「足軽、進め」
へたり込んだ振りの忍びと笑顔を浮かべていた男の周りに鋭い声が響いた。その合図と共に囲うように出でたのは緑を基調とした鎧、参の星が描かれた軍旗。毛利軍であった。
「毛利軍か」
くそ、と顔を顰めたその男は至極当然のように町娘の格好をした忍びを自分の後ろに隠した。忍びは今はされるがままがいいと判断し、その広い頼りがいのある背に守れていることにする。
「城下が騒がしいと駆けつけてみれば、貴様か」
長曾我部。
忍びの目の前にある男に吐かれた名は、忍びの考えていた人物に間違いはなかった。
毛利軍の智将、毛利元就。忍びの主はちらりと彼の後ろに隠されている女を見遣って大層顔を顰めた。
「貴様の背後にあるそれはどうした」
「うるせえよ。テメエには関係ないだろうが」
じわじわと近づいてくる兵に元就は静止を掛けると、ふんと鼻で笑う。長曾我部軍とそれはもう一歩も動けぬ距離であった。
「関係などどうでもよいわ。此処は我の統べる地。その意味を理解出来ておらぬのか」
頭の足りぬ鬼よ。
完全に見下した口調に長曾我部は顔を歪めるが、毛利の言っていることは事実であり反論する余地は無かった。
ちっ、と苛立ちを露わにさせた長曾我部はぐるりと囲んでいる毛利軍を見遣る。それから忍びを見て笑顔を浮かべた。
「なあ、毛利さんよお。今回は見逃しちゃあくれねえか?」
「ふん、何を申すかと思えば。」
呆れてものが言えぬわ。
はっ、と半ば吐き出すように笑った毛利元就を見た長曾我部元親は恩に着るぜ、と名の通り鬼らしく笑みを浮かべた。そして、後ろに隠していた町娘の格好をした忍びの手を握って一気に駆けていく。
忍びはちらりと振り返った。
しかし、主は長曾我部軍の誇る要塞の様子を偵察させるために態々、戦忍である自分を城下へやったのだ、と察し忍びは前を向き、長曾我部軍の中に紛れてしまう。
元就はじとりと忍びを見つめ、姿が見えなくなるとくるりと踵を返した。忍びの主は感じたことも無い怒りを胸の内に秘めたまま、兵と共に城へと撤退したのであった。
「なあ、あんた行く宛てあんのか?」
町を抜け、海が近くなった頃、長曾我部軍について行く町娘の格好をした忍びに長曾我部元親は尋ねた。その顔は先程まで対立していた毛利に見せるような鬼の面は無く、穏やかなものである。
忍びはこくりと長曾我部元親の目から己の目を離さずに頷く。自分には行く宛てがありませんと暗に示すためであった。
「そうかい、なら名を教えてくれよ」
豪快に笑った長曾我部元親は町娘の背をばんばんを叩く。彼女は痛みから逃れると首を振る。そして先の見世棚の娘に対してと同じように声の出ない喉を抑え笑った。
「あんた、声も出ねえのか」
こくりと小さく頷いた町娘に長曾我部元親はその隻眼の瞳に同情を込めて優しく頭を撫でるのである。
20101217