短い夢 | ナノ

獣の愛し方

ゆるく音楽の掛かる空間で、いつもの見慣れた面々が集まって、享楽の宴を楽しむ。豊潤な葡萄酒と、新鮮な食材で作られた数々の料理、それに国一流の演奏家達が奏でる音楽が溢れんばかりにあるこの空間はまさに極楽ともいえるものだった。
そこで、ゆるりと身を起して政治の話しやら、他国の情勢やらの話を一方的に聞かされ続けてイオだったが、ほんの少し体制を変えた際にツキリと走る痛みに、身体を強張らせた。わき腹や太ももといった、普段目につかない様な場所に刻まれた傷が僅かに存在を主張し始めていて。一度気になってしまえばその痛みはどんどんと増していき、ついには僅かに眉を顰めてしまうほどになった。
もしかしたら、飲んでいた鎮痛薬の効力が切れてきたのかもしれない。そう考えて、イオは会話を交わしていた少し年のいった男性に、「少し、失礼します」と告げるとその身を柔らかな寝台の様に大きな椅子から起こして立ち上がった。
このレームでは上流階級の集まりでは、立って会話を楽しむ者よりも、この様に寝そべって会話を行うのが主流だ。その為、こういった集まりの場合は広い部屋にいくつもの大きめの長椅子が用意されて、其処でみな好きな者同士が固まって会話を楽しむ。だが、今日は特に会話をかわしたい友人達は参加していなくて、イオは仕方ないと溜息混じりに長椅子に腰かけていたのだが、どうにも面倒な相手に捕まってしまっていた。少し年上の男性なのだが、彼は知識は深いもののそれを他人にこれ見よがしに教えて説くのが大好きなのだ。延々と続く話しに辟易していたものの「興味がありません」と突っぱねる事が出来ないのが、貴族の集まりである。柔らかに微笑んで、思ってもいない称賛を口にすれば、それで彼が満足してしてくれるのであれば簡単なものなのだが、今日は日が悪かった。
普段であればきちんとコントロールされている痛みなのだが、どうにも耐えられなくなって立ち上がったものの、最後にちらりとみた相手の顔は不満に歪んでいて、今後面倒なことになりそうだと、イオは小さく溜息をついた。
給仕をしてくれている女性に、水を貰いいつも懐に忍ばせている鎮痛薬を呑みこむ。即効性はないが、効き目は抜群のその薬が痛みを誤魔化してくれるのを待ちながら、部屋から続くテラスへとゆっくりと移動した。人のいない其処は、人が溢れる中の熱気に比べれば少し肌寒くも感じるが、それよりも空気が澄んでいる様な気がして思わず深く呼吸をする。テラスの淵に身体を預けながら、空を見上げれば幾億もの光粒がキラキラと瞬いていて。強い光や赤い光など様々な姿を持ったそれは、僅かであるが痛みを忘れされる程美しかった。感嘆のため息をつきながら空を見上げていた時だった。ぐっと強い力で身体を引き寄せられて、ビクリと身体を竦ませる。急に動いた為に身体に走った強い痛みに、反射的に眉をしかめれば、耳元で「どうかしましたか?」という優しい、低い声がした。

「・・・・ムー様、どうして此方にいらっしゃるのですか?」
「一人でテラスにいる貴方の姿が見えたので。此処は少し冷えますから部屋に戻りましょう」
「・・・私は大丈夫です。お気づかいは嬉しいですが、もう少し此処にいますので、ムー様はお戻りになってください」

腰に添えられた腕からすり抜ける様にして身を捩ってみるが、彼の腕はびくともしない。屈強な筋肉に包まれた腕にぐっと力がこもって先ほどよりも更に身体に走る痛みが増したのを感じてイオは冷や汗を流した。

「・・っ!、あのっ、私・・・部屋にもどります。ですから腕を離して・・・」
「・・・えぇ、そうですね。部屋には戻りましょう。・・・・でも此処ではなくて、違う部屋に」

その言葉と共に身体に鋭い痛みが走ってイオは喉から声にならない悲鳴を絞り出した。熱に似た感覚が身体を走って呼吸も出来なくなる。思わず立っていられずに膝から崩れ落ちれば、床にぶつかる直前に大きな手が身体を支えてくれた。

「大丈夫ですか?具合でも悪いのでしょうか?」

自分で与えた痛みなのに白々しくもそう笑顔で問うてくるムーにイオは僅かに視線を強くして抗議の意を示すが彼にはそんなものは通じない。やすやすと身体を抱き上げられると悠々と皆が集まる部屋へと戻された。

「まぁ、ムー様どうなさったのですか、その女性は・・・」
「具合が悪いようなのです。私は彼女を連れて行きますので、皆様には申し訳ありませんが少し席を外させていただきます。」
「もちろんですわ。・・・でも戻ってきて下さるのよね?」
「えぇ、勿論です。彼女の処置を見届けたらすぐにでも」

