ある博士のケース


【CASE:1】


私は、彼らよりも一足先に、ボストニアス号へ乗り込んだ。
機体の整備や、レイモンドと詳細を確認する意味もある。しかし一番は、彼の目の前でレイトン夫妻と顔を合わせたくないという理由からだった。
彼を危険な旅に連れ出す後ろめたさもあったし、計画が台無しにならないようにという用心でもあった。
もっとも、それらの言葉では表現できないくらいには、私の胸の内は複雑だったのだが。

「手紙を読んだ時には、まさか世界旅行になるとは思わなかったな」

背後から声がして、私はふり向いた。ライアーが立っていた。

「旅行というほど安全でもないよ。キミも見ただろう」
「ああ。しかし、なんだな。学生時代に戻ったみたいだ」

ライアーは、今にも鼻歌を歌い出しそうな態(てい)で階段を下った。
口許が笑っている。

「気楽なものだ。やっかいな旅になるというのに」

私の口から、呆れたような溜息が出た。

「気楽にしていたら、なんでもないことのように思えてくる」

ライアーは動揺を誤魔化そうとしているように見えた。
私と目を合わせようとせず、ソファに腰掛ける。事態がただ事ではないことを察知しているようだった。
当然だ。あんなにも近づきたがらなかったデスコールが、自らレイトン教授を呼んだのだから。

「…呼ばれたこと、後悔しているか?」

ふいに聞きたくなって、私は訊ねた。

「いいや? 来たのは自分だし、お前が過程を説明する奴でないことはわかっているさ。今更だ」

ただ、とライアーは言った。

「多少は、語ってくれないものかと思うけどな」
「………」
「ほとんどの人にとって…見えない月は、ないのと同じだと言われている」

私は黙っていた。
ライアーは猫に語りかけるように、ゆっくりと背を撫でていた。キートが「ニャア」と鳴いた。

「下にルシールおばさんが来ていた。お前が呼んだのか?」
「ああ」

私は機器を確認しているふりをして、ライアーから目を逸らした。
窓の外では、彼がレイトン夫妻と会話している。

「本来なら、キミにも……彼のような時間を、設けるべきなのだろうね」
「いくらお前でも、いない人間を呼ぶことなど出来ないよ。デスコール」

ライアーはその名詞を口にして、撫でていた手を止めた。髪が揺れた。
上がった顔は、笑んでいるようにも見えた。
唇が動いて、

「さて博士。これから世界への旅に出るわけですが、整備はお済みなのですか?」

急に立ち上がって、ライアーは口調を変えた。

「……今、レイモンドが最終調整を行っている」
「そうですか。では、私もお手伝いすることにいたしましょう」

ジャケットを翻して去る後姿が扉に消えると、別の方向から、騒がしく階段を上る音が聞こえた。
私の中にもフォスター・サーハイマンが戻ってきて、私は彼らを迎え入れる準備を整えた。



わかつ前の、短き走馬灯――。
全てを終わらせる旅の始まりだ。

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