俺には兄貴がいる。
俺と違って、いつも正直で、嘘がつけなくて。スポーツ万能な格好いい憧れの兄貴だ。
最近はI・H(インター・ハイ)に向けての練習であまり会えていない。少しばかり寂しいけど、兄貴がここまで打ち込んでいるバスケの邪魔したくはない。ごくたまに会いに来てくれるのを俺は楽しみにしていた。



「今日は体調良さそうだな。顔色も悪くないし体温も大丈夫だね」

俺のと自分のおでこに手を当てながら、看護師の渡辺さんが言った。タイミングよく体温計がなる。

「36.4分、平熱だな」

渡辺さんの方が俺より嬉しそうだ。単だけど目が大きいせいか、キツい感じのしない彼の笑顔。入院してから何十回と見ている笑顔。この人の笑顔は、嘘がなくて本当にすきだ。

「気分はどう?人と会えそう?」

あれ?今日は平日だよな?
コクリと頷いてから、不思議に思って壁にかかるカレンダーに目をやる。
やっぱり、間違ってない。
身内は許可なしでも入って来れるから、母さんや兄貴、…親戚でもない人?
…一体誰だろ。

「昨日の夜に電話があってね、当日にならなきゃ許可とれるかわからないって伝えたら、分かるまで待合室にいますってついさっき来たんだ」

『名前、ご存知ですか?』

「確か珍しい名字だったよ。黒子…君だったかな」

黒子。
名字だけですぐピンときた。兄貴の元チームメイトだ。みんな名字に色が入ってるからわかるってのもあるけど、中でも黒子先輩はよく兄貴が話すから、覚えてしまった。
綺麗な水色の髪と優しい目元をした人で、大人しそうな外見、話し方も年下である俺にまで、丁寧語で。だけど、兄貴の仲間の中では一番話しやすい人だ。

『渡辺さん。俺、面会したい。何分だったらいいですか?』

「そーだな、……今日は体調良さそうだから、一日でも問題はなさそうだね。…だけど、急に気分が悪くなったりする可能性だってあり得るんだから、そうなったらすぐに呼ぶんだよ?」

『わかってます。…ありがとうございます』

「じゃあ、伝えるよ。ここの場所は知っているの?」

『はい、大丈夫だと思います』



そんな会話があってから、数分後にはコンコンとドアをノックする音がした。どうぞー、と声をかければ、失礼しますの声と共に二人の人が入ってきた。

ひとりは声の主でもある黒子先輩で、もう一人ははじめて見る人だった。

身長は兄貴と同じくらい。だけど、もっとがっしりと肩幅があって、いかにもスポーツマンて感じで強そうで、赤髪が印象的だった。赤髪と言えば、赤司先輩もだけど、全然タイプが違うのは一目瞭然だ。