レームの貴公子とも呼ばれる彼にふさわしい甘い言葉を、寄って来た御婦人に投げかけるとムーは自分を抱えたまま部屋を抜け大きな屋敷の中を歩き出した。

「・・・っ、お願い、ですっ、今日は痛みが強いの、家に返して下さい」
「なら、なおさら休んでいけばいい。貴方はこの国にとっても、とても大事な人なのだから」

にこりと微笑まれて、その笑顔の裏にある狂気に背筋が泡だつ。引きつった喉からは言葉も紡げずに唯身体を振わせれば、彼の瞳が一層笑みの形に歪んだ。
暫く進んだ廊下の先、大きな扉の前で一度立ち止まったムーだったが、すぐに扉を開き中へと身を滑らせる。外の僅かな光だけの室内は暗く、良く見えなかったがおかれた机やキャビネットから誰かの部屋であることは容易に分かった。そのまま、スタスタと慣れた風に部屋を進み、その一番奥にある大きな寝台へと身を落とされる。柔らかい寝台の為に痛みは少なかったが、これから始まるであろう事を考えると恐怖で身が縮こまった。少しでも逃げようと寝台の上でもがいてみるが、柔らかな布に身体が沈むばかりで上手く動かせない。そうこうしているうちに、ムーがおもむろに着ていたドレスの前を両手で掴むと、まるで紙屑でも破っているかの様な容易さで服を引き裂かれた。

「いやっ!やめて・・・、お願いです・・・」
「・・・・あぁ、また痕が残ってしまいましたね。残念です。」

少しも残念そうには思っていない声で笑いながら、告げられてイオは唇をかむ。彼の指がむき出しになった素肌の上を滑って、わき腹から腰にかけて付けられた出来たばかりの赤黒い痣を嬉しそうに何度もなぞった。

「打ち身・・の様なものですね。骨を折った感触はなかったので、やがて良くなりますよ」
「いや・・・もう、いやなの・・・」

体中に残されたムーがつけた傷は古いものから新しいものまで無数にある。白い肌に残った沢山の後は、ほとんどが打ち身の様な痣だったが、ごく稀に噛み痕の様なものも混ざっていて、お世辞にも綺麗な身体とは言えなくなっていた。それでも彼はこの身体を綺麗だといってまるで芸術品を愛でるかのように肌に指を滑らす。その時はとても優しく、砂糖菓子を扱うかのような手つきなのだが、一度彼の気に障るような事をすれば容赦なく身体に痛みを刻まれるのだ。

「だめですよ。これは貴女の為だ。貴女は直ぐにどこかに行ってしまう、そうしないために仕方なしにやっている事なのです。イオ様、世界には危険が溢れているのですから、貴女はこうして私の傍にずっといて下さればいい」

恍惚とした表情でそう告げられて僅かに首を振る。恐怖と、痛みと、そして微かに走る快感が頭の奥を酷く鈍らせていた。

「もう、いや・・・、私は、シェヘラザード様ではないのです・・・。お願い、自由にして」
「もちろんです。あの方に変わり等いません。貴女をシェヘラザード様と思ったことなど一度も無い」

自分に良く似た容姿も持つ、この国の最高司祭。正確に言えば、彼女が自分に似ているのではなく、自分が彼女に似ているのだ。この国を二〇〇年以上にわたり守り続け繁栄を手助けしている彼女とは、微かであるが血が繋がっている。まだ彼女が生を受けたばかりの頃にいた、彼女の兄妹が自分の遠い先祖に当たるのだ。もはや二〇〇年以上も経っているので血は限りなく薄くなっているものの、隔世遺伝なのか自分はシェヘラザードに良く似た容姿を持って生まれてきた。それ故に、マギでは無くとも偉大な魔法使いになれるのではと、周りは大いに期待を寄せたらしい。けれども自分が彼女に似たのは容姿だけで、魔法はからきしだった。かろうじてルフは見えたものの、その力は彼女と比べられる様な代物では無かった。
次第に周りからの関心も薄れてきて、シェヘラザードの子孫としてではなくイオとして生きていける、いや、この国を飛び出してでもそうしようと、思っていた矢先にムーに出逢ったのだ。
それ以来、この何とも言えない関係はずっと続いていた。

「イオ様、貴女には私の想いなど理解できないかもしれません。もはや理解してもらうつもりもありません。貴女は唯、こうして私の手の中にいてくれればいい」
「ムー、さま・・・お願い、許して」
「大丈夫ですよ。貴女が、どこにも行かないという確証が得られれば、もう傷つける様な事はしません。それどころか、甘く蕩かして愛して差しあげます」

にこりと微笑むムーが恐ろしくて仕方がない。引きつって声も出ない喉の代わりに首を振ったが彼には見えなかった様で、此方の拒否にもお構いなしに彼の指が明確な意思を持って身体を這いだした。
甘く熱を持ち出した身体とは裏腹に、心は段々冷えていく。彼の唇がそっと胸元、ちょうど心臓のあたりに寄せらるのを見て思わず瞼を閉じる。
ドクリと跳ねた心臓に、深い絶望を感じながら、ぽたりと一粒の涙が目尻から零れて寝台へと吸い込まれていった。



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