【それからの話】
-ANDANTE-
キノと恋人同士になってから、どのくらい過ぎただろう。国を出発して、野宿をして、モトラドで走って、また別の国に入って。
当日にすこし抱きしめあった程度で、キノはあまい言葉をささやくこともなく。手をつないだりすることもなく、ましてやキスなんか、もってのほかというかんじだった。
平常――。
キノは、なんにも変わらない。
一方の私といえば、恋人というやつになったのだから何かしなくてはならないのではないかと思って、いろいろと画策してみたりしていた。
お茶を飲むときにさりげなく近づいてみたり、手をにぎろうとして凝視に終わったり。
夜のホテルで意を決してシャワーを終えてみれば、キノはすでに夢の中だったり。待ち構えたあげく、湯冷めするから先に寝てくれと気を使われたり。
こうしてならべてみると、初々しいというか、浅ましいというか。私は、以前の関係などどこかに落としてきたように不自然だった。
キノとは何を話していたっけ?
私はどんなふうに過ごしていたんだっけ?
「レイ、さいきんおかしいよね」
「うえっ!?」
ある日エルメスが指摘して、私はノドがひっくりかえったような声を出した。入国初日の夜を迎えようというところだった。
「な、なに言ってるのエルメス、そんなことないよ!」
「動揺してるじゃん」
「し、してない!」
私はわたわたと手を動かして、そんなことをしている自分に気付いて勢いよく手を下げた。直立不動になる。
「…うん、変かもしれない」
「でしょ? キノ」
エルメスの向こう側でかばんを見ていたキノが、怪しむような目を向けてきた。私は息を飲む。
「レイ、何かあった?」
ぎくりと肩が震え、
「ない! ないよ! キノじゃないから!」
「………ボク、なの…か」
「あ! あーっ、ちがう!」
「…ボクなんだね」
必死の抵抗もむなしく、キノはため息をついてかばんを閉めた。
エルメスのそばでしゃがんでいた格好から、立ち上がって私へにじり寄る。
私は思わず後ずさりをして、すぐにベッドにぶち当たった。
「きゃっ!?」
「レイ!」
ひざ裏がひっかかって倒れこむ。ベッドが一回大きく跳ねて、視界が揺らいだ。
失態だ。
「…ボクが、どうしたんだい?」
ふう、と息を吐いて、キノは静かに尋ねた。
「キノじゃないよ…」
「どう見てもボクじゃないか。いま、逃げようとしなかった?」
「………」
見下ろすキノが右手を差し出してきて、私はつかまり起き上がる。
ベッドに腰掛けるかたちになって、キノは向かいの自分のベッドへ座った。
こんな些細な出来事だって私は、横に座ったほうがいいのかな、などと考えてしまうのだ。
「ボクが原因なら言ってほしい」
キノは私を見たあと、すこし目を伏せた。
めずらしく歯切れ悪く。太ももに乗せた指をにぎりしめ、言いにくそうに、弱弱しい声で言う。
「じゃないと、……不安なんだ」
ぽつり、と。
「ボクの告白のせいで……レイに、無理をさせているんじゃないかって。気持ちを伝えたことは後悔していないけれど……勝手だった」
「キノ、そんなこと…っ!」
私は慌てた。思わす立ち上がって、でもどうしたらいいかわからなくて、もう一度腰をおろす。
「……ごめん…キノ」
「…いや。いいんだ」
沈黙が降りた。
どう言ったらいいんだろう。どの言葉を使えば、キノに気持ちを伝えられるんだろう。
本当は私だってキノが好き。だからこそ、恋人なんだって意識しちゃって、がっかりさせたくなくて。でもうまく話せなくて。
きらわれちゃうかもって不安で、こわくてしかたない。
「キノ…。うまく言えないんだけど、聞いてくれる…?」
私は意を決して、聞いた。
キノは悪くないのに、私が全部悪いのに、謝ったらきっと「ボクもわるかったよ」って言って許してくれる。そんな気がして。
だから言えると思う私は、とてもずるい。
「ああ」
「あの、あのね……私たち、その。恋人……に、なったでしょう?」
「…そうだね」
「それでね、…。………」
「………」
「ごめん、あの…」
「大丈夫。ゆっくりでいい」
キノの気遣いが後ろめたくて、私は目を伏せる。
「……私…恋人になったから、その。なんかしなくちゃって思って」
「………」
「そうしたら、今までどうやってたか、なに話してたかわかんなくなっちゃって…、混乱して……」
正直な気持ちなのに、いいわけをしている気分だ。
「それで、不自然に?」
「うん。…私……ちゃんと応えたくて…」
