私は夜の町には不釣り合いな程、息が上がっていた。それもこれも全てこの坊主頭のせいだ。私は隣にあるハゲを睨みながら、恐ろしく急な坂道を成人男性を肩に登っていた。 一人でも辛いってのによぉ! 私のそんな思いも虚しく、こいつは泥酔しきっている。明日その腹が立つ頭を噛んでやりたい、いや、ただの喩えだけれど。 それにしても重い 「うぐぐぐぅ…!」 思い切り歯を食いしばり、酔っ払いを坂の上まで運びきる。 くっそう、なんでこんな丘の上に住んでるんだこの人! 私は親切に親切を重ね、彼を二階建てマンションの一室まで担ぎ上げると、いよいよ大音声を上げた。 「起きて下さい、黒田さん」 ばちん、と張り上げた掌が黒田さんの肩甲骨を刺激した。よく響く。因みに彼は私の肩からは放り出され、崩れ落ちている。 「・・・うーん」 嘘だろこの人起きない! 私は心中に在るもう一人の私たちを宥めながら、手を介抱した。 せっかく私の手の犠牲を構わずに張り手を贈ったのに、この飲んだくれが起きる様子はまるでない。 私の中の小人らは口々に不平不満を漏らし、その内の手の着けられない幾人かが暴れ出している。 ボロけたアパートの光が、寂しさを孕んで、私達を照らした。 私は立ち竦んでは、電球に集る大小様々な虫達を眺めるばかりだ。 「黒田さん」 いい加減起きてください。 肩を揺さぶるものの、ん、だか、あ、だかよく分からない返事を返すだけで、一向に目を覚ます気配はない。 こんな事なら、杉江さんにこの人を送って貰うんだった。電車の降りる駅が同じだからって見栄張ったのが祟ったらしい。 どうしようか 私は黒田とかかれた表札の前で立ち往生してしまった。 今からでも、彼を呼んで何とかして貰うべきか。 いや、しかし杉江さんの家は此処から随分遠い。一度断っている手前、また呼び出す事は出来ない。 他の選手の方々の連絡先は、私の携帯には無い。家も知らない。 くそ、お前が泥酔しなけりゃ私が悩む事も無かったのに! げしっと、酔っ払いの腹をヒールで蹴ってやる。 その瞬間、がたりと階段の方で音がしたので振り向けば、OLと見受けられる同年代くらいの女性が、此方を見て青い顔をしていた。 しまった! 急いで、何とか事情でも説明しようとしたものの、顔をひきつらせたまま、彼女は自分の家にさっさと入っていってしまった。 こうなると、今度は私が顔を青くさせる番である。 きっと黒田さんの可愛い隣人さんは、私の事を誤解している。断じて私にそういう趣味は無い。 「こうなったら、仕方がない」 ドアにもたれ掛かっている彼の背にある小さな小さなバックを取り上げると中に手を突っ込んだ。人の鞄の中を物色していることに後ろ髪を引かれる思いがする。しかし、これは私の生活が掛かっているのだ。 このままこの人の酔いが醒めるのを待つ、なんて事は是非ともしたくない。 「あ、あった」 鞄から手を引っ込めると、急いでドアノブに手を伸ばし、鍵を差し込んだ。ガチャンと聞き慣れた音が、静まり返ったアパートによく響く。私は歯を食いしばりながら男を担ぎ上げ、玄関に放り投げる。いてえと唸る声が届くも無視だ、無視。 「おいコラ名前!」 まるで達海監督に楯突くときみたいに眉間にしわを寄せて――といってもこの人は常に寄せているが、ぎゃあぎゃあと喚きたてる。 うるさいなあ、と耳を塞ぎながら何ですか?と目を細めれば、近くまで迫っていた黒田さんは物凄い形相で私を睨み付けた。 「何ですか?じゃねえよ、てめえ昨日俺を玄関に投げただろうが!!」 ぴくりぴくりと眉が動く。 投げたも何も、寝ている人間を担いで坂を上った挙句、起こしても起きないし、あんたの隣人には変な目で見られ、腕は蚊に噛まれ、私は損しか請け負っていないのにその言い草は何事か。というか、最早私が女だってこと忘れてるよね。この人。腹立つな。 「・・・何ですかまるで自分は可哀そうな目に逢いましたみたいな言い方。元々、黒田さんが分別がある人ならデロデロになるまでお酒なんて飲んでなかったじゃないですか?ええ? 私は、店に置いていくにも困り者だし、あんたと家が反対方向にある杉江さんも災難だと思ったから、快く家まで送るように申し出たんですよ? 私は別に黒田さんを家の外に放って返っても良かったんです。抑々女に全体重を持ち上げさせておいて、放り投げたくらいでその文句は心外ですね。プロの選手は身体が資本だと言うのなら、そう言った無理な飲酒は止して下りませんか。禁煙もそうですが、身体に大きく負担が掛かります。そうした自覚があれば今回の一件は始めから起こり得なかったのですよ。」 では次回から気を付けてくださいね。 まるで御機嫌よう、とでも挨拶してしまいそうなくらい清々しい気持ちで笑顔を向け、回れ右をすれば、丁度通りかかって聞いてしまった、みたいな顔をしている赤崎さんが珍しくぽかんと口を開けて私を見ていた。 私の後ろには悔しがる黒田さんの叫びが轟いた。 ああ、すっきりした。 20120823//名字さんに惚れたいby赤崎 |