「藤内、今すぐに喜八郎を呼んで来い」

委員会室の前で、丁度今から中に入室しようとしていた浦風は作法委員長である立花に指示を受けると一目散に自らの一つ年上の先輩を探しに駆け出した。穴を掘り起こしては委員会を忘れてしまっている綾部に最早立花は諦めの含んだ笑みを浮かべているのに、今回はどうにも違うらしいのだ。

浦風は委員長のあの飄々とした笑みが見当たらないことを察してしまうと、何かに追われるような危機感を胸に駆け出した。

「綾部先輩!」

目星を付けて、浦風の探しているその人の範囲内を血眼になっていると、矢張りいつもの如く穴を作成している綾部がいた。普段礼儀正しく、そして真面目な浦風が失礼を働くことは無かったが、どうにもこの日だけは違った。

「立花委員長がお呼びです!」

そんな言葉が言い終わるか否か、浦風は綾部の手を掴み穴から引っ張り出した。どこにそんな力があったのやら、少年は一つ年上の彼を引きずっていく。

「おやまあ」


綾部は尋常でない後輩の行動に目を丸くしてなされるがままである。



「連れて来ました!」

ぴしゃりと襖を開いては、半ば叫びを上げた浦風に、立花は先程までの切迫感は無い表情で微笑んだ。

「ご苦労だったな」
「い、いえ、そんなことは」

謙遜をも含めた声色で返事を返した浦風は、ぐるりと部屋を眺めて後、首を傾げてみせた。いつもの悪戯好きの一年生が、それはそれは大人しい。

これは異常なことだ。

少年は何かあると疑いにかかり、もう一度委員会室をよく見回した。
すると、さっきまで全く気がつかなかった異変が目に飛び込んできたのだ。


「名前先輩じゃないですかあ」

お久しぶりですねえ。
綾部は大して驚いた素振りこそは見せなかったものの、けれど嬉しそうに微笑みながら委員長より年上の女性に挨拶を交わした。あのいつも何を考えているのか、そして表情を変えない我先輩がこうも顕著に喜んでいるだなんて、浦風には驚き以外の何物でもない光景である。
会話から推測すると彼女は立花先輩の先輩にあたる方であるようで、それなら僕が知らないのも無理はないか。

「喜八郎も随分と大きくなって。一年の時はこんなに小さかったのに、ねえ仙蔵?」
「ええ。ですがそれをおっしゃるなら、あなたこそ綺麗になられて」
「まあまあ、それは私が仙蔵に言うことじゃなくて?」
「名前先輩、先輩とばっかりお話していないで僕とお話ししてください」
「おやまあ」

飛びついてぎゅうっと抱き着く綾部に、目を見開いてぱちくりと何度か瞬きをした女の方はくすくすと微笑んだ。

(あ、驚き方は綾部先輩と同じ)


「こら喜八郎、先輩が困っておられるだろう」
「えー、先輩はさっき独り占めしてたんでしょう、いいじゃないですか」

頬を膨らませる綾部を、立花が突っかかる。浦風は勿論のこと一年生も、茫然とこの異様なやり取りに目を離せずにいた。皆思うことは同じ、委員長にもそんな一面があるんだ、だ。

「こらこら私はこれぐらい構わないから。仙蔵も最高学年にもなって恥ずかしいこと言わない。喜八郎、先輩にその態度は感心しないわ」

ぱんと良い音を立てて二人の背を叩いた女の人は、ぱっと面識のない後輩三人へと笑顔を浮かべた。

(あ、笑い方は立花先輩と同じ)

「初めまして、三年前に卒業した作法委員の名前です」

(違う、立花先輩と綾部先輩が名前先輩と同じなんだ)

腰に引っ付く綾部を適当にあしらって、元作法委員長の名前は笑顔をもう一度浮かべて見せた。目線を合わせて後輩を眺める目は、どこか母親のそれと似ている。
ほう、と後輩達はその美しさに見惚れてしまうけれど逸早く我に返った、三年生の浦風は慌てて名前を発する。それに続く一年生。

「思い出すわねえ」
「何がですか?」
「喜八郎と仙蔵がやってきた日のことよ」

ふふふと眉を下げて笑う名前は、可愛かったなあと更に笑みを深めた。途端、立花は眉を顰める。
そんな委員長を目の当たりにした後輩たちは一歩身を引いてその様子を眺めることに決めたようだ。

「お言葉ですが、名前先輩。私はもう十五です」
「ええ、そうねえ」
「私が卒業したら、一緒に来て下さるのだろう?」

名前は膝の上にある頭を撫でながら始終聞き入っていたが、不意に立花へと顔を上げまた笑った。

「そのために、今日はここに来たのだけれど?」

「あなたには敵わないな」
「おやまあ」

くノ一ももう引退ね。シナ先生には挨拶しておこうかしら。
くすくすと笑いながら、冗談めかして彼女は言った。

20110605//青嵐の午後