【ある夜のはなし】
-I can trust you.-





夢を見た。こわいこわい夢。
夢の内容は全然覚えていないというのに、その感情だけがしつこく残っていた。

ベッドから起き上がる。暗闇でよく見えないが、キノは良く寝ているようだった。
耳が痛いほどの静寂。時計を見ると、朝まではまだまだ時間があった。

(気分でも変えよう)

そう思い、そっと洗面所へ向かう。大丈夫。見えなくとも、配置くらいは覚えているのだ。
一度もつまずくことなく、そして誰を起こすこともなく、私は無事に洗面所へたどり着いた。

電気をつけ、蛇口をひねる。水がタイルをたたく音が響いた。
ばしゃばしゃと顔を洗い、鏡を見て、ふと、髪をすこし整えた。エルメスが見たら、どうせまたすぐに寝るのに、とか言いそうだ。

エルメスの声を頭の中で再生し、思わず笑みがこぼれる。そこにセシルが反論して、キノはセシルに同意するのだ。
エルメスのひとり負け。

場面を思い浮かべると、また笑みがこぼれた。
楽しい気分になってくる。うまく切り替えができたみたいだった。

明日も走る。もう一眠りしよう。

私は頬を一度、ぱんっ、とたたいた。蛇口を戻して水を止める。
電気を消すと、あたりは再び静寂に包まれた。
みんなを起こさないように、前にも増して慎重に部屋へ戻る。

一歩、二歩、三歩。
そろりそろりと歩いてゆくが、エルメスもセシルも、キノでさえ起きる様子はなかった。
ベッドに戻り、毛布をかぶって目をつぶる。

「………」

眠れない。
目が冴えているようだった。天井をぼーっと見つめるが、眠気はまったくと言っていいほど来なかった。
どうしたものか。

そのうちに闇に目が慣れ、私はキノのベッドやエルメス、セシルが見えるようになってきた。
ごろん、とキノの方を向く。
キノはこちらに背を向けていて、ぴくりともしなかった。熟睡しているらしい。

「………」

ふと。

世界にひとりだけ、まるで私しかいないような感覚を覚えた。
暗闇。
静寂。
沈黙。
動くものはなにもない。
言いようのない不安が私を襲う。

このまま朝は来なくて。キノは起きなくて。

誰ひとり動かずに。
ずっと私だけ。暗闇で。

私がここにいることは、私しか知らない。
私が動いていたということは、私しか覚えていない。
このまま闇に飲まれて消えてしまっても、彼らは気づかずに。いたことさえ忘れて。
私だけが、このまま。
ひとりぼっちになって、いやむしろはじめから、ここに取り残されることになっていて。
いないことにされて。
そうして消えていく、私がいた時間。
誰の中からも消えた私は、存在していたと言えるのか?
むしろ、今現在。

果たして私は――、


(本当に“存在”してるの?)





「───ッ!」

息が詰まる。
なんだか今、凄く恐ろしいことを考えたような気がする。

呼吸がうまくできなくて、体が小刻みに震えていた。きちんと動くのか心配になって、起き上がってみる。
毛布に包(クル)まり、ベッドの一点を見つめた。

「…………」

音が無い。
集中しても、聞こえるのは自分の鼓動だけだった。

(なんで)

鼓動が激しくなる。

(そんな)

音がなかったはずの空間を、耳を。心臓が支配する。

(わたしは)

明日を迎えることができるのか?

(怖い)

このまま消えてしまわない保証があるのか?

(こわい)

誰もいない世界に取り残されたのではないか?

(いやだ)

黒かったはずの空間が白んで。

(いやだ!)

消えたくない。

(たすけて)

だれかをよばなくちゃ。

(だれか、)

ここにいるって。だれかに、いわないと。

(だれ)


――誰?






「………キ、ノ……」


***




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