街を歩けばあちらこちらにピンク色、赤色と暖色が散らばっている。私はそんな様子をぼんやりと眺めながら歩を進めていくと辿り着く私の勤めている事務所。世間様は所謂バレンタインと言う何ともチョコレート会社がうっほうっほな行所に浮足立っている。女が男にチョコをあげるだけのそれがそんなに楽しいのか。 毎年のことに私は呆れるように溜息を吐いて、むき出しになっている鉄を踏み付けながら寒い風に吹かれる。駆けるように事務所へ飛び込むとすぐにストーブの前に手を翳した。 「名前ちゃん」 「あ、後藤さん。おはよう御座います」 一人ストーブに温まっているとゼネラルマネジャーの後藤さんが、恒例になりつつある爽やかな笑顔で私に挨拶してくれた。私もその場で返答して少し頭を下げる。それにしても寒いなあ。 「あれ、後藤さん今来たところじゃないんですか?」 手に鞄が握られていないことに気が付いた私は単純にそう尋ねれば、ああ君より少し早くに来たんだ、と嫌みのない口調で言った。やっぱりこの人は仕事人だなあ、と痛感させられて、私は思わず頭を掻く。 「後藤さんもこちらへどうぞ」 どうせ今ここにいるのは私と彼と、あと新任の達海監督のみだ。まだ有里さんも来ていない、それ程早い時刻から出勤しているのだ。私も、そして彼も。 後藤さんは少し戸惑うような表情を私に魅せた後、おずおずと隣りに立ってストーブに手を翳す。 「後藤さんも本当仕事熱心ですね?」 このままじゃあワーカーホリックまっしぐらじゃないですか。ふふっ、と吹き出すように笑いながらそう話を促せば、そんなことないそんなことない、とあの笑顔で笑う。ここのままじゃあ、じゃなくてもうホリックだな、と頭の片隅に浮かんだ言葉に私も苦笑いを浮かべた。 「っさ!有里さんもそろそろ出勤されるだろうし。達海監督を起こしに行ってきます」 ぐぐっ、と恐らく今日初めての伸びをしておまけとばかりに欠伸を付け加える。隣りにいた後藤さんははは、と苦笑いしながら頼む、と私の背に投げかけた。 肩をぐるぐると回し、了解と親指を立てて見せ彼を見ずに事務所を出た。 「うっわ、さむっ」 こんなことならマフラーをしてくるんだった、と風の通る一本の長い廊下を歩きながら思った。事務所の自分の椅子にかけてあるそれが瞬間移動してくれればいいのに、と白い息を吐きながら少しでも暖を取ろうと手を温める。 「あれ、ジーノ・・・?」 長い長い廊下の遙か先にすらりとした人影に思い当たる人物を咄嗟に口走った。近づいていくと共に見えてくる人物は逸りジーノのようだ。お生憎余り視力に自信の無い私に確信は無かった。 「やあ、名前」 黒くて艶のある髪に外はねが見えた頃、こちらに気がついた彼はいつものように片手を挙げて艶めかしい声色で外人よろしく挨拶をした。どうしてこのような朝も早い時刻から彼がいるのか分からなくて思わず眉間に皺を寄せていた私であるが、おはようと習慣付いた挨拶を返す。 そして再びどうして此処にいるのか、と気になって彼を吟味するように目を細めた。 彼は日本人とイタリア人との子、つまりハーフでそのためか時間にはかなりルーズな性格、に加えかなりの悠々たる態度を示す人間だ。そんな時間だからこそ彼がいることが気になって仕方がない。 「どうしたんですか、こんな朝早くから」 このどうしようもなく聞きたくて仕方ない心持がその短文に何倍も濃縮されていたに違いない。それでもジーノは気付いていないのか、いや気付かない振りをしているのかゆっくりと髪を撫でながら私を見ていた。 「ちょっと用事があってね」 「用事?」 何度も言うようだが、こんな朝早くから何があるのだろう。怪しむように鸚鵡返しに言葉を返すと後藤さんとはまた違った爽やかな笑顔が見れた。そう、と呟くように言った彼の顔には何か企みを持っているような様子が見て取れる。途端に私は達海監督を起こしに行かなければと思った。 「すいません、監督を起こしに」「ねえ、名前」 逃げるように横を通り過ぎようと断りを入れていると、ジーノはにやりと珍しく子供が何か悪戯を思いついたように笑う。私の手首は彼によって捕獲されており、男女差は勿論スポーツを仕事をしているような人のそれに私はどうすることも出来なかった。 「どうしたんですか、ジーノ」 「ボク、名前のこと愛して病まないんだ。」 「・・・は?」 「だからさ、バレンタインを気に付き合うっていうのはどう?」 彼の言葉に私は何も言えなくなった。朝早く来たのってバレンタインが欲しかったからなのか。とかあんたなら女に請う前に貰えるじゃないのか、とかどうでもいいことが頭の中で埋めいている。 ぽかん、と口を開けて茫然とジーノを見上げていると笑いながらちゅっと触れるだけのキスが降ってきて、私は顔を赤くすることしか出来なかった。でも私チョコ用意してないよ、王子。 20110212//君色に染まる |