淡い湖で哭く
その人はをただただ、静かな人だった。
車窓の景色をみるその横顔は、どこか人間離れしたような神秘さがあって、触れば壊れてしまいそうな細い身体に、透き通るような肌の白さ。スノーエンジェルと呼ばれる所以がわかるような気がした。
浮世離れとまではいかないけれど、不思議な雰囲気をまとった人。特に何をするわけでもなく座っているだけなのに絵になる。
そんなひとを、朱桜は生まれて初めてみた。
こちらから話しかけない限り、相手から声を引き出すことができなかった。言葉数の少ない方だとは思っていたが、ここまでとは。
質問したいことを終えてしまったあとは、もうどうしていいかわからなくて、今更出てきた緊張感に、ゆうさんの横顔をこっそりのぞき見たり、指先を組んだりいじったりしながら、どうにか家までの帰路をしのいだ。
あのpol*risが隣りに座っている。
存在を意識せずにいるためには、まわりから挙動不審だと言われても、そうするしかなかったのだ。
「着きましたよ」
そう声をかけると、窓へ向いたままであった視線が私を捉えた。サングラス越しの視線だったのに、どきりと胸がはねる。
『立派なお屋敷…ですね』
「いえ、そんなことないですよ」
先に車を降りてドアを開けた。ゆうさんもお礼をいって、あとに続いてくれる。
『あっ…』
ドアを抑えていると、ゆうさんが少しふらついたのを見えて、咄嗟に身体を支えた。
「大丈夫でした!?」
『あ、ありがとう』
至近距離でお礼を言われて、心臓がはねる。本当に綺麗な顔つきをした方だ、なんて、不覚にもidolとして活躍している方には失礼な感想を抱いてしまった。
自宅に繋がる扉を開けると、オレンジ色が視界いっぱいに飛び込んできた。……何故、Leaderがここに!?
「夕希ーーっ!!」
『っ…………あっ……、……っレオ?!』
驚きで固まっていた私の前を横切り、真っ先にゆうさんの胸に飛び込んでいったLeaderは、今まで自分の見てきた表情とは何もかも違ってみえた。あのJudgementでさえ、こんな表情をしていない。本当に大切な存在なのだと、見せつけられているようだった。
「夕希夕希夕希夕希夕希夕希夕希っ!ホントに夕希だっ!今までどこにいたんだ?!何で避けるんだっ!急に音信不通だし、心臓に悪い!止まるかと思った!」
Leaderの抱きついた勢いに、数歩ばかり圧されたが、ゆうさんはその華奢な身体でしっかりLeaderを支えていた。慣れているようにもみえた。
勢いは止まらず、ガシっと言葉通りゆうさんを捕まえたLeaderは、言葉で矢継ぎ早にゆうさんに言葉を投げかけていく。両手両足をゆうさんに巻きつけて、全身で離さないとappealしていた。
一方のゆうさんは、Leaderが落ちないよう両手では支えていたけれど、帽子やメガネ、それに俯いていることも相まって表情が分からない。ただ、Leaderの一言一言を静かに聞いているようだった。
「夕希っ…、ホントに何でおれから離れようとするんだ」
ゆうさんの肩口に額をこすりつけながら自分の想いをぶつけていくLeader。それに何の反応も返さないゆうさん。
そんな二人を見ていて、心が痛くなった。
しばらくは、Leaderから苦しげな声やか細い声が聞こえるだけだった。広い玄関ホールへと響くたびに、Leaderの想いがひしひし伝わる。気持ちが伝染して、泣いてはいけないのに泣きたくなってしまう。
そんな時、ようやくゆうさんの声が聞こえた。
『……………はなして』
その言葉に、Leaderがガバッと顔を上げた。
「離したら逃げるだろっ!」
『………』
「夕希は、此処に俺を少しでも心配してくれてたんだよな?だからここに来たっ。だったら、おれから逃げないでくれっ!」
『……ちがう』
『心配はした。でも、会うつもりなかった』
ゆっくり手を下ろしたゆうさんは、離すものかを意地になっていたLeaderの肩に触れて、無理やり自分から引き離した。それから身体の向きを変えて、呆気にとられていたLeaderに背を向ける。そしてその場所から名前を呼ばれた。
『……朱桜』
「は、はい!」
『…何で呼んだの、本人』
話ができないよと、淡々とした声でゆうさんが言った。
「申し訳ありませんっ。しかし私は招いていないのですよ!信じてください!」
「そ、おれが勝手に来たんだ。だからスオーを責めるな」
『……そっか。ごめんね…、朱桜』
でもそういうことだから、と外に向かって歩き出したゆうさんをLeaderが阻んだ。手首をとって、「夕希ッ」と地面に向かって叫ぶ。
「おれを見ろ!!なんで避けてんだ!嫌なとこがあったなら直すからッ!おれ、何が原因かわからないんだ!言ってくれないとわからない!だから、一番堪えるやり方で離れて行くなッ…」
苦しげなLeaderの声に、ゆうさんはどんな顔をしているのだろう。口を出すべきではないと思うのに、黙ってみているということもできなかった。
「ゆうさん…、久しぶりに会うのであれば、せめて顔を見て話しませんか?Leaderは、ずっとあなたのことを探していたんです。Leaderの言っていたとおり、あなたも、心配だったのでしょう?」
私達に背中を向けたまま、ゆうさんは静かな口調でいった。
『…さっき伝えたとおりだ』
Leaderの手を乱暴に振り払って、数歩前に出たゆうさんは、こちらには顔を見せないまま、つぶやくように言った。
『………レオのせいじゃない。ごめんね』
それだけ言って離れていったゆうさんの背中は、強い拒絶をしていて、言葉の真意やLeaderへの想いを聞くことはできなかった。
背中が見えなくなって、膝から力の抜けたLeaderの表情なんて、想像するだけでも苦しくなって、私は地面に視線を送った。
いつの間にか雨雲が出てきていたらしい。
すぐ、地面にはいくつもの斑点ができた。