空からの贈り物
「……なんで晴れてるんだろ」
梅雨の時期はしとしとと地面に落ちていく雨は日常になる。そんな日が長く続けば大抵の人は時々みられる晴天に嬉しくなるだろう。かくいう凪もその大抵の人の中に含まれる人物であるのだが、今回ばかりは違った。
昨日のどしゃ降りが嘘だったかのように晴れ渡っている空を見上げ何度目かのため息がこぼれる。そんな凪の心中は穏やかではない。普段は温厚と評されている凪であっても、今日に限っては天気の神様を恨めしく思わざるをえなかった。
凪が教室の隅で何度も空を見上げてはため息を吐き出すのを繰り返していると、それを見かねた同級生たちが近寄ってきた。そして冒頭の言葉を口にしたのである。それはまさに凪の内心にある言葉を代弁していた。
「って感じの表情してんのな宮沢っ!そんなふうに見んなよっ。やっと晴れたんだぜ?何でため息はいてんのさ」
「そーだぞ?梅雨の時期の太陽は貴重っ!もっと明るくいこうぜ、宮沢」
普段から世話になっている同級生の声に、ようやく凪の視線が窓ガラスから教室へとうつった。
『そーなんだけどねー…』
なんで今日なの、と暗く元気のない声に、同級生たちは顔を見合わせた。
「……なんかあったわけ?」
片方の同級生が異変に気づき、真剣な表情で尋ねてくる。隣の彼も不思議そうに凪を見ていた。
『大したことじゃないんだけどね 』
困ったように笑う凪に同級生たちは揃って首を傾げた。
「あっ、ミヤちゃん!いたいたーっ」
放課後になり同級生たちが各々部活へと向かっていった。タイミングを見計らったように、教室の後ろ扉がばたーんと音をたてる。現れたのは部活仲間の同級生、渚だ。後ろには眼鏡を直しながら渚を注意する怜もいる。
『どしたの』
背後より渚から抱き締められた反動で、前のめりに体勢を崩しながらも、凪は平然とした表情で答えた。
「どうしたのじゃないよ、もう!久々の部活なのにミヤちゃんつめたーい!!もっと嬉しそうに笑ってよー!」
「渚君が興奮しすぎなんですよ。凪君も困ってるじゃないですか」
「えぇー?そんなことないよねぇ?ミヤちゃんだって泳ぐの好きだし……」
渚が抱きついたまま腕の中の彼を見上げる。抱き締められたまま身体の向きを変えた凪の表情はといえば曖昧に笑みを浮かべていた。
「ミヤちゃん?」
嬉しくないの?といいたそうな渚の視線に、凪は静かに渚の頭を撫でた。
『大したことじゃないよ』
先ほどの言葉を繰り返すと、ずずいと渚の顔との距離が縮まった。
「ミヤちゃん!」
『……近い』
「ミヤちゃん!!」
『……恐いよ、なぎさくん』
「嬉しくないの?」
直球な渚の物言いに凪は目を瞬かせた。
『嬉しいよ』
「じゃあなんで困った顔してるの?」
『…大したことじゃ』
真っ直ぐな瞳に耐えきれなくなった凪が視線を泳がす。その先には寂しそうに笑う怜がいた。
「凪君は不器用ですね」
『れいくん?』
「気がかりなことがあるんでしょう?大したことじゃないかは僕達が判断します。だから話すだけ話してくれませんか?僕達は曇った顔じゃなく君の笑顔が見たいんですよ」
発言のあと、背中に回された腕にも力が加わった。視線を下に戻すと、まぶしいくらいの渚の笑顔があった。
「ミヤちゃん」
「凪君」
息がぴったり揃った二人に、ふふっと堪えきれずに笑うと、「なんで笑ってるの?」と抗議の声がした。
『ううん。ただ、二人がすごーく頼もしくてね。でもほんとに大したことじゃないから、きっと拍子抜けすると思う』
凪の言葉をすぐさま否定する言葉が続いたのは言うまでもない。
『出来れば…今日は雨がよかったんだ』
窓の外の青に視線をやりながら、凪が静かにいった。教室に三人以外生徒がいないせいか、そこまで大きくないボリュームでも大きく聞こえる。それぞれ部長に遅くなる旨を連絡し、凪の近くの席に座っていた。
「昨日はどしゃ降りだったけど、今日じゃなきゃダメだったんだ?」
『うん、どんなにすごかったとしても夕方には止んじゃったし意味がないの』
