中編 | ナノ
ナミダの海を抱き上げて、

街路樹の歩道を歩いていると、急に吹いてきた風に髪がふわりと飛ばされた。ビクッとして耳を抑える。触った時に、耳からカナル型イヤホンが外れた。

『今日は風が強いなぁ…』

渋谷の交差点は、その呟きを誰の耳にも届かない程に雑音でかき消した。目元まで見えないほど深々との被ったキャスケットを軽く持ち上げると、雑踏の音に紛れて、歌が聞こえてくる。どこかのスクリーンの映像が流れているんだろう。聞くたびに恥ずかしさや不安を感じている。でも、一番はやっぱり嬉しさが上回っていた。







「あっ、にーちゃん!」
「おはようございます、にーちゃん!」

仁兎が昇降口で靴を履き替えていると、廊下を紫之が真白と歩いていた。

「おはよう!二人とも」

履き終えて、二人に近づく。

「で、何でそんなに嬉しそうなんだ、創ちん?」

さっきから笑顔をというより表情が緩んでいる彼に話しかけた。

「ぼ、ぼくっそんな顔してましたか?!」
「そりゃもう」

仁兎が同意を求めるように、隣の真白に視線を送った。

「気づいてなかったの、創?」
「友也くんも気づいてたなら、教えてください!」
「んー、創が楽しそうならいいかなって」

もう、と頬を膨らます紫之に、苦笑を漏らしながら、仁兎が再度問いかけた。

「で、何があったんだ?」

「朝から聞けたんです!pol*risの新曲」
「えっ今日から配信だったよな」
「はい、そのCMが流れてたんです!運良かったなぁって」
「いーなぁ、俺もまだ聞いてないのに」
「透明感あって、綺麗な歌声してるよな!あの人」
「はいっ!ぼくの憧れなんです」

うっとりした表情を浮かべる紫之に、真白もふはっと呆れるように笑った。

「ほんとpol*risの大ファンだよね、創は」








後輩たちと別れた仁兎は、教室へと急ぐ。走ると校則にうるさい同級生がいるので、競歩のようなぎこち無い歩きで頑張った。

「うにゅー、お、おはよう」

「おう、ギリだったな。お疲れ、仁兎」
「あ、鬼龍」
「おう!」

鬼龍と話しながら、何となく窓側の後ろの席を見た。一番後ろの一つ前。そこには、机に顔を伏せている水沢がいた。薄紫の柔らかな髪に、規則的に上下する肩。

「………相変わらず、寝てるのな」
「?あぁ…、水沢な。けど、朝の会始まる時にはいつも通り起きるだろ」
「そうだよにゃ…、」

だけど何でだろう。毎朝、早くから来てるのに、いつも寝ているらしい。仁兎はいつも不思議に思っていた。早く来るなら、その分家で寝てからくればいいのにと。











放課後。
テニス部の練習のない仁兎は、同じく休みの真白と紫之の後輩たちと一緒にダンスレッスンを行っていた。ちなみにRa*bitsのもうひとり、天満は陸上部の練習で不在だった。

「ワンツースリーフォー、ツーツースリーフォー。そこまで!」
「っ、っ、はぅー」
「わっ、創?!平気か?」
「どうしてもワンテンポづれちゃいますー」

へにょりと力が抜け、お尻をついて座ってしまった紫之に、ペットボトルを差し出した真白が苦笑いした。

「俺も早くてついてくのがやっとだよ。その点にーちゃんは息切れしてなくて流石です」
「まぁ体力は続けてくうちに自然とついてくるよ。創ちんは振りを丁寧にしてくれてるんだけど、そのせいで前の振りの余韻がワンテンポづれる原因だと思う。ここで、手を流すんじゃなくて、ぴたっと止めると見栄えも良くなって、ハリが生まれると思うぞ」
「や、やってみますっ!にーちゃんありがとうございます!」
「ちょっと立て続けにやるのも疲れるだろ。休憩をとろう。その合間に、頭でシミュレーションしといてほしい」
「わかりました!」

元気よく返事をする後輩に、仁兎も壁際に座って額からの汗をタオルで拭った。

「そういえば、朝創が言ってたpol*risの新曲、休み時間に見たよ!あれのPVも見たけど、今回はサビのところだけ振り付けついてるんだな!初めて踊ってるのみた」
「そうなんですっ!しなやかで、上品で、華やかで、もう何回再生したことか!」
「にーちゃん、『ポラリス』PV見ました?」
「まだだけど帰ったらみるよ。広告なら朝見たよ」
「人目を引きますもんね、あんな綺麗な人。歌声がほんとに優しくて、俺創に勧められてからもう目が離せなくて」

紫之が真白の言葉に嬉しそうに笑った。

「知らないでいる方が勿体無いとおもったんです。にーちゃんは好きですか?pol*ris」

好きかと聞かれて、んーと改めて考えてみた。

「ひとりなのに存在感あるよな。歌唱力も表現力も自分の魅せ方を分かったうえでやってるから純粋に尊敬するよ」

けれど、pol*risのようなアイドルになりたいかと問われるとそれはちょっと違う。pol*risはひとり、俺たちRa*bitsはよにん。グループだ。だからこそひとりひとりがキラキラ輝けるようになっていきたいと仁兎は日々思っていた。

「ですね。ぼく、いつかpol*risみたいに堂々と人前で歌ってみたいです。そして隣に立ってみたいな、なんて思うんです。いつもどこか寂しげに見えるあの人の側に」
「創ちん…」
「って、創!何泣いてるんだよ」
「だ、って…pol*risって失恋だったり、別れの曲だったり、テーマが悲しい曲が多いんです。雰囲気にあっていますし、歌声が、…聞いてくれるひとの、気持ちを明るくしてくれる時も…ありますけど、でも、どこか切なくて…。……大好きなんですけど、一曲でもいい。ぼく達の曲みたいに楽しかったり元気になれたりする歌を一緒に歌ってほしいなって」

すごく好きだからこその思い入れなんだろう。笑ってほしい。いろんな表情をみたい。そんな気持ちが紫之の言葉にはつまっている気がした。

確かにあいつは普段からも笑わないし、一人でいることが多い。学校に友達がいるのかすら怪しい。世間で騒がれている有名人のわりに学校では別人のようだ。

俺も、あいつの笑ったところ見てみたいな。

「いつか、やれたらいいよな合同ライブ」

仁兎の言葉に、真白が苦笑した。

「にーちゃん、創に感化されてませんか?大きな夢過ぎますよ」
「夢はおっきくですよ!友也くん」
「創まで!」
「よーし!じゃあ練習再開するかっ!実現するために!」
「はいっ、にーちゃん!」
「はぁ…。俺も頑張りますよ」

謎の一体感に包まれ始まった後半の練習は、三人がくたくたで立てなくなるまで続いていた。



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