声をかけられずに黙りを続けていると、黒子先輩の方から「お久しぶりです」と挨拶してくれた。

『こんにちわ、黒子さん。後ろの方は…今のチームメイト?』

「はい。ほら、火神君自己紹介してくださいよ」

「その前にこいつ誰なんだよっ」

赤髪の人が強めの口調で、黒子先輩を睨んだ。その目つきが余りにも鋭くて、無意識に肩に力が入った。

『俺は黄瀬颯太!アンタこそいきなり怒鳴ることないだろ!』

叫ぶように名乗って睨みつける。いきなり怒鳴るなんて公共マナーも知らないのかよ。…黒子先輩、なんで平然としていられるんだ。

「…黄瀬?あの黄瀬か?」

「はい、黄瀬君の弟の颯太君ですよ。どうしても火神君に合わせたくて」

「はぁ?どうして俺があいつの弟に会わなきゃいけないんだよッ!!」

そんな俺をよそに高校生二人の会話が進む。どうしていいのかわからなくて、とりあえず二人を交互に見ていた。するとこちらを見た黒子先輩と目が合う。

「どうしても会って貰いたかったんですよ、彼に」

「だからなんで…!!」

「火神君、ここではもう少しボリューム押さえてくれませんか?僕まで注意されるのは嫌です」

「あー…、ワリィ」

「本題に入る前に、自己紹介してください。颯太君はしてくれましたよ?」

黒子先輩相手でもやっぱり怒鳴るような口調のままだ。火神というらしい彼に対しても黒子先輩は平然としている。

…すごいな。
そんなふうに尊敬の眼差しを向けていれば、

「怒鳴って悪かった。何つーかその、虫の居所が悪かっただけなんだよ。お前に非はねぇ。だからそんな睨むなっつの」

『は、ぁ…』

「俺は火神大我。こいつと同じ誠凛のバスケ部に所属してる」

バツが悪そうに頬をかく火神先輩。そんな彼を見ていると、さっきまでの苛立ちが薄らいでいくのがわかった。
…不器用なだけなんだ、きっと。

それからもうひとつ。ホントはもっと早くに気づけたことがある。先程までは気持ちがそれどころではなかったから仕方ないのだけど。

黒子先輩が何故、俺に火神先輩を合わせたがっていたか。

その答えを俺は知っていた。


あれはI・H(インター・ハイ)の予選すら始まる前。兄貴が珍しく目を腫らしたまま病院に来た日のことだ。印象的に脳裏に焼き付いてるのは、決して弱音や涙を流したことがない兄貴の、はじめて笑顔以外の表情をみた瞬間だったから。

行く前に「黒子っちを海常にっ」なんて意気込んでいたあの元気は一体どこに。
なんて静観など出来なかった。あの兄貴がここまで取り乱すなんて、ただ事じゃない。

『何があったの?兄貴大丈夫?』

心配になってうなだれるように座った兄貴の肩にそっと触れた。小刻みに振動するのが手を通して伝わってくる。
泣いてるのか?
そう思っていたら、ガバッと兄貴が顔をあげ抱きついてきた。素早い動作で表情まではわかんなかったけど、俺の肩口がじわじわと濡れていった。

「黒子っちに負けたっスよ、颯太〜!!こんな悔しいんスね……でも、必ずリベンジするっス〜!!」

リベンジ、リベンジと繰り返す兄貴。俺は話の最中その背中を撫でた。俺より大きく見える実際に大きい兄貴が、このときは何故か小さく頼りなく見えて。でもすぐに「火神っちに今度こそはっ」とさらに意気込んで、

「颯太にもあのダンク見せたかったなぁ……あ、今度、颯太にも紹介するっス!!でも暫くはお互い、I・H(インター・ハイ)の練習あるっスから忙しいかも…」

と、その日は終始気分の上がり下がりが忙しかったっけ。確かあの時『兄貴に勝った火神さん。俺見てみたいかも』と返したんだ。




きっと兄貴が黒子先輩にメールか何かで伝えてくれたんだろう。

「颯太君、理由がわかったみたいですね」

『あ、はい』

火神先輩と話していた黒子先輩が俺を見て微かに口元を緩めた。俺も『サンキューです』とお礼を言う。まだ不機嫌面の火神先輩を華麗にスルーし、黒子先輩が話を続けた。

「お礼を言うのはまだ早いですよ。今日はこれも持ってきたんです」

そういって黒子先輩が鞄から取り出したのは、一枚のディスク。キョトンと頭を傾ければ、黒子先輩がくすりと笑った。

「カントクから借りてきました。練習試合のDVDです」

『それって……誠凛VS海常の?』

「そうですよ。早速、見ますか?」

『はい!』

黒子先輩の好意を無駄に出来るはずない。いつも写真でしか見れなかった兄貴や、火神先輩のダンクがみれるとなれば断る理由などない。

「一本、きっちり決めてくぞ!」

ジャンプボールを海常がとって、4番笠松先輩が人差し指をたててゆっくりゴールへと迫っていく。そのドリブルを黒子先輩がカットし、火神先輩がダンクシュートを決めた。

兄貴はベンチに控えていた。

けれど、その時に火神先輩がゴールリングを壊してしまった影響を受けて、兄貴がようやくコートに立った。

それにしてもさっきのダンク。
片手でリングに押し込んで、破壊しちゃう程の威力があった。黒子先輩がボルトが一本駄目になってたんですと補足してくれたけど、それにしたってすごいのは変わらない。

