零れる涙は誰のもの?
「親父も御袋もすげぇ優しかった」
そう語り出す君の声はとても柔らかくて、本当に家族を大切に想ってるのが伝わってきた。過去を人に話すことなんて、絶対しなさそうな静雄でもこんなふうになるんだって、最初はちょっと驚いた。
でも茶化す気は全くおきなくて、ちゃんと聞こうと、手のひらを膝の上でぎゅっと握った。
「……甘やかすって事は無かったと思うけど、俺は幸せな家庭に育ったんだと思う。なのに、なんでこうなった?」
空を仰ぎながら、笑みを浮かべた静雄を凪は抱きしめたい衝動にかられた。そうしなくちゃいけないように感じた。セルティは何もいわずに沈黙を続けていたけど、凪は耐えられなかった。
堪えるように、ぐっと歯を噛みしめ、目を閉じた。
「…原因はなんだ?…原因は俺か?俺しかいないって事になるよな?」
『そんな…!』
思わず立ち上がって、声まであげてしまった。とっさに両手で押さえて、「ごめん」と謝罪する。
静雄が薄く笑って、凪をみた。
それから何もいわずに、視線を地面へと向けた。
「…、強くなりたいんだよ」
先ほどより力強い声に凪はピクリと肩を揺らした。
…静雄の決意の声だ。
「俺が原因だってんなら、俺は自分が一番許せない。ただ自分を抑える力が欲しい。」
静雄はセルティとは長い間柄の付き合いで信頼してるのはわかる。だから彼女にはこんな弱いところを見せるのかもしれない。
けど、僕は?
まだ知りあって一年とちょっと。
そんな僕がこんな話聞いてよかったのだろうか。
「二人とも悪いね、愚痴っちゃって。」
沈んだ空気を払拭するかのような笑みを浮かべる静雄。そんな彼をみて凪の不安はますます増大した。
「そんな湿気た面すんなって」
髪をぐしゃぐしゃにして撫でてきた静雄に視線を向けると、「これでおあいこだろ」とささやかれた。
おあいこ…?
しばらくその言葉が頭の中で渦を巻き…、数分後にはっとして彼を見た。目があった静雄は、自虐的に笑っていた。
あれはいつだった正確な日にちまでは覚えちゃいねぇ。けど、梅雨でもねぇのにやたら雨が続いた日のことだった。
その日も、朝からしとしと雨が降ってやがって、午後にもなると雨が土砂降りに変わった。傘をさしながらトムさんとビルに帰る途中、凪が駅の方から歩いてくるのが見えた。傘も指さずにずぶ濡れで、遠すぎる人たちが不審がって振り返っている。
「おいっ、凪!!!」
駆け寄って肩に手をかけた。あまりの冷たさに顔をしかめる。
『こんにちは、平和島さん』
ふわっと笑みを浮かべる凪にますます怒りといつもとは違う違和感とを覚えた。
「…ッ、とにかく事務所にこいっ」
小さく舌打ちして、強引に凪の腕を引いて歩きだした。『うわっ、ちょっと』なんて抗議の声が後ろから聞こえたけど、そんなの無視だ。
『シャワーありがとうございました』
シャワー室から、静雄のシャツをきて首にタオルを巻いた凪が出てきた。
静雄のTシャツはやはり華奢な凪には大きすぎたようで、肩からおちかけている。
静雄はそんな彼から目をそらしながら、「お、おう」と小さく返事をし、「まぁ、座れ」と自分の前のソファーをすすめた。
『失礼します』
律儀にお辞儀までして座る凪に苦笑しつつ、コーヒーを差し出す。
「雨やみそうにねぇから、暫く休んでけ」
このあとは用事ないんだろ?と問いかければ、凪は外の様子を窺ってから『そーですね』と曖昧に笑った。
それ以降特に話題もなく、雨の音がBGMのように静かに流れた。
『………、感情って何であるんでしょうか』
ぽつりと凪が漏らした呟きに、彼の表情をみた。そこには先程までの笑みはなく、ただただぼっーと、コーヒーカップに視線を向ける凪がいた。無表情な上に、何も写していないような瞳をして座る彼に、少しばかり驚いた。
『自らを表現するためだけにあるのなら、いらないのに』
「それだけじゃねぇだろうよ。それに無きゃ生きていくことはできねぇ」
凪がピクリと反応した。視線がぶつかる。相変わらず何も写していない濁ったような瞳ではあったが、俺は少し安堵した。
『なくちゃ生きれないって、どういうことですか』
「自分でも名付けられねぇ感情ってのが無数にあんだろ。…感情は喜怒哀楽だけじゃねぇから、感情がない人間なんていねぇんだ」
『…相手を理解することが出来なくても、ですか?』
「あぁ、必要だ。感情は個性だからな。理解できねぇ感情もあるだろうよ。必ずしも相手を理解するためにあるわけじゃねぇ」
それを聞いた凪が、俺から視線を外し下を向いた。暫くたって凪が顔を上げた。その表情はというと、台風が去った空のようにどこか晴れ晴れとしてきて、柔らかく微笑んでいた。
アイツの弱音と俺の愚痴
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