「今日って何かありましたっけ?」
怜の問いに渚が人差し指で頭をぐりぐりと押した。
「んーっと、今日は月曜日で、地学のテストがあって、6月最後の…………っ!!」
「っ、誕生日ですか!」
渚が出したキーワードで、怜もピンと来たらしい。ぽんっと手をうって、なるほどと呟いた。
『正解。誕生日だよ、七瀬先輩の』
嬉しそうにはにかむ凪の姿につられて微笑む。微笑んだのだったが、しかし何故という疑問は未だ解決されずじまいだ。怜は凪を見ながら徐々に思案顔になった。
「ハルちゃんなら尚更泳げる方がいいんじゃないのかな?」
渚も同じことを考えていたらしい。首をかしげながら凪に問いかけた。
『うん、七瀬先輩にとっての最良は水を直に感じられる水泳だって、それはわかってるの』
「だったら何故なんですか?君がそこまで雨に拘る理由は…」
怜は外を見ている凪の横顔を見た。雨雲は見る限りひとつもないが、まだ雨の降ることを期待しているかの瞳に言葉が続かなくなった。
暫く経って凪が口を開いた。
『……ほんとに大したことじゃなくて、とっても個人的なことなんだけど…』
そう前置きをした凪は、真っ直ぐ二人を見て呟いた。
『今日雨が降ったら、イコール水が好きな七瀬先輩が神様からも祝福されてるってことになるかなぁって気がしたんだ。だから降ってほしかった。空から降るものってサプライズみたいだから』
でも残念ながら降らなそうだ、と苦笑いした凪に「ミヤちゃん…」と渚が言葉をかけた。
『ね、大したことないでしょ?さ、部活にいこう。橘先輩も待ってる』
立ち上がって鞄を肩にかけた凪に、声をかけたのは渚でも怜でもなかった。
「……もし天気にまで祝福されてたりしたら余計に入りづらかったね、ハル」
後ろのドアにいたのは部活の先輩たちだった。渦中の人物である遙は視線を剃らしている。遅いから来ちゃったという真琴に、凪は固まる他なかった。「マコちゃん!」「遙先輩!」渚と怜の二人が立ち上がって二人の名前を呼んだ。
『さっきの、聞いて…』
「……ごめん。聞こえちゃった」
真琴のその一言に凪がさらに身体を強張らせた。真琴に届いていたということはつまりその張本人にも聞こえていたということになる。凪は珍しく慌てたように口を開いた。
『あ、あのっ別に晴れて水に入れることが嫌だとかそういう意味じゃなくて、雨だったらなってほんの少し考えただけです!だからさっきのは聞かなかったことに…』
前髪に隠れて遙の表情はかがえない。 不安が募っているせいか言いたいことをいい終えた凪は落ち着かなくて口を開いたり閉じたりしていた。遙は遙で顔を上げられずにいる。それは単に気恥ずかしいからという理由からなのを知っている真琴はなにも言わずに優しく二人を見ていた。
そんな教室に流れるへんな空気を変えたのは、渚の声だった。
「あ、ミヤちゃん!通り雨かなぁ」
凪が『えっ』と弾かれたように窓を見た。片方は日が射しているのに、反対側は薄い雲に覆われている。雲のかかる側はさらさらと雨粒が落ちていた。
「本当に降ってますね、さっきまで晴れていたのに
…」
校庭に降る雨は渚の言う通り、表面だけを濡らして流れていく。音も静かで、雲がゆっくりしたスピードで流れていく。
「でもこの分じゃ降り続けることはなさそうだ」
いつ止んでもおかしくないくらいの勢いに、真琴がほっと息をはいた。
「………これで泳げる」
『はい。……やっぱり七瀬先輩は水に愛されてるんですね』
遙の呟いた言葉を拾ったのはいつの間にか隣にたっていた凪だった。その台詞に複雑そうな顔をした遙は、それを機にしばし口数が減る。暫く経ってぽつりと呟いた。
「凪の願いが届いただけじゃないのか」
凪が目を丸くして遙を見た。そしてクスッと茶化すように笑った。
『七瀬先輩も意外とロマンティストですね』
窓辺から見えたプールの水面には七色の虹と晴れ渡った空が写っていた。
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