黒きカラスと准教授


古い橋だった。

俺は渡り終えた双子橋を振り返った。感じた揺れに少々の疲れを覚える。
峡谷の下は水だった。
――ミストハレリ。霧の街と呼ばれるそこは水に囲まれており、街中に水路が巡っている。自然が豊かで、飲み水は最高においしいという。

俺がここへやってきたのは、この街にあるひとつの店が目的であった。

市場へ入る。
左右には、日差し避けの布が張られた店がいくつかあった。ごろごろと無造作にリンゴが置いてある。誘うようにつややかに、赤く色づいていた。

「あのおばあさんね。ここの子供に飴を売ってるの」

店番のバンダナを巻いた少女は答えた。俺はリンゴを受け取る。ずっしりと重い。身が詰まっているようだ。

「とってもおいしいんだけどねえ」

入口にいたご婦人の話だった。飴売りの婦人だ。
彼女が売り物を落とした場面に偶然居合わせた俺は、散らばった飴を拾うのを手伝ってからここへ入ったのだった。

「大人には売らないと言っていたな」

会話自体は短いものだったが、その中に繰り返し出てきたことを思い出す。子供には楽しみがなくっちゃね、と言った婦人は、お礼だと言って飴を数個渡してくれた。

「そんなに美味いのか?」
「そうよー。ゴンなんて大ファンなんだから」

食べたかったらその子に交渉してみてね、とウインク付きで言われる。
ポケットに入っているよ、と心の中で答え、俺は礼を声に出した。その場所を後にする。


目的地はこの先だ。


店の間を進むと、道が三つに分かれていた。
右と正面の道は比較的明るいが、左は薄暗い。裏通りの印象を受ける。
俺はしばし道を見比べて、右へ足を進めた。少し行くと少年と少女の二人組がいて、二人で話をしていた。

「あれ、おにーさん。見ない顔だね、観光客?」
「いや」

俺は、自分の目的地について訊ねた。二人はそろって首を振り、戻って左の道を行くことを勧めた。

「くわしい人がいるんだよ〜」
「おにーさん人が良さそうだし」

二人は笑う。

「そうか、ありがとう」


俺は戻って、薄暗い左の道に踏み入った。目的地は一風変わった店だと聞いたし、こちらにあってもおかしくないかもしれない。

しかし、そこにいたのはの鉄くずの箱と、階段に座る一人の少年だった。
店は一軒もない。少年が俺に気づき、帽子をかぶり直すようにして立ち上がった。

「なんだい、お兄さん。ここはアンタのようなのが来るところじゃないよ」

少年は言った。片目が髪で隠れ、赤いベストを着ている。ズボンは青い。
首にはマフラーのような布を巻いており、彼はそれを軽くつまむような仕草をしてこちらを見た。

「すまない、とある店を探しているんだ」
「店かい?」

駄賃をくれるなら案内してやってもいいぜ、と彼は言った。

「自分で歩いたほうが得だけど」
「君が詳しいと聞いたんだが」
「オレが?」

少年は、意外そうに眉を上げた。目を大きくしたその様子は、年相応の印象を受ける。

「向こうの通りにいた子たちが教えてくれてね」
「ポコとポエムか?」
「名前はわからないが、二つ結びの女の子とゴーグルの男の子だ」

俺は特徴を話す。彼は眉をしかめ、階段から飛び降りた。華麗に着地する。
軽やかな身のこなしだ。俺は感心を覚える。

「お兄さん、騙されたな。ったく、そういうことはするなって言ってるのに」

少年は不機嫌を露わにし、腰に手を当ててため息をついた。そこで俺は、リンゴ売りの少女が婦人の情報しか話さなかった理由を知ることになる。

「なにも知らない観光客をオレにあてがって、こづかいを稼ごうってわけさ」

誰も答えなかったろ? と聞く少年に、俺は頷いた。
鉄くずを拾うよりも楽に稼げる方法がある。だが個々でのチップ交渉は危険を伴うから、彼女たちはとりあえずリーダーの自分に客をまわす。自分は相手や内容に相応しい値段で交渉する。場合によっては追い返す。

少年が話したのは、そういうことだった。

「……言ってしまっていいのか?」

俺が少々思考してから返すと、少年は大きく笑った。

「ははっ、そういうところが付け込まれるんだぜ。オレは良い子の味方じゃないが――」

少年が、俺の左手を指差す。

「求められる前に情報料を払うような馬鹿は、きらいじゃない」

俺の左手には、ここに来るまでに買った品物が入った、大きく重い紙袋があった。

「情報を聞くときには対価を払っておくといい、なんてことは知ってるのに。それを路地のやつらにやればよかったじゃないか」
「そのつもりはなかったんだが……。癖かな?」
「こわい癖だな。そのくせ裏の人間には見えないし、何者だよ?」
「ただの一般研究員だよ。所属はグレッセンヘラー」
「ウソだろ?」
「本当さ」

知らず知らずのうちに、交渉事が得意なあいつに影響を受けていたらしい。
俺が指摘に苦笑いを返すと、少年はふっと息をついた。

「ウソだとしても、オレには相手できなそうだ」
「本当だって」
「わかった、信じるさ。そしてそれなら、もう十分なくらい情報料をもらってる」

ついてこい、と先行く少年の後を追う。
裏路地を進んでいくと、特徴的な顔立ちの少年に出会った。

「あーめんどくせ。立ってるのもめんどくせえなあ」
「おいプチック。客だ。避けてやれ」
「なーんだ、アンタ来たのか。めんどくせえ」

めんどくせえ、が口癖らしいその少年は、片目の少年の指示で素直に動いた。塞がれていた道が開く。

「休んでるところを邪魔して悪いな」
「こんなところに来るなんて物好きだぜ。アンタめんどくさくないのかよ」
「ここのは、冷えによく効くと聞いてな」
「それでわざわざ? はあー、めんどくせえなあ」

感嘆なのか呆れているのかよくわからない声を出す彼が避けた先にあったのは、一軒の商店。
怪しげな乾物がぶら下がっている軒先の奥には、いくつもの瓶が並んでいる。その手の商品特有の、独特な匂いが漂う。
漢方薬を扱う店だった。

「水がいいからだろうな」

俺が独りごちて購入を済ませると、左右の手は塞がった。リンゴは重いが、漢方は軽い。俺は左右を持ち替え、左手を休めた。
再び少年の後をついて行くと、明るい道に戻った。初めの分かれ道であった。

「じゃあ、あとはわかるな?」
「ああ、おかげで助かった。もう一ついいか?」
「なんだ?」

俺は袋を抱え直し、右手を開けてポケットへ伸ばす。そうして、いくつかの飴を取り出した。

「これをもらってくれないか?」
「駄賃ならいらないよ」
「俺は甘いものが苦手でね。せっかくいただいたんだが、見ての通りの大荷物だ。減らすのに協力してくれ」

俺が言うと、少年は「そういうことなら」と言って飴を受け取った。その瞳には、やや嬉しそうな色が見える。

「みんなには内緒で頼むぞ、少年」
「……クロウだ」
「ん?」
「オレの名前はクロウ。黒カラス団のリーダーさ」

少年は胸を張るように、親指で自分を示した。黒カラス団というのは、市場で会った子供たちの集団の名前なのだろう。
俺は懐かしさを感じて微笑んだ。毎日が大冒険気分だった昔を思い出す。

「そうか。ありがとうな、クロウ」


名を呼べば、彼ははにかむような笑顔を浮かべた。




130111
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実は闇市やってるなんて想像もしない純教授(ダジャレ)な話
黒カラスのメンバーは結構すごいことやっているよなあ。


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