短い夢 | ナノ

君の指先を甘受する

高い天窓から差し込む、青白い月明りだけがこの部屋を照らす光源で。真っ暗な部屋に差し込むその光は、空気中に舞う埃でさえキラキラと輝かせていて、思わずその光が当たる方へと、手を伸ばそうとした。指先がほんの少し光の中に入ると、爪の間にまでインクがしみ込んだお世辞にもきれいとは云えない無骨な指が良く見える。それは自分を背後から抱きしめている彼女にも同じだったのだろう。自分の身体に回された腕にこもる力がさらに強くなった。




今日は久しぶりに、仕事も順調に進み月が天に昇る前にあらかたの書類を見終わったので、早めに部屋に戻って休もうと思っていたのだが、終業前に机を整理していたら、はらりと落ちた手紙にジャーファルは眉を顰めた。

『真夜中に黒秤塔の図書館に来てください』 

名前も書いておらず、たったその一文だけが書かれた簡素な手紙をジャーファルは何度も読み返して、その紙を丹念に調べるが、どれだけ見渡してみてもそこにあるのはその一文のみで。字体からして女性であるような気がするが、こればかりは似せようと思えばどんな形にでもなれるので確証はない。
首を傾げて、悪戯かと判断しようとするがその時にふと頭によぎった侍女の姿に全身の動きを止めた。
何年か前に難民の一人としてこの国にやってきて、そのまま天涯孤独の身の上の為に城付きの侍女として働くようになった彼女は、いつからか自分に向けて好意に満ちた視線を投げるようになっていて。よく働き、よく笑う彼女には自分も少なからず好感を持っていたが、何分、政務官としての仕事が多忙を極めていることと、八人将としてシンドバッドの側近であるという立場が彼女からの好意を気付かないふりをさせていた。
自分の立場であれば、望めばほとんどの物は手に入ってしまう。お金も、物も、やろうと思えば人の心でさえも、望めば手中に収める事が出来るだろう。だからこそ彼女には自分を求めて欲しかったのだ。此方から手を伸ばすのではなく、彼女から捕まえて離さないと言う位の強い想いをぶつけて欲しかった。そんな自分のわがままに、ずいぶんと彼女を振り回してしまった。気のない態度をとってみたり、それでいて少し優しくしてみたり。妬かせる為に他の侍女と会話をしている所をわざと見せた事もあった。我ながら、子供っぽい意地悪をしてしまったと思うが、この手紙が彼女からの物だとすれば、その行為も無駄ではなかったのだろう。
ジャーファルは自然と浮かぶ笑みに、くしゃりと手の中の手紙を握りしめた。すでに月は大分高い位置にいて、真夜中まではあといくばくもないだろう。机の上の整理も漫ろにジャーファルは立ちあがると逸る心を抑えて、黒秤塔へと足をむけた。
黒秤塔は研究職のものが多数在籍しているので、基本的には深夜であっても誰かしらがいるし、徹夜で研究も行うものも少なくないのである程度の光は灯っている。しかしそれは廊下や各自の研究室での話であって、図書室はそうではなかった。シンドリアが誇る国最大の蔵書を誇る図書室だったが、明りが落とされるのは暗くなって直ぐの頃だ。明りが落とされたあとも入室することはできるが、部屋の中は真っ暗で明り一つない。というのも、夜中の間中使うかどうかも分からない、大きい部屋の明かりと常に付けておくのは不経済でもあるし、本を大量に扱う部屋で、炎を焚くというのもナンセンスだ。もし何かの拍子に炎が本に移るような事があればたちまち大火災になってしまう。
だからこそ、この図書室には、高い位置にある複数の天窓から差し込む光だけが唯一の光源になっている。昼間はそれでも大分光は差し込む設計になっているが、夜になればそうもいかない。日中よりもずっと少ない光源では満足に足元も見えず少しでも光から離れてしまえばそこは途端に闇の中だ。
ジャーファルは慎重に足を進めながら、そっとあたりの気配を窺う。どこかに居るであろう彼女の気配を探るように、意識をちりばめれば、いくつか先の本棚の奥に人の気配を感じて、そっと唇に笑みを乗せた。
気付いていない風を装い、すたすたと奥まで進めば、ちょうど彼女がいるであろう本棚を通り過ぎる時に、ぐいっとなかなかに強い力で腕を引かれて、ジャーファルの身体は本棚に囲まれた通路へと引き込まれる。体制を崩して尻もちをついた自分の体には細い腕がしがみついていて、密着するように抱き着かれた身体からは、破裂してしまうのではと心配になるほどの早い鼓動と、服を通しても伝わる暖かい熱を感じてジャーファルはこっそりと笑みをこぼした。自分の周りにふわりと香る匂いは間違いなく彼女のもので、自分の予想が外れていなかったことを確信する。
暫くは、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる彼女の腕の力と、押し付けられる柔らかい身体を堪能していたが、ふと、手を明りへと伸ばした事によって、彼女の手の力が余計に強くなり、首元に冷たい雫が垂れてきた。自分がなんの気なしに行った行動を彼女は『逃げ出しだがっている』と取ったらしい。その証拠に、背後に居る彼女が鼻を啜りながらか細い声で謝ってきた。
「ごめんなさい」「こんなことしてごめんなさい。」「呼び出して、ごめんなさい」「好きになってごめんなさい」何度も何度も謝罪の言葉を述べられてジャーファルは、そっと彼女の腕にふれると、子供を宥めるように何度かやさしく叩いた。

「イオ」

ふわりと名前を呼べば、大げさな程身体がビクリと震えて、手の拘束が緩まる。とたんに逃げ出そうとする身体を、今度はジャーファルが引き寄せて、あっという間にイオの小さな身体を自分の腕の中に閉じ込めた。

「気付いていない訳ないでしょう」
「ご、ごめんなさ・・・」
「謝ってほしいわけじゃありません」

イオの言葉を遮ると、彼女の身体を思い切り抱きしめる。強すぎる力に、背がしなり、苦しげに息が吐かれた。

「イオ、私が欲しいですか?」
「・・・え」

そっと耳元で囁けば、イオは訳が分からないと言う様に戸惑いの声を上げる。もう一度ゆっくりと同じ言葉を囁けば、イオの首が戸惑いがちにこくりと縦に振られた。

「なら、差し上げまず。存分に受け取ってください」

にこりと笑って、身体を少し離して彼女の唇へと口づける。暗闇の中でも彼女の涙がきらりと光った気がして、そっと指で拭ってやった。
彼女の呼吸を奪う様に深い口づけを交わす間、そっとイオの腕が背中に回されてしがみつくように抱きしめられる。呼吸の為に唇を離した瞬間、熱い吐息に混じって、「愛していますよ」と呟けばイオの瞳が驚いたように見開かれる。
大きく開かれた瞳から流れた涙を、舌で拭ってやってから、口づける。ほんの少し塩辛い味がした後、その味は甘い甘いイオの吐息に紛れていった。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -