曖昧グラビティ
「君までー届けーきっと、あと少しー。暑い日差しが照らすこの道の向こうReady steady go!Prease.trust me」
東堂先輩の十八番だというその歌は、疾走感あふれる曲調で、夕希自身が歌ってきた曲とはまた違う新鮮さがあった。JPOPというジャンルは同じだけど。曲名で調べて見ると、もう何年も昔の曲らしかった。
格好いいな。
思わずくすっと笑うと、曲が終わった東堂先輩が「巻チャーーン!」とケータイに向かって叫んでいた。今、先輩の話している相手は、千葉県にある高校の同じ自転車部のライバル巻島先輩という方らしい。新開先輩が教えてくれた。
「どうだ、聞いたか!この美声を!もう一曲どうだ?ん?聞こえなかったか?ならもう一曲どうだ!……夕希、持っていてくれっ」
『…ぅ、…えっ、…ぁ、あの!』
「あ、そうだ!マイクはちょうどキーの下だから塞がないでくれ!」
突然飛んできたケータイを、何度か手のひらで跳ねさせてから手に収まったそれを左耳に当てる。東堂先輩を見れば、もう選曲に入っていて、仕方なく手元の端末に視線を戻した。
『も、もしもし?』
ちゃんと繋がっているか確認したくて声をかけると、「ハァ?東堂の奴ホントに2曲目いったのか?」と溜息をつく声がした。
『は、はい!』
「お前達も苦労してるショ。ところで、名前なんて言うんだ?俺は巻島裕介、総北高校3年ショ」
『…ぼ、僕は…1年の、真波夕希と、いいます。き、きたくぶです。ちょ、とした、ご縁で、自転車部の方と……仲良く、させて、貰ってます』
電話越しだから顔が見えないけれど、何となく声の印象から温かみのある優しい先輩なんだろうなぁと想像する。ライバルっていうからには、得意な道のタイプが同じなのかもしれない。何度もロードレースは見てきたから知ってる。平坦な道で加速ができる人、坂で速度をあげられる人、その両方ができる人。先輩方はどこのタイプなんだろう。
「そりゃまた面倒なのに好かれたな」
『……そんな、こと、無いですよ』
むしろ僕の方が面倒だ。緊張しやすくて、言葉に詰まって聞きづらくて、その上鈍臭くて、体も弱くて、欠点だらけだ。僕には何の取り柄もない。
落ち込んできた気持ちと並行して頭も下がった。
「まぁ?東堂の奴、根は良いからな。突っ走ると暴走するが、大目に見てやって欲しいショ」
『よく、ご存知…なんですね』
「週に2回も3回も電話が来てたら、嫌でも情報が入ってくる」
あきれ口調で言った巻島先輩につられ、僕もつい同情してしまった。御愁傷様だ。そんなこと考えていたら、「入れたぞー!」と東堂先輩の声がした。
『あ、始まる……みたい、です』
僕の声に、「……切るのはナシか?」と巻島先輩が呟く。
「ならんね!決してっ」
それに素早く反応したのは、何故か離れた場所にいた東堂先輩だ。
「……地獄耳っショ」
巻島先輩の言葉に頷かずにはいられなかった。それからすぐに始まった曲は、僕も聞いたことある曲だった。とても東堂先輩の凛とした声にあっていて、原曲とはまた違った雰囲気に仕上がっている。僕の好きな歌詞はサビの前。僕は僕を続けるよ、明日からも…なんて、今の僕にピッタリだった。曲も終盤にさしかかるが、電話の向こう側、巻島先輩は何も言わずに沈黙を守っている。きっとじっくり聴いているんだろう。
「君に会えて良かったよ、僕らお互いスゴイのさ。僕は僕を続けるよ、明日からも」
ほんとに僕の今の心境のようで、目を閉じて聞き入ってしまう。歌唱力があるんだな、東堂先輩って。
歌が終わると、巻島先輩の名前を呼びながら、東堂先輩がやってきた。
「巻ちゃーん!思わず聴き入ってしまったのではないか?!どうだ!」
「……お前にしてはまずまずの選曲ッショ」
夕希君ありがとうと、電話を受け取った時にお礼を言われて、再び東堂先輩は巻島先輩と談笑を始めた。
そんな先輩を見てたら、何となくだけど、彼のことが頭をよぎった。彼はライバルっているのかな。特定の人と話したりするイメージが湧かない。……他校には、いるのかな。
「夕希君?」
『っ、…ん?』
肩を叩かれて振り向くと、デンモクを持っている新開先輩がいた。
「ぼーっとしてたけど、平気?」
『あ、はい』
考え事してただけだから、なんて言い訳するのもどうかと思って、返事だけ返した。そしたら余計に思案顔をさせてしまった。
「つまらなかったかい?」
『ぃ、いえ!そんな、ことは…』
「じゃあ…笑顔を見せてよ、夕希君」
そう言って新開先輩は、フッと笑った。女の子だったら、きっとこの笑みにときめいてしまうのかもしれない。
『先輩の歌きいたら、なれるかもしれないです』
どんな曲を歌うんだろう。それも知りたい。冗談もこめて笑ってみると、「ヒュー!」と新開先輩が髪を掻き上げた。
「聞き逃さないでね」
色気たっぷりの声に続き、歌い始めた曲は歌詞が格好良く、声質にピッタリだった。世界の誰よりも輝けるなんて、僕はそこまで前向きにはなれないけど。
「Yes I am So keep on walking, go out through the door 後ろ振り向かずに行こう」
気づくと彼のことを考えてしまう。今までもそうだったし、これからもきっとそうなんだろう。でもだからといって人を心配させてしまうのは本意じゃない。今度からはもう少し控えめにしなくちゃね。無意識に考えること。もっと周りを見ながら生きれるように。そう、そんなふうに。
新開先輩の歌を聞きながら、僕も思わず口ずさんでた。
『So keep on walking』
僕も歩き続けようと。