01/03
黒澤は内心大変驚いていた。
自分が相手の気配に気付けなかった事はもちろんだが、一番驚いたのは相手の反応だった。
「こんにちは」
いつものように仕事、つまり空き巣を行っていた自分を見て一言そう言った青年は、そのまま黒澤の横を通ってキッチンへと向かった。
冷蔵庫の扉を開けて牛乳パックを取り出す。戸棚からカップを出し、それを注ぐと一気に飲み干した。
「ふう」
その一息ではたと気が付いた黒澤は、自分がその間硬直していたことを知る。開けていた引き出しを閉めて、彼の方に向き直した。姿勢を正す。青年がカップを置き、黒澤を見る。
何をしている、だとか、泥棒め、等といった言葉が来るのだろうかと予想し、その際の返答を頭の中で組み立てた。
こういう時、慌てるのは良くない。
青年がこちらに向かって歩いて来る。
一歩、二歩、三歩。そして。
「…………」
そのまま黒澤の横を通り過ぎた。
瞬間、思考が止まった。軽い風が髪を揺らす。
青年のスリッパの音がする。続いていたそれが止む。 無視されたのだと気付く。振り返る。
青年がドアの前に立っている。右手が動く。ノブに手がかかる。軽い音が鳴る。
きりりとノブが――、
「おい」
青年のあまりに予想外な行動に、考える前に勝手に口が動いていた。青年がこちらを向いたまま静止する。
なぜ彼は止まっているのかと考えて、自分が声を掛けたことを思い出す。ああ、思考が上手く回っていない。
「何をしているんだ?」
「え?」
青年が数回瞬きをした。
言ってしまってから、自分では有り得ないミスだと驚く。泥棒が家主に行動を問う、など。
彼は立ち去ろうとしているのだ。そのまま見送れば良いだろうに。
しかし、青年はすらりと答えて天井を指差した。
「えーと、受験勉強。二階で」
その指がキッチンへ向く。
「で、ノドが乾いて。ちょっと休憩」
そうして「本当は、休憩までは後30分早いんだけどね」と、悪戯っぽく笑った。
キッチンを差していた指が降ろされると同時に、ドアノブからも手が離れる。体を捻り、完全に黒澤の方を向きなおった。屈託無く笑う。
「おじさんは?何してるの?」
黒澤は考えた。正直に答えるのは簡単だが、今後の事を考えると得策とは言えない。
自分は、“一般的には人に言えない仕事”をしているのであり、それは、人に言ってしまうと自身が危険になる可能性があるという事なのだ。
だがしかし、ここで「泥棒をしている」と答えたなら、果たして青年は何と言うのだろう?
黒澤は突如として浮かんだ好奇心に刺激され、正直に答えた。
「俺は……そうだな。泥棒をしている」
イレギュラーな事態を楽しむというのも、たまにはいいものだ。それが毎回となると、勘弁してもらいたいものだが。
青年は目を丸くした。
「良いの? 言っちゃって」
「言ってみたくなった」
「ふうん」
青年の目が、猫の様に細くなる。
「おじさん、面白いね」
興味深い、楽しくて堪らない、といった表情だった。
「驚かないのか?」
「驚いて欲しいの?」
聞くと、青年はわざとらしく手を上げ、「わー、びっくり」と棒読みで答えた。そして、
「どう?」
「主役は獲れなさそうだな」
「それは残念」
手を口許に当ててくすくすと笑い、少しも残念がっていない声で言った。
「おじさんは獲れそうだね。それ、本当の話?」
「残念ながら、ノンフィクションだな」
「じゃあ僕は今、本物の泥棒と喋ってるわけだ」
青年は「ドラマで見るのとは雰囲気が違うね」と、どこか見当外れな事をひとりごちた。そして、名案を思い付いたと言わんばかりに手を打った。
「まあ、立ち話もなんだから。何か飲む?」
黒澤は頭の隅で、この青年は螺子が緩んでいるのでは無いかと考えた。
事実、下見通りならば暫く家人は帰ってこない。だからといって、見知らぬ泥棒と二人きりで茶会など、常識には入らない部類の思考方式だ。世の中には、居直り強盗というものがある。
しかしながら、とも考える。常識に入らない部類なのは、自分もそうではないか? 出くわした家人に話しかけ、そのうえ目的まで告げてしまったのだ。
黒澤は、自分の心を騒がす非常識な会話を続けることにした。
「いただこう」
口の端が緩むのを感じる。
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