忍びは周りを見るためにこの下衆男から視線をはなした。わらわらと野次馬共が集まり始め、好奇な目でその忍びと男を捉えている。

(ちっ・・・)

いつもの忍びであればこのような男、目にも止まらぬ速さで始末することが出来る。しかしここは忍びの主である毛利元就の統べる地だ。民衆の前でそのような強硬手段に移す程知が乏しくは無かった。

「あんた、偉い別嬪だなあ?」

てめえが俺を慰めてくれるってんなら、勘弁してやってもいいぜ?
にたにたと薄汚い笑みを浮かべながら値踏みするような目を向ける男。忍びは薄く口を開いて息を吐き出した。全く何処までも賤しい者だ、と忍びは心中呆れる。

(逃げて、始末するか)

いくら本来の性の格好だとしても、忍びが武器を忍ばせていない訳がない。忍びは太腿を手で確かめる程度に触れ、苦無を忍ばせていることを確認し周りをもう一度見渡す。
突破口は無いことを確認すると忍びは人の薄いところを探す。あわよくば森林があればいい、と視線を漂わせていると不意に男が更に近づいてくる。忍びはすぐに下衆な男に視線を戻せば、その黒く汚れた手で顎を持ち上げられる。

「どこ見てんだ?まさか、逃げようなんて思ってんじゃねえだろうな?ああ?」

忍びは触れられている手から逃げるように数歩後ずさり、町民の娘らしく目を動揺させる。それはまるでか弱い町民らしかった。

その様子に気を良くした男はおら、行くぞ、と忍びの手首を掴んで足を進めていく。

(しめた)

苦無をするりと音も無く取り出そうとした。
しかしさっとそれを終う。

「おい、その女どうしたんだ」

後ろから同じような風体な男がやって来たのだ。忍びは目だけを背後にいるその男へ向けちっ、と聞こえぬように舌打ちした。

「いやあ、こいつに慰めて貰おうと思いやして」

へらへらと笑みを浮かべもう一人へ頭を下げる。男は忍びを見て連れてきた男と同じ表情を浮かべた。

「ほう、上玉じゃねえか。俺にも寄越せよ」

ぐっと眉間に皺を寄せて忍びは二人を見た。世の中の男とはそういう生き物なのかと愕然としながらも忍びは、このままであると自分が不利に追い込まれていくだろうと判断した。まだ二人なら大した手間も掛からず済む。そう思った忍びはまず人気の無いところに駆ける。

「あ!あのアマ!ふざけやがって」

「待ちやがれ!」

ぶっ殺すぞ!と男二人が野党らしくついに刀を抜いた。忍びは背後に気を掛けながら、森までの道を駆けていく。その途中あちこちで町に悲鳴が湧き上がり、更に速度を上げた。

はあはあ、とわざとらしく息を切らしながら逃げるように走る。忍びである彼女自体は普段よりも遅いその速度に苛立ちさえも覚え始めていたが、まだ町だからと忍びは自分自身を抑えた。

「ちょいと待ちな!」

もうすぐで町から出られる、忍びは安心しようとした時だった。掠れた声が響いた。
忍びは仕方なく、縋るように相手を見つめ息を切らし続ける。幼き頃から忍びとして叩きこまれた彼女にそれは容易なことだった。

「ぐっ! て、てめえ退きやがれ!その女はなあ」
「アニキに向かってなんて口の利き方してんだ!」

銀色の髪の男の後ろには大勢の男。忍びを背後へやった男からは潮のにおいがした。全てのことに忍びはぽかんとしてしまった。
兄貴、そう船員に慕われて止まない海賊は、我らが毛利軍の敵対勢力にある長曾我部軍の将、長曾我部元親以外思い当たらないからだ。
みるみる小さくなっていく、先程の野党。最後には逃げてしまった。

茫然と佇んでいるとその隻眼の男、兄貴と呼ばれている男が忍びへと視線を向けた。

「大丈夫か?」

へたりと地に腰を下ろす。そしてこくりと頷くと安心しな、と豪快に笑ったその男は忍びの頭を撫でた。


20101212