脳内ブラックフォール


 うららかな春。
 新しい学年になって覚えたことと言えば、この世界への失望だった。
 量産型のコンビニエンスストアで無駄にきらきら輝いている、およそ生きていくには不可欠であるとは言えないであろうポテトチップス。お金がほしいと騒ぎたてながら、大量に物を買い込んでいく若い母親。毎日小腹を満たすためだけの揚げ物を買いに来る学生。夜中の長時間の立ち読み、疲れ切ったサラリーマン。
 そしてなにより、そんなところでアルバイトをしてしまっている自分。

 一分は60秒しか無く、一時間は60分しか無く、一日は24時間しか無く、一年は365日しか無い。
 それなのに、限りある一生の貴重な時間を無駄にする覚悟ができている人間がほとんど見られないというその事実が、希望にあふれるはずの新年度の私を失望へと追っていた。
 かくいう私も、たかだか数百円という安い時給と引き換えに短い一生のかけらを捧げてしまっているのだから、失望するなというほうが無理である。
 私はそんな毎日を過ごしながら、しかし自分では動くことは無かった。仕方ないだろう、誰もみな、自分がかわいいものなのだ。

 一方で、私が一目置いている人間もいた。
 そいつは訳のわからない、だが無謀で勇気ある不思議な人間だった。およそ娯楽小説に登場するような、普通ではない男だった。
 私は期待していたのだろう、この男がなにかしでかしてくれることを。このつまらない世界を変えてくれるのではないか、と。
 だが、この淡い期待は裏切られることになる。この男も、所詮普通のどこにでもいる人間だったのだ。


「陣内、何してんの」

 私は目の前の男に話しかけた。
 レジを挟んで向こう側、新製品のチョコレートを持って立っているのは陣内だ。目を見開いて、驚いている様子だった。

「お前、俺を知ってんのかよ」

 私は彼と同じ講義を受けている。なので、当然彼のことは知っている。というか、彼とは高校も同じだったはずなのだが。だいたいの人間は、クラスメイトの顔くらい覚えているのでは無いのか?

「そりゃ、まあ」

 私は答える。そして、陣内が昨日は立ち読みをしていたことを思い出す。
 読んでいたのは一般的な少年漫画だった。おそらく、彼くらいの年代の若者が一番よく見る雑誌だ。何が楽しいのか一時間半も立ち読みして、駄菓子を買って帰った。
 疲れないのか疑問に思って、入口のドアーが開いて反射的に「いらっしゃいませ」と口走った。疑問はすぐにレジへと消えた。

「マジかよ……」

 陣内が呟く。私は一昨日の陣内を思い浮かべる。
 買っていったのはやはり新製品の、塩味のポテトチップスだった。店内をうろうろと三周もしていて、早く帰れと苛立ちを覚えた。
 その苛立ちも、次の客の対応時には消えた。

「それに、いつも買い物に来てるでしょ?」

 一週間前の陣内を思い起こす。
 いつものように雑誌の立ち読みをした陣内は、その日は弁当を物色していた。パンやおにぎり、サンドイッチの棚から麺類まで、上下左右を眺めまわした後、彼はからあげ弁当を取ってレジへやってきた。よりにもよって、一番ポピュラーな弁当だ。
 私は出された品物にいらっしゃいませと応え、あたためますかと聞く。もう何百回もやりとりされた単語だ。おそらく考えなくとも言えるだろう。陣内は熱め温めなどのイレギュラーな注文をつけてくることも無く、短くハイと言った。暖めない場合はいいですと答える。まったくマニュアル通りである。

「覚えてるもんなんだな」
「常連は、うん。わりと」

 陣内は少し考える仕草をした。
 天気は雨。そして今日は休日だ。こんな日にコンビニエンスストアへ来て時間を潰す物好きな客は少ないようで、人工照明がきつい店内は比較的空いていた。
 私は立つのに飽きて、かといって自分で仕事を見つけるほど熱心でも無く、ぼんやりと頭だけを働かせていたところだった。

「こんな雨の日にまで来るなんて。大好きなんだね、コンビニエンスストア」

 私は半分呆れて、そして皮肉を込めて言う。そういえば、コンビニエンスストアの人工照明は昼間の太陽光と同じ明るさだと聞いたことがある。だから虫が太陽を求めるが如く人間が集まるのか、と当時は納得したものだった。あれは何の講義だったかというのはもう記憶に無い。

「なんだそりゃ」

 陣内は眉を寄せる。


 頭の中に、神仏化していたアイドルの俗物的な記事を見た時のような、もやもやとした黒い感情がある。普段ならば仕事で忙しさに任せ、忘れることができる怒りに似たなにかが、出口を求めてうごめいている。

「陣内はずるずる人じゃないと思ってたのに」

 私は衝動のままに口を開いた。くすぶったこの思考を、とにかく外に出したい。だだそれだけだった。

「ズルズル人? なんだよ、それ」
「目的も無くずるずる生きている人のことだよ。決断を先送りにする人」
「俺がそれだってのかよ」

 陣内は心外だというように、不機嫌さを露にした。しまったとも思ったが、常連の一人がいなくなっても自分には差ほど影響が無いのだと思い直すと、小さな後悔はたちまち消え去った。

「ふざけんなよ」

 陣内が強い声を出す。口論になるのかと気付くと、新たな後悔が首をもたげた。煩わしい。

「いいか? 俺はな、お前に会いに来てんだ」
「…………は?」

 一瞬ほど、理解できなくて時が止まる。顎に力を入れるのを忘れたようで、陣内は変な顔をしながら「口開いてんぞ」と注意してきた。

「なにそれ」
「レジに行くには買い物だろ」
「そうじゃなくて、その前の」
「は?」
「陣内、ひょっとして、私のこと」

――好きなの?

 問えば、陣内はハッとして顔をしかめた。乱暴に小銭を出して怒鳴る。

「待て、今のは忘れろ。俺には計画があるからよ」
「計画?」
「まだ鴨居もいねえだろうが」

 陣内は言うが、私に“カモイ”の心当たりは無い。友人といったところだろうか。

「とにかくな、忘れろよ。明日も来るけどな、いつもみてえに対応しろよな」

 陣内はお釣りを受け取って自動ドアーをくぐって行った。チャイムが鳴って、反射的に「ありがとうございましたーまたお越しくださいませー」決まり文句が飛び出る。馬鹿みたいに明るい、コンビニエンスストア専用の声色。

 陣内が客を呼び込んだのか、その後はにわかに忙しくなった。テレビ番組でも終わったかと推測し、帰路について、そうしてから推測を確かめることはしなかった。推測したことさえ忘れたのだ。

「疲れた……」

 呟いてベッドに入る。枕元の時計を見ると夜中の二時半だった。明日は授業があるぞと考え、眠りに着いた。



 朝。カレンダーを見て、今日は授業があると気付く。昨日の時計を初めとして、見たことさえ忘れた記憶が山程あった。

 その中で、なぜか陣内のことだけは覚えていた。




『脳内ブラックホール(+ルータ)』END
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彼方此方へ提出(題:亡霊
白城様、ありがとうございました!(text by倉庫番号31

陣内はこれにより“レンタルショップの告白”を行うことになる。みたいな

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