そのあとの兄貴のダンクも確かにすごかったけど、火神先輩の方がどう見ても勝っていた。

それから3分で誠凛16VS海常17という超ハイペース試合が繰り広げられた。兄貴が決めれば、取り返すように火神先輩がダンクシュート。お互い一歩も譲らない意地と意地のぶつかり合いだった。

途中途中に入る、黄色い悲鳴なんか気にならないくらいに俺は兄貴と黒子先輩達の試合に見入っていた。目立っているのはやっぱり兄貴と火神先輩だったけど、海常の笠松先輩も主将の力を発揮していた。

ホント格好いいな、笠松先輩。
俺も、あれくらいチームの事引っ張れてたら…。

画面が笠松先輩から兄貴へと映る。

…試合で勝つことが絶対だと思ってる兄貴はスキじゃない。だけど、バスケを辞めずに続けてるってことは、バスケ自体は好きなはずだ。

息を切らしながらドリブルをする兄貴の姿はまだ少し余裕すら感じられる。

「そんなの抜かなきゃいい話じゃないっスか!!誰も言ってないっスよ、3Pがないなんてっ」

兄貴が高くジャンプし、リングに向けてボールを放とうとした。それを火神先輩が止めて。バスケの試合ではよく見かけるそんなシーンで何故か寒気がした。

このあとを見たくない。
心臓がドクドク警戒音をたてた。

それでも、画面から目を逸らすことができなかった…


着地した兄貴が焦ったように横を抜けた火神先輩を見る。その体勢から火神先輩を追うように身体を反転させようとしたその瞬間。

兄貴の手の甲が黒子先輩へとぶつかった。その勢いで、床に倒された黒子先輩の頭からは血が流れていて。

それを見た瞬間。
あれ程見入ってた映像がぼんやりと霞んだ。鮮明に見えていた、青のユニフォームがくすむ。目線は画面に注がれてはいるが、内容が頭に入ってこなかった。



ぼんやりとした視界に真っ白いものが画面に映った。二、三度目を瞬きさせて、もう一度画面を見る。

色の正体は黒子先輩の頭に巻かれた包帯だった。

いつの間にか試合は第4クォーターに突入していて、点数は誠凛68VS海常78。最後に見た点数より差が開き、今は10点差になっている。

集中しなきゃ。
二、三度目を瞬きを繰り返し、もう一度画面に視線を向ける。辛くても見ないと後悔する、必ず。

黒子先輩が入ってからは黒子先輩経由でもパスが通って点が入るようになった。それからも両校の点の取り合いが続き…。

残り4:20のところで日向先輩の2Pが入って、その瞬間、点差は0になった。

誠凛82VS海常82

笠松先輩からのパスを貰った兄貴。その目つきは、中学の頃の楽しくバスケをやっていた兄貴とは別人のそれ。あまりに冷たくするどくて思わず身震いをした。

勝利に執着する目。
あの目は苦手だ。
そのまま兄貴が点を入れ、海常は84になった。

その後、第1クォーターと同じくらいの激しいランガン勝負が続く。残り0:30秒。 また誠凛98VS海常98の同点だ。

「守るんじゃ駄目ッ!!」

誠凛の相田カントクが声を上げて叫ぶ。その指示に日向先輩がストロングパスを出した。黒子先輩が高くあげて、火神先輩と兄貴が同時に飛ぶ。

アリウープ決めるつもりなんだ

あ、兄貴が先に落ちていく。目を見開いて火神先輩を見ている兄貴は、その滞空時間の長さに圧倒されているようだった。

ブザービーターと同時に火神先輩が決めて、結果は誠凛100VS海常98。

映像はそこで途切れた。


『ありがとうございました、黒子さん』

俺が軽くお辞儀しながらお礼を言うと、「どういたしまして」と黒子先輩までお辞儀を返してくれた。

「どうでした?君のお兄さんは」

『兄貴はバスケやってるときが一番楽しそう…。それを再確認できました。それに…火神さんや黒子さんもすごい選手なんだなって。兄貴に聞いてた以上です!』

「だそうですよ、火神君」

よかったですね、と言う黒子先輩の言葉に、「ふんっ」と顔を赤らめながら、火神先輩は視線を逸らした。…照れくさいのだろうか?

