たまたま海の日と休みが重なって、病室には母さんが来ていた。午前中の間はいられるらしい。夜に父さんも来てくれるみたいで、二人が同じ日に来るなんてこと今までなかったから、本当に嬉しい1日になりそう。

だけど。少し複雑…


兄貴が会いに来てくれた日から、暫く調子が良くなかった。頭はぼーっとしているのに、身体はびりびり痛くって、意識も時々途切れたり、気絶した日もあった。

まさに身体全体が悲鳴をあげている状態。

薬を投与してもらっても、効果がきれればそれまでで。

ようやく安定したのが昨日の朝だった。

母さんが飾ってくれた海の写真は、兄貴が一人暮らしをしている神奈川の海らしい。東京の下にある県ってことは、社会科の地理で習ったけど、実際行ったことはないから、俺には遠く感じられた。

でもすごく綺麗だ。

右端にはタワーみたいなのがある島が写っていて、海は波を立てて光ってる。島の名前まで聞かなかった。聞いてもすぐ忘れてしまいそうだったし、何より知ったとしても行けるわけじゃないから。ただ苦しくなるだけだから。

「だいぶ体調よくなったみたいで安心したわ。颯太。苦しくなったら、すぐにボタンね?」

そう念を押されて、母さんは名残惜しそうに病室から出て行った。あんな表情されたらどうしていいかわからない。…複雑。


…俺は心配されても、何も返せないんだ


一気に気持ちが沈んで、目を閉じた。
お見舞いは素直に嬉しかった。病室は息がつまる。それを紛らわせてくれるから。

兄貴や両親、たまに黒子先輩みたいな兄貴のチームメイトも来てくれたりして、すごく楽しかった。

いつからかお見舞いが喜べなくなった。それは、心のどこかにそういう気持ちが沈んでるからなのだ。





「……颯太って俺以上にバスケ馬鹿なんスよ」

…兄貴?
うすぼんやりした意識の中に微かに話し声が交じる。はじめに目に入ったのは真っ白な天井だった。

「あ、颯太!起こしちゃったスか?ごめんね、寝てたのに」

『だいじょぶ……あれ?……かさ、まつさん?』

ガバッと飛び込んできた金髪の兄貴の隣には、黒髪の笠松先輩が座っていた。腕を使って身体を起こせば、「黄瀬がうるさかっただろ?眠かったら無理すんなよ」と心配そうな顔をされた。

『、大丈夫です。…慣れてるので』

「…家でもこうなのか」

「ちょッ!!そんなうるさくないっスよ?!!先輩もそんな呆れ顔で見ないで下さいっス!!」

酷いっス…と耳が垂れた兄貴が可笑しくて思わずくすっと笑ってしまった。

『部活は?』

「やって来たっスよ?ただ半日だし早く終わって…そん時颯太の話したら、先輩が会いたいって。んで一緒に来たってわけ」

「迷惑、だったか?」

『や、そんなことないです。むしろお会いできて光栄です!わざわざ来ていただいてすみません』

頭を下げてお礼をいえば、それまで険しかった笠松先輩の表情が和らいだ。試合中のキリッとした表情の先輩しか見たことがないせいかこういう柔らかいのは新鮮だった。

「なら良かった。実はお前の兄貴の話聞いてたら、思い当たることがあってな」

『思い当たる…ですか?』

「あぁ。あー…紛らわしいから颯太って呼んでいいか?」

『いいですよ』

「颯太ってミニバスのクラブチームに所属してたんだよな?キャプテンだったって」

『はい、4年に上がって高学年のキャプテンに指名されて…』

最初の頃は5、6年の目が怖かったことを思い出し、苦笑しながら答えた。それに先輩が「じゃあやっぱり…」と思案顔で呟いた。

「…それ月バスで取り上げられたことなかったか?都大会で優勝して、確か全国でも優勝したって」

あー…、そんなこともあったっけ。
フラッシュが凄くて、はじめてマスコミが怖いと思ったのを思い出し、身体が震えた。

兄貴、よくモデルなんてできるよ

『取り上げられましたね。あの時は予想外だなんだってすんごく騒がれて、クラブに行くのが嫌になるくらいでした』

「えっ?!!それ知らなかったっス!!」

過剰反応した兄貴に『言ってないからね。母さん達にしか』と答えれば、「…颯太マジ反抗期!」と文句をいった。

『兄貴静かにしててよ、俺笠松さんと話してんの。そんなに構って欲しいなら、病室でればいいじゃない。看護婦さんたちが構ってくれるよ』

「颯太、酷すぎっス!!」

わんわん言いながら、病室を飛び出した兄貴の後ろ姿をみてため息がでた。

…兄貴って学校でもいじられてんじゃね?