「そんなこと…。ボクの気持ちを知ってくれているだけで、ボクは十分だよ」
「………ごめんなさい」
キノがやさしくしてくれるから、私は泣いてしまいそうだった。もうしわけなくて、なさけなくて、自分が嫌になる。
涙と感情があふれて、私は。
「キノ、こんな私、キノにふさわしくな…」
「――レイ」
名を呼ぶキノの声が固く聞こえ、反射的に顔をあげた。
「それは、言ってほしくない」
低くて、するどく、怒りを含んだ声だった。私は言いかけた言葉を飲み込む。
キノの瞳が私に気付いて、一瞬わずかに顔をしかめる。そして、すぐ目をそらされた。
「……ごめん。ボクはもうシャワーをあびることにするよ。冷静になれそうにないから」
「あ……キノッ…」
「話は明日にしよう。いいね」
有無を言わさぬ口調で、キノはシャワールームに消えた。私は呆然と、いや、愕然として見送るしかない。
ぱたり、という扉の閉まる音が、やけに耳に響いた。
***
次の日。私たちが入国して二日目。
キノはいつもどおり、日がのぼるころには私を起こしてくれた。
「起きて、レイ。朝だよ」
「ん……おはよう…キノ」
「ああ」
黙ってパースエイダーの分解と掃除をすませ、体を動かす。
部屋を出て、静かな中で朝食をとる。
――違和感。
でもそう思っているのは私だけで、キノは平気なのかもしれなかった。いつも私ばかり話しかけていたような気もするし、もしかしたら、普段から迷惑に思っていたのかも。
つい後ろ向きになる思考を、手を動かすことでせきとめる。
「…キノ」
「なんだい」
「あの、昨日の…」
「後にして」
「…うん…」
「………」
「………」
「…ごちそうさま」
「ご、ごちそうさまでした」
空気が重い。
私が画策していた時も会話が途切れることはあったけれど、嫌な間じゃなかった。でも今は、ひたすら沈黙がのしかかる。
「ただいま」
「おかえりキノ。エルメスは起こしたよ」
「ありがとうセシル」
「どういたしまして。レイも早く入ってきな。扉閉められないでしょ」
「…うん」
私が中に入ると、キノは扉を閉めた。カギをかける。
がちゃん、と金属音が冷たく響いた。
「すこし休んだら買い物に行こう。この国は琥珀が名産らしい」
自動式じゃないから当然の行動だというのに、勝手にそこから無言の怒りを読み取る私は、どうしようもないばかだ。
早く謝りたいけれど、キノは休憩中もそれを許さなかった。目覚めた時以来、一度たりとも目線が合わないまま。
しばらくして、私たちは買い物に出た。
宝石店に寄って、キノが琥珀を見る。私はそれを聞いたり、店内を見回ったり。
「このブローチなんかおすすめですよ」
「ありがとうございます。じゃあ、1ケース」
「こんなのも、めずらしいと思いますが」
「石が大きいですね。では、それも」
「ありがとうございます」
「レイ、これ」
「うん」
そして差し出された荷物を、セシルに積むけれど、それ以外に言葉はなかった。
キノは無言のままエルメスのそばに立ち、手袋をつけ始める。
「…キノ、次はどこに行くの?」
「お昼だから。食事に」
「…そう。わかった」
キノの顔は少したりとも手袋からはなれず、返事はそっけなかった。伏せられた目が遠い。
「キノ…あの…」
私がなにか言う前に、キノはエルメスのエンジンをかけた。爆音で、私の声は聞こえなくなる。
「あの角を左。看板があるらしいから」
「…うん」
私もエンジンをかけて、セシルを見る。視界の端で、キノがエルメスにまたがるのが見えた。そのままキノは走り出す。
つん、と鼻の奥が痛くなって、じわりと視界がにじんだ。
私はキノにきらわれたんだろう。あきれて、怒って。
キノはこのまま離れるつもりなのかもしれない。
…いやだ。旅が終わるかもなんて、キノがいないなんて、そんなの。
さみしくて、つらくて。こんなにも、キノのそばにいたい。
「……きのぉ…」
あの時はよくわからなかったけれど、私、こんなにキノが好きだったんだ――。
「…っ…」
流れそうになる涙を、手の甲で乱暴にぬぐう。
セシルのエンジンをかける。ぐっと歯をかみ締め、私は前を向いた。
私はキノを傷つけた。許してもらえなくても、とにかくあやまらなくてはならない。あやまりたい。
そして一緒にいたいって。ちゃんと自分の気持ちを伝えて、キノの返事を聞かなくちゃ。
キノの気持ちを受け止めなくちゃ。
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