「あ…、    な」

『え?』

ボソッと火神先輩がなにか呟いたけど、聞き取れない。

「はっきり言わなくちゃ伝わりませんよ?」

「だぁ、もう!サンキュな、颯太ッ!!」

黒子先輩にいわれて、半ば投げやり気味に叫んだ火神先輩は、3つも年上の高校生だなんて思えないくらいだ。

それに…

何だか昔のチームメイトに似てる気がした。バスケができてたあの頃はまだ小学生。火神先輩は背も高いし体格もまるっきり違うけど、何だか小学生みたいだった。

みんな元気してんのかな…

もう約2年も会っていないチームメイトを思い出すと、胸がきゅっと締め付けられた。2年も経つっていうのに、未だにバスケを辞めなくちゃいけなかったあの頃の痛みや苦しみは、俺の中に健在しているらしい。

何も言わずに去ったのは俺の方。
それを決めたのも勿論俺だ。

なのにどうして。


「颯太君?大丈夫ですか?」

無意識に閉じていた目を開けば、心配そうにこっちをみる黒子先輩と、眉根を寄せた火神先輩と目があった。

『あ、はい。ちょっと考え事してました』

誤魔化すように笑うと、ますます二人が険しい表情をした。余計心配かけちゃったのかもしれない。帰っちゃう…?もう少し、話してたいのに…。

『あ、の…!!』

引き止めるために思いのほか大きな声が出た。恥ずかしくて顔が赤くなる。

「颯太君?」

『えっ、と…その…お二人に質問がある…んですけど、』

そう言うと火神先輩が「俺等に?」と自分を指差し、黒子先輩と目を合わせた。すぐに視線が返ってきて、「なんだ?」と聞かれた。

特別に知りたいという内容ではない。でも次にいつ話せるかなんてわからないし、もしかしたらもう二度とないかも、だから。

『…兄貴と戦ってみてどうでしたか?』




そう言った颯太君の声は震えていた。表情からは必死さみたいなものは見られなかったけど、不安や焦り、怯え、そんなものが含まれているように感じられた。

「ワクワクしたぜ、あの試合は!! 最後までくらいついてきてさ、だから次やるときがスゲー楽しみだっ」

火神君らしい感想だ。

颯太君が少しホッとしたように硬かった表情を緩め、『そうですか、良かったです』と、小さく微笑む。

…やっぱり颯太君には笑顔が一番似合ってますね。


「ボクも同感です。全中の後に部活を辞めたボクは、正直あそこまで黄瀬君が強くなっているとは想像していませんでしたから。楽しかったですよ?」

『黒子さん…。それ聞いたら兄ちゃんも悦ぶかもですね』

「じゃあ颯太君秘密にしといて下さいね。黄瀬君がまた誠凛に来ると練習の邪魔になりますから」

『ははっ、相変わらずですね!』

兄貴ならやりかねませんもんね、と声を出して笑った颯太君に頬が緩んだ。

やっぱり笑顔がいい

ニカッとした笑顔は黄瀬君によく似ている。思わず撫でたくなって手を伸ばせば、颯太君がきゅっと目を細めて、『俺、もう中学生なんですけど…』と抗議した。でも大人しく撫でられているところを見る限りでは、満更でもないみたいだ。

…早く颯太君が退院できますように。
…早く颯太君がバスケをできる丈夫な身体に戻れますように。


彼の安心しきった笑顔を見て、そう願わずにはいられなかった。



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