「ハハッ!ホント兄弟仲いいんだな」

『いや…普通じゃないですかね?他の兄弟って見たことないですけど』

どうしていいかわからず、頬を掻いた。こういうのなんだか照れる。初めての感覚でどんな顔すればいいのかわかんない。

「…颯太は面白いな」

『へ?そんなこと初めて言われました…』

「そっかぁ?俺は一人だから、黄瀬が羨ましくなる」

『じゃあ今から笠松さんの弟になりましょうか?…なんて冗談ですけど』

ふと出た言葉に苦笑いする。またなんて迷惑な事いってんだ。もう俺には時間がない。俺が弟になんてなったら、悲しませる人が増えるだけ。そんなの嫌だ。
俺はみんなに笑ってて欲しい。

俺がいなくなったって、
俺の事は早く忘れて、
笑っていて欲しいんだ。


「それも悪くないかもな」


頬に自分のものじゃない温もりが当てられて、はっと笠松先輩を見れば、俺の頬を撫でるように、笠松先輩の手が動いた。

「颯太みてーな弟のがだったら毎日楽しいだろうしな」

『笠松さん…』


でも俺もう治んないですよ?
もうバスケできない身体なんですよ?

そんなんでもいいんですか…?





「(…こんなんならもっと早く聞きゃよかったな)」

あの月バスに載っていた小学生クラブチームのキャプテン。まさかそれが黄瀬涼太の弟だったとは。

颯太、と名前を呼べば、下を向いていた颯太の瞳が俺を見た。意志がはっきりと感じられる目は、今でも健在だった。

「俺、実はさ小学生のくせにすげーなって尊敬してたんだ」

『え…』

「小学生の時、俺もキャプテンやってたけど、お前程強かなかったよ。だから感心しちまって」

成長して今は自信を持って、チームを率いているように思う。
だけど、あの時は強く意識していなかった。まだ小学生だったってのもある。
だけどそれは違う。
それは言い訳に過ぎなかった。

それを俺はこいつから教わったんだ。

キャプテンの果たすべき存在意義ってのを。

「四番を任されたからには、それ相応のプレーで結果を出さなければ、キャプテン失格です。だからユニフォームを受け取った時に決めました。相手がどこであろうと、決して僕は怖じ気づいたり、諦めたりしないと」

暗記してきた台詞をすらすらと声に出せば、颯太の顔が面白いくらいに赤みを帯びた。

『笠松さん、それ…』

「…あの雑誌、今でも持ってるんだ。挫けそうになった時とかに読むと励まされるような気がすんだよ」

『励まされるなんて初めて言われましたよ。格好つけすぎーとか散々ネタにされたりはありましたけど』

「けどあれが颯太の本心だったんだろ?」

『そうじゃなきゃ言いません。それに……』

視線を斜め下に逸らして、いくらか表情を歪めた颯太に、「それに?」と話の続きを促せば、『悔しかったんです』と、少しばかり力のこもった声で彼が言った。

『記事書いた人…疋田さんて言うんですけど、聞き方があまり好きではなかったんです。雑誌には載ってなかったですけど、監督の過去の話を持ち出したり、チームメイトがミスした時の心情とか聞いてきたりもして、……僕達が無名チームだったのが大きいんでしょうけど、どこか馬鹿にしているような口振りだったんです。それが赦せなくて』

