私はちらりと目を向け、そして直ぐに逸らす。 広報として働き続けて五年が経つけれど、まだまだ至らないところがある私。それに比べて早くからその才能を開花させ、今やオリンピック代表に選ばれる程の能力のある彼。その輝かしい実績を獲得する前々から女にもてる人だったけれど、今は輪をかけたように彼の周りには女性が集まっている。私はもう一度ちらりと視界の端にそれを映すと、深く息を吐いた。これは嫉妬ではない。言うにはあまりにも胸が痛くて、何よりむずむずと心がしないのだ。 「どうしたの名前さん?」 有里さんが首をこてんと傾けながら私を見上げながら尋ねる。 彼女の優しさは今の私のぐちゅぐちゅに膿んだ傷口に塩をかけるようなものだった。けれど、その彼女の優しさを無碍には出来ないのでへらりと笑顔を浮かべ何でもないとだけ伝えてみる。 さあ早く行ってよ。汚い私の感情はまだ私という容貌から溢れ漏れていないらしい。有里さんはにこりと無垢な笑顔を張り付け、でもどこか困ったように言った。何かあればすぐに言ってくださいね。 「じゃあ、」 じゃあ、この私の惨めな感情をどうにかしてよ。 なんて言えるわけが無かった。こんな感情を仕事に持ち込むわけにもいかないし、まして年下の女の子に打ち明けるなんて更々できなかった。 じっと彼女を眺めていた私は、今漸く本当にこの目は有里さんを映し始める。なんですか、と尋ねて来そうなその表情が見たくなくて、がしがしと頭を撫でてあげるとすぐに屋内に引っ込んだ。 そうして私はこの気持ちを、隠していく。 二階に繋がる階段の下に腰を下ろすと私は蹲るほか無かった。うっうっと声を漏らし頬を濡らす私は馬鹿だ。泣くなら意地張らなければいいのに。これは嫉妬だって、本人に可愛く言い寄って行けばいいのに。 私はとんだ馬鹿だ。 「何やってんだよ」 体育座りした膝の間に顔を埋めて小さくなっていると、明らかな声が響いた。その能天気な口調が私を苛立たせるとも知らない彼も十分馬鹿な男だ。 「別に、練習行けば?」 「無理」 「は?何で」 睨み付けるように見遣れば、相手がむっと眉を寄せたのが分かった。それからゆっくりと私の隣りに腰を下ろすと、わざとらしい溜息を吐かれる。溜息つきたいのは私の方だばか、そんな言葉が喉まで出かかるけれど今はぐっと我慢した。 「何でって名前が泣いてるからだよ」 「泣いてない」 「泣いてるだろ、鼻真っ赤だし」 「遼、黙っててよ・・うるさい」 ことんと彼の肩に頭を乗せて目を瞑る。彼を想うと私という人間がなんて邪なものなんだと思わされる。こうやって人目のつかないところで泣かなければならなくなる。だから、苛々する。 どうして彼の行動一つ一つに浮き沈み、まるで波のように左右されなければならないんだ。実際さっきまでとは違った感情が、彼が隣りにいることですごく安心する。 「ねえ、私がどうして泣いてるのか分かる?」 いつも可愛くないのは? いつもこうやってあなたに振り回されるのか、考えてみてよ。 一つの疑問にいくつもの質問を詰め込んだためだろうか、彼は中々答えようとはしなかった。いつも悩むのは私なのだから、今回ぐらいは彼が悩めばいい。私は気長な心で彼の返答を待ち続けた。 けれどそれを邪魔したのは天候だった。ざーと鉄に打ち付けられる音と、指だけがひんやりと冷たくなる感覚、後は匂い。私の五感全てが私に感づかせた。 雨だ。 「洗濯物!!」 勢いよく立ち上がってそう叫ぶと共に外へ走る。けれど遮るのは雨以外に、彼もいた。 痛いぐらいに手を握られ止まらなければなくなった私は、しかめっ面で後ろを振り向く。こんな緊急の事態に呼び止めるな、そう言ってやろうと態々言葉を選んで用意したのだけれど遼へと視線をあげた途端、私ははっと思わず言葉を失ってしまうのだ。 「りょ、う?」 「なあ名前、悪い」 あの自信家が、あろうものか泣き出しそうな顔をして私を抱きしめた時、私はふっと先程まで重たくて仕方が無かった何かが軽くなった。ゆっくりと腕を彼の背に回しくすりと笑みを浮かべる。くらりと私の心がまた貴方に傾いては、わたしを堕とす。 「悪かったよ、名前」 目眩が私を襲って、それから煙ったような感情をはじき出すように涙が零れた。 20110312//奏でたメロディ |