Spring Rainy Show(1/2)


4月8日。朝の早い時間。
駅前のロータリー、長いペデストリアンデッキの下を歩きながら、私はつぶやいた。

「…さむい…」

ようやく寒さも和らいできて、春の訪れを感じる時期だ。
もう冬のコートを着なくても大丈夫で、特にここ最近は暖かく、薄着でもかまわないくらい。
けれども今日はその限りではなく、人々は、一様に肩をちぢめて歩いていた。雨が降っているのだった。

昨日までの陽気はどこへ行ったのか。
私も同じように、体をちぢこませながら、ポケットに手を入れて歩を進める。道路を横切る横断歩道を渡って、アーケード街に入る。このルートなら、傘を差さずとも濡れることは無い。寒さは変わらないけれど、だいぶましだと思える。

いくつか道路を渡って、信号で止まる。アーケードの切れ目だ。
ふと、私は顔を上げる。最近オープンした、できたての綺麗なビルが目に入る。
霧に濡れ、きらきらと輝いていた。太陽が出たらしい。

左右のシャッターと同じ色をしていたはずの空は、徐々に明るくなってきていた。
軽快なミュージックが鳴って、私は横断歩道を進む。
前方に、落書きが書かれたシャッターがあった。看板でもなく、宣伝でもない、意味のない落書きだ。
歩みを止めないのに目がそれを追って、首が曲がっていった。と、

「わっ」

軽い衝撃があって、私の足は止まった。
すこしだけ息が詰まる。余所見をしていたせいで、人にぶつかってしまったようだ。
すみません、と言葉が口をついて出て、

「ああ、君か」
「え?」

予想外の返答に、私はまぬけな声を出した。
まず、白い肌と、整った顔が視界に入った。さらさらと流れる髪に、どこか現実ではないような錯覚を覚える。
瞳がこちらを向いて、“芸術”という単語が浮かび上がり、

「グラフィティアートの秋」
「…春くん?」

私はぽっかりと口を開けた。

「変な顔」

春くんはくすりと笑って、「行動だけじゃなくて、顔も変なんだ?」と失礼なことを言った。

しかし、私はそれどころではない。
以前にたまたま出会い、グラフィティアートの話をし、私は駅のトンネルの絵も見に行ったけれど、彼とはさっぱり会わなかったのだ。
車を操り街の落書きを消している春くんと、電車に揺られるごく普通の生活をしている私では、行動範囲も行動パターンも違うのだろうと納得して、あれは不思議な思い出となったはずなのだが。

それが、こんな普通の休日に、しかも朝早くに、どんとぶつかって再会するなんて、なんだか映画のようで。
彼に似合っているなあ、などと他人事のように考えていた。

「仕事をしに来たの?」
「仕事?」
「落書き消し」
「ああ…、違うよ。今日はたまたま」
「たまたま?」
「なにか、新しいことをしてみようと思って。車じゃなくて、電車に乗って出てきたんだ」

春くんは、どこか楽しそうに言った。

「自分探しってやつかな」
「へえ」

私は、親しみのようなものを覚える。
春くんには意志と意見がしっかりとあって、学生時代でさえ自分を探すようなことはないとばかり思っていたけれど、案外人間らしいところもあるというか。
絵画の中の白昼夢が、急に現実の身近な出来事になったような気がした。

「それで、今日は何をするの?」
「特に決まってないよ。兄貴とは予定が合わなかったし」
「おんなじだ」
「何が?」
「私も、一緒に遊ぶはずだった友達がだめになって」
「ふうん」

春くんは唸りながら、私を見る。

「それで、そんな寒そうな恰好をしてるの?」

彼は、実は頭の中が読めるんじゃないかと思った。その通り、それで私は、薄着で寒さを噛みしめていたわけなのだ。

「寒そうに見える?」
「うん。俺はね」
「実は寒いんだ。映画の予定だったからいいかなって思ったんだけど」
「映画って、なにを見るの?」
「カタカナの監督のやつだよ。ゴタールだっけ」

私は身の上を話す。
前も思ったけれど、こんなにも端正な顔が目の前にあるのに、すらすらと言葉が出てくるというのは、不思議な体験だ。

「へえ」

春くんはすこしだけ目を大きくした。

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