確かに記事にはそんな事ちっとも載っていなかった。

その話を聞けば、雑誌に載っていたあの意志のこもった睨んでいるようにも見える颯太の表情に納得がいく。

相当悔しかったんだろう。

今も固く拳を握って話す颯太は、あの雑誌の写真と全く同じ表情をしていた。

「流石はキャプテン。仲間思いなんだな」

『…笠松さんの方が立派なキャプテンですってば。兄貴に一喝してくれたんそうですね、リベンジだって』

「あれくらいフツーだろ。まぁ、負けを知らないことには流石にビビったが……。負けを知ってこそより強くなれる、俺はそう思うよ」

ちょっと言い過ぎたなと急に恥ずかしくなって、颯太から視線をはずし外を見た。

もう4時を過ぎたというのに五月蠅いくらいの蝉の声、見るからに強そうな日差し。外の景色は夏色一色と言った感じなのに、この部屋には海の写真が一枚あるだけ。

颯太も黙って静かになった病室は、蝉の声がBGMになって、僅かに開いた窓ガラスから、夏の風がカーテンを揺らして入ってきた。

『もう、夏なんですね』

颯太の少し高めの声が静寂を破る。そう言った彼を見れば、颯太の視線は窓の方を見たままだった。

『−−大きな星が語ります。「おれはここで光っている。きみたちも光をましてかがやきたいなら、こんなふうにまたたくがいい」−−』

訳が分からずに首を傾げると、俺の方を向いた颯太が、『キャプテンみたいじゃないですか?大きな星って』と小さく笑った。

「…なんかの詩か?」

『はい、ゲーテの「夏の夜」です。…ちょっと生意気な印象受けるかもしれませんけど、キャプテンって立場はそれくらい余裕がないと務まらない。俺にはそんな余裕とかなかったです。でも笠松さんにはある。今日お会いして、実際話してみてそう感じました』

颯太からの唐突な賞賛。12歳とは思えない言動の数々に、俺は内心戸惑わずにはいられなかった。

「…そ、颯太?」

『あんなでも一応兄貴なんで、その…これからも黄瀬涼太の事、よろしくお願いします。兄貴も、笠松さんのこと好いてるみたいなんで』

「颯太、それ…」

どういう意味だ。
と聞こうとしたまさにその瞬間、病室のドアがバタンとあけられて、勢いよくそれがしまった。

颯太が怪訝そうに眉を寄せ、入ってきた人物を睨んだ。それにつられてドアの方をみれば、そこには息を切らした颯太の兄貴が姿があった。




『…兄貴うっさい』

まぁ話を誤魔化せたのはよかったけど。
何時もより低い声(といっても声変わり前だからあまり低くはない)で叱れば、兄貴はさらに目もとを潤ませた。

「ちょっ、颯太〜!!」

『何泣きべそかいて、みっともない』

冷たくあしらえばに縋るように抱きついてきた。…これじゃあどっちが兄貴なんだか。ため息をつきたくなる。

「颯太のが兄っぽいな」

決定打は笠松先輩でさらに兄貴が不細工な顔になった。…モデルが台無し。

「笠松センパイまでそんなことをー!!看護士さん達にも口揃えて言われたばかりなんスよ?!傷抉らないで下さいっス!!」

『あー…、ほらもう泣かない。兄貴はちゃんと俺の兄貴なんだから、堂々と言い返してやんなくちゃ」

「ゔぅ…、颯太〜!!」

仕方ないから、抱きついてきた兄貴の頭を撫でてやる。愛されキャラと弄られキャラが定着してしまった兄貴は、実際ちょっと頼りない。

でも兄貴なんだ。

見舞いにも来てくれるし、退屈しのぎの詩集や本を借りてきてくれたのも兄貴。両親より側にいてくれたのが長いのも兄貴だ。

ふと視線を感じて顔を上げれば、笠松先輩と目があった。

こんなんだけど、よろしくお願いしますね、笠松さん。

さっきの言葉と同じことを、笠松先輩への目線に込めてじっと見つめれば、頭が小さく上下に動いた気がした。

きっと聡明な笠松先輩のことだ。さっきの言葉で悟ってくれたのかもしれない。

やっぱり笠松先輩は大きな星だ。
兄貴にはあそこまでは求めらんないけど、大きな星のもとで少しでも努力して、近づいてほしい。

今は勝ち続けていた百戦百勝の
帝光“キセキの世代”じゃない。

海常というチームの中の
黄瀬涼太なんだから。




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引用:『世界詩人選01ゲーテ詩集』大山定一訳 小沢書店

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