准教授と3つの邂逅
休日。朝には遅く、昼には早いブランチの頃。
私はロンドンの町中を歩いていた。今日は良い天気だ。
私は食事のとれる店を求めて、のんびりと歩を進めた。空腹は表立って訴えるほどではない。街の景色を楽しむ余裕もある。気楽なものだった。
ふと、誰かとお茶をしている友人が視界に入った。オープンテラス。四角いテーブル四人掛け。人数は二人。二客のカップ。ごく普通のよくある情景だ。
ただそれだけのことなのに、何故かそれが引っ掛かった。横顔を見せる彼の元へ歩み寄り、声をかける。彼は私に気付くと、軽い挨拶を返した。
連れを見る。仕立ての良いダークグレーのスーツ。細身の、金属フレームの眼鏡。交錯した瞳を反射が隠す。わずかな既知感。しかし、相手に心当たりがない。
友人が話しかけてきた。私はスーツの彼から視線を外す。二言三言。会話を交す。
と、連れの男性は新聞を読み始めた。二人は会話していたように見えたが、相席者だったのだろうか。
「よい一日を」
友人が手を振る。結論を出す前に私の思考は霧散した。よい一日を。私も返す。手を振り別れる。あまりに普段な、通常過ぎる私達だった。
彼らとの距離が離れていく。街の喧騒が戻る。邂逅は日常に紛れていく。
私は違和感を忘れた。そして、この出来事。その存在さえ――。
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普段ならば、このようなプライベートの席に声をかけるような奴ではないはずだが。今日は違っていたようだ。
奴はわざわざ近付いてきて、普段するように帽子を上げ、挨拶をした。椅子に座るネイビーブルーのジャケットの男、すなわち私の連れも、手を上げて言葉を返す。
「なんだ、買い物か?」
問う連れに、奴は自身の身の上を報告した。研究室で夜を明かすことは免れたものの、就寝が遅かったらしい。当然目覚めもずれ込み、散歩がてら食事のできる店を探していると話した。そして振り向く。
目が、あった。
時間にして数秒。奴が私を眺める。
感覚にして十数秒。私も奴を見返す。
「――レイトン」
連れが呼びかけて、奴はその視線を外した。私は手元のタイムズに目を落とす。二人が会話を交す。
「この先の店に、美味いパンが置いてあるんだ」
「本当かい?」
「今なら、そうだな。焼きたてに間に合うかもしれない」
奴がちらり、と私を見た気配がした。私は気にしない風を装う。
運がいいと言う連れの嬉しそうな声と、礼を述べる奴の声が耳に入る。私は文字を追う。
そしてまた二言三言会話を交した後、奴は去っていった。いまだタイムズを見つめる私に、連れが言う。
「動揺したか?」
私はネイビーブルーを視界に捉えながら言葉を返す。
「まさか。ありえん」
言い捨て、私はそれを畳む。
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俺が問えば、新聞に向いていた顔がようやくあがった。手元のロンドンタイムズが畳まれる。
「だが、今日の奴はしつこそうだ」
いつものように尊大な態度でこちらを見やる。それは、先程までの静粛ぶりが幻だったと思えるほど。毎度のことだが、その技量の高さには舌を巻かざるをえない。
「面倒なことになる前に、場所を変えるぞ」
言うが早いか立ち上がるダークグレーを、俺は慌てながら見上げた。
「ちょっと待て、残りがまだ」
「そんなもの、後でいくらでも飲めばいいだろう」
細い金属フレームの眼鏡の奥で、彼の瞳が煌めく。譲る気は皆無のようだ。
俺は溜息と紅茶を残して立ち上がる。振動で、カップの中の琥珀色が波紋を作った。
「食べ物の恨みは恐ろしいぞ。ジャン」
届かないのを承知で、先を行く背中に文句を投げれば。
にやり。振り返ったデスコールは笑ったのだった。
20130109
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