらったドレスを着た姿は、シェヘラザードに瓜二つだった。ムーですら一瞬見間違える程に似通った姿に成長したイオに、一瞬息が詰まる。ゆるく波打つ髪が、歩くたびに揺れる様子はまるで雲の上を歩いているようで、見るものから感嘆の息が漏れるのが聞こえた。
あの、シェヘラザードの神殿で会ってから数年、久しぶりに会ったイオは変わらないように見えたが、昔のような眩しい笑みはその顔をから消えていて、どこか固い、作り物のような笑みが張り付いていた。大人たちが我先に群がって声を掛けてくるたびに、小さく礼を述べながら儀礼的な挨拶をする。昔の様に、緊張する事もなく難なくこなす様子はどこか諦め似た何かが見え隠れてしていて、暗く冷たい感情が流れているように見えた。
じっと、観察するように彼女を見つめていれば、その視線に気が付いたのかイオの顔がこちらを向く。ほんの少し目を見開いて驚いたように動きを止めたイオに、ムーが軽く会釈をすれば彼女も応えるようにぎこちなく会釈が戻ってくる。その後すぐにイオは顔を逸らしてしまい、彼女の瞳がこちらを見ることはなく、再び大人たちの媚びるような笑みと言葉の中に埋もれていた。

夜会はするすると進み、大分夜も暮れてきた頃。大人たちは其々友人や、近しい者たちとの会話に興じていて、ムーも誘われるままに大人たちの会話に交じっていたが、ふと視界の中にイオの姿がない事に気が付いて、部屋を見渡す。
小さいけれども、圧倒的な存在感を出すあの蜂蜜色の輝きはどこにもなく、ムーは断りを入れて部屋から抜け出した。
まだ、イオの父親は部屋にいた。ということは帰ったわけではないはずだ。どこにいったのかと、探すうちにバルコニーの向こう側、見事に整えられた庭の端に白い何かが動いた気がして、ムーはバルコニーから飛び降りた。常人ならば、怯んでしまうような高さであってもファナリスである自分には大したことはなく、ストンと庭園に降り立つと、木々の間を抜けて白い影を追いかける。大した広さもない庭園なのであっという間にイオに追いついたムーは、何かから逃げる様に小走りに走るイオの後姿を少しだけ見つめていた。
危なげなく走りながら何かを探すように視線を巡らしたあと、イオは一番大きな木の元へと駆け寄る。見上げるほどに大きなそれを一度上まで見つめた後、イオは手と足を延ばして、木に登り始めた。
初めは宴に飽きて、遊んでいるのかと思ったが、何やら必死な表情を浮かべる彼女に「どうしたのですか?」と声を掛ければイオの体が面白いほどにびくりと跳ねる。
驚きに身を固めて、こちらを振り向いたと同時に、手を滑らせて木から落ちそうになったイオの体を、一瞬で近寄ったムーが抱き留める。軽い、小さな体を腕の中に入れて抱き上げれば泣きそうな程に目を潤ませたイオがこちらを怖々と見つめてきた。

「・・・離して、ください」
「こんな遊びをされたら危険ですよ。帰りましょう」

安心させるような笑みを浮かべて、そう告げればイオは一層怯えた表情でふるふると首を振った。

「なぜですか」
「・・・・行きたいところがあるの」
「どこにです?お連れします」

その言葉にイオは再び、首を振った。

「だめ、誰もイオを知らないところに行きたいの」
「誰も知らないところ?」
「そう」

イオの言葉はとても真剣で、瞳の奥には切羽詰った何かが見え隠れしていてムーは言葉も継げることが出来ずにじっと見つめてしまった。

「・・・それでどこに行きたかったのですか?」
「・・・あそこ」

小さな、柔らかそうな白い指が差したのは空に浮かぶ綺麗な月だった。

「月・・・ですか?」
「うん、誰もいないし・・・高いところからなら手が届くかもっておもって・・・」

その言葉に、思わず吹き出せばイオはぎゅっと唇をかみしめて、恥ずかしそうに顔を赤くする。そのくるくると変わる表情は数年前に出会った頃を思い出させて、ムーはふと目じりを下げて笑みを浮かべた。

「それは、難しいですね。私でも届きません」
「ならどうすればいいの?」
「・・・イオ様はレームから離れたいのですか?」
「うん、誰も知らないところに行きたい」
「一人ぼっちで?」
「・・・うん、そこでイオを知ってもらうの」

この国にいる限り、イオは永遠にシェヘラザードの姿を彼女に見てしまう。誰もイオを見ることなく、偉大な魔導士のスペアとして生きる運命しかない。おそらくは、大人達がその役割をイオに望んでいることも、その影響力を欲しがっていることもすべて察しているのだ。だからこそ、その全てから逃げたいと幼いながらに思っていたのだろう。

「この国でも、イオ様を知っている人はいます」
「・・・誰が?みんな『シェヘラザード様によく似ている』って笑うの、それはイオじゃないのに・・・」

はらはらと大きな瞳から零れる涙が、丸い頬を伝って落ちてくる。それをぐいっと手で拭ったあとムーはそっと彼女の指をとって口づけた。
彼女はシェヘラザードには似ていない。けれどもその芯の強さはとても似通っている。
世界に一人になることが怖くて、仲間を求めた自分とは違って、彼女はたった一人でも自分を見てくれる場所を求めた。今持っているものを全て捨てて、新しい世界に踏み出そうとする強さ。子供特有の無鉄砲さとも言えるが、それでも彼女は今を捨てられるだけの覚悟を持っていた。
シェヘラザードに似た、彼女と違う魅力にムーはぐっと体が熱くなるのを感じて、ぎゅっとイオを抱く腕に力を込めた。もちろん、彼女を壊さないように力を加減して。

「私が知っています」
「ムー・・・さまが?でも・・・」
「あなたとシェヘラザード様は全然違います。あの方には無くて、貴女が持っている物は星の数程あります」
「ほんと・・・?」
「はい、お望みなら一晩中話してもいいですよ」

その言葉に、イオは小さく笑みを浮かべる。その表情ですらシェヘラザードとは全く違っていて、少しも似ていないのに、と独り言ちた。

「それに、イオ様が誰も知らないところに行ったとしても、きっと無駄ですよ」
「・・・どうして?」
「私が、すぐに傍に行きます。貴女を一人にはしません」
「でも、ムー様はレームを守らなきゃ・・・」
「えぇ、ですから貴女をすぐに連れ戻して、目の届くところに置いておきます」

「何度でもね」と笑えば、イオの表情が微妙に顰められた。

「それじゃあ、ダメじゃない」
「えぇ、ダメです。だから、逃げ出そうなんて考えてはだめですよ」

イオは返事もせずに、口をつぐんでしまう。その拗ねたような顔に再び吹き出すと、ムーはイオを抱えたまま館の方へと歩き出した。

「・・・月に逃げてもダメなの?」
「そうですね、追いかけるのは難しそうですが必ずお傍に行きます。・・・ただ、私なら追いかけるよりももう少し楽な方法を取りますね」
「なに?」
「また、貴女が月に行こうとしたら教えて差し上げます。身をもって」

意味が分からなったのか、首をかしげるイオにムーは甘く微笑む。
逃がすわけがない、と胸の奥でつぶやく声を他人事のように聞きながら、小さな体をぎゅっと抱きしめ続けた。



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