「外聞よ、そなたには容易に熟せるであろうが・・・」

いつものように忍びは主である元就と一定の距離に膝を就き、顔を伏せる。珍しく政に関して他人に漏らした元就は途中で言葉を切った。
そして自嘲しながらふん、と鼻を鳴らす。
捨て駒にするには惜しい、か。目を細めて忍びを見遣る元就にびくりと背中に何かが走った気がすると忍びは思った。だが、僅かに身体が揺れただけで元就は気にはしていない様子だ。
その冷たい眼は自分を守るためでしょうか、と考えたのは随分幼き頃だったな、と忍びは先日会った主の養母と話しを交わすことによって思い出せた。


「そなたは我が駒、上手く動けばそれで良い」

長い間、感情の篭らぬその目で忍びを見つめていたが言葉と共にその視線は途切れる。承知、とでも言うように頷いた忍びはひゅんと風を切って消えた。


・・・


忍びは腕に女物の着物を掛け、走っていた。
元就から預かった任務は城下の治安維持であった。治安維持と言っても見て回る程度の、だ。戦忍である彼女にとっては疑問の残る任ではあったものの、智慮深い元就様のことであるからには何か策があるのだろう、と考えてから忍びは木陰に入った。
宮女より譲ってもらった少し色褪せた着物に着替えると忍びは肩より拳二つ程長い髪を後ろで緩く結び、ゆっくりと歩き出す。
それからすぐに城下が見えてき、町へ入って行く。


町は京等華のある街には劣るものの、人の活気は溢れており見たところによれば良い町だと言える。
忍びはふらふらと見世棚を眺め歩いていると梅雨が明けて、からりとした風が優しく生身である頬を掠めていく。それは常時全身を覆い忙しなく全国を飛び回っている忍びには、滅多に感じることの無い感覚であった。

「お!ねえちゃんどうだい!」

目を瞑り歩きながら風に当たっていると、三十路を超えたぐらいの男性の声が忍びを呼ぶ。ふらふらとそちらへ寄ってみれば見るより明らかな、簪、櫛と到底忍びが手にするには程遠い品が並んである。

「これなんかどうですか? あなた別嬪ですし」

忍びが品に目をやっていると奥から若い娘(丁度忍びと同じ歳派程度の娘)が忍びの前にやってくる。そして桃色に染まった簪を見せ、どうですかと勧めた。
髪が暖色である忍びにはその色はいいかもしれないが、生憎彼女は忍びである。それにそのような品を買う程の銭は持っていないのだ。
声が出ないと、口をゆっくり動かし喉を抑える。それから笑顔を浮かべ手を左右へ往復させれば、見世棚の娘はすいません、と申し訳なさそうに眉を下げた。
その時に丁度他の客が入ってきたので気付かれぬように足早に見世を出る。


ごん、と身体がぶつかりよろりと傾く。だが、日々鍛錬を行っている忍びは扱けることなく立ち上がることが出来た。
この人の多い場所で一人一人の気配を感じるのは不可能に近いことだが、せめて直前に気が付ける程に精進しなくては、と戒めながら倒れてしまっている男へ寄る。歩く自分と男がぶつかって吹き飛ぶと言うことは走ってきたのだろう、と彼女は察しをつけ男を見遣った。

「おめえ何してくれとんじゃ! ああ?」


しかし次の瞬間には忍びの襟元はぐいとひっぱられた。

(しまった・・・)

忍びは野党のような汚い男を見て面倒だと言わんがばかりに顔を顰めていた。


20101204