大草原の小さな菫
クラスメートの真波君が休み始めてから、3週間が経っていた。
真波君の説明をするとすれば、容姿端麗、学業優秀で、まぁなんというかざっくり言うと漫画に出てくる王子様キャラみたいな感じの子だ。ただ、性格は内気で、自分の世界を持っている繊細な人で、話しかけるのも恐れ多いくらいの眩しい存在だ。西向きの廊下側にある、南のベランダ側の席側からすれば、光のささない席でも、後光がさしているようにさえみえる。それでいて声もこれまた綺麗なのだ。声変わりしているのか疑わしいほどで、透き通って聞こえる。恥ずかしがり屋な部分もあり、声を聞けた日は何だか一日良いことがありそうな幸せな気持ちになる。普通に話せているのは、把握する限りだと教師ぐらいだと思う。生徒だと、この間たまたま図書室の前を通った時に、他のクラスの女子生徒と彼が話しているのが見えたけど、あまりの珍しいツーショットに、目を丸くしたものだ。あ、それから、つい先日私が友人二人と廊下で話していた時に、一学年上の先輩に横抱き、所謂お姫様抱っこで運ばれてるのを見た。友達のえっちゃんと他のクラスのかなこが大興奮していた。
そんな欠点が見当たらなそうに見える彼だが、そうだなぁ、少し体育の授業は苦手かも。線が細いため体力があまりないというか、必死に頑張ってくるのは伝わってくるのだが、無理して座り込んでいたり、木陰で休んでいるのをよく見かける。とまぁ、こんな感じだ。
そのちょっぴりヒロイン要素のある彼の不在が続き、クラスの雰囲気もだんだんとおかしくなってきた。
私の友人なんかは「萌えが足りないっ!」と嘆いていたし、隣の男子は「アイツのいない学校なんかくる価値があるんだろうか」と授業中も上の空だ。
「……真波君、辞めたりしないよね?学校」
「フジ君も体調不良だって言ってたじゃん」
「けどさぁ、もう3週間だよ?」
「でもー!」
担任のフジ君こと藤下先生も、高熱による体調不良より詳細なことは分からないらしく、スマなそうに説明を繰り返していた。
月曜日の朝、何となく先週と似たような会話にデジャブを感じながら、友達で同じクラスのえっちゃんと登校した。駐輪場に自転車をとめる私の横で、納得の言っていない彼女の嘆きが続く。
「夕希君って確かに病弱設定だと萌えるけど、倒れてほしいわけではないのよ。うちのクラスの花なんだから!なんてゆうの?大草原の端っこに健気に咲く菫みたいな感じ?道端の蒲公英だと田舎の王子様って感じだけど、なんていうのかな、雑草ばかりの無法地帯にいる宝石的存在?それが彼なのよ。彼がいるから、周りには動物たちも寄ってきて華やぐの!!存在してなきゃいけない存在なのよ!わかる?」
「えっちゃんちょっと落ち着こう」
「これが落ち着いていられますか!菫の宝石が無くなったら大変だよ?水が無くなった砂漠地帯に成り果てるよ?まだ高校生活始まって間も無いのに、青くなる前に冬眠並の寒波到来だよ!」
「発言が電波だよー」
ほら行くよと、放置したら永遠に語りっぱなしだろうえっちゃんの背中を押しながら下駄箱を目指す。全くこれだから腐女子ってやつは。
私が靴を履き替えていると、隣でまだブツブツ言っていたえっちゃんの声が突然止まった。
「靴ある」
「なきゃおかしいでしょ」
金曜日持ち帰ってないじゃんと突っ込むと、違うと即座に返事が来た。
「真波君の靴ある」
「あ、来れたんだ!」
そりゃ良かった。ようやくうちのクラスにも平穏が戻ってくるわけか。庇護よくをそそられる真波君、早く見たい。保護者か。いや多分クラスの大半は私と同じ気持ちのはずだ。庇護よくはわくけど、近寄らせないオーラが強すぎて、電信柱の影から様子を窺ってるような不審者が大多数だけど。
脳内妄想をしていたからか、どこからか聞こえてきた歌声も彼の声に聞こえてしまう。
ピアノの伴奏に合わせて聞こえるその声は、ひとりのもので、柔らかくて上手くてつい聞き入ってしまいそうだ。きっと合唱部あたりの朝練なんじゃないかなとは思うけど。曲はなんだろう。聞いたことないなぁ。
「えっちゃんこの曲知ってる?」
「王子様の歌」
「いやいや嬉しいのは分かったけど絶対違うから!曲名だよ、曲のな・ま・え」
「違わないもん、これ夕希君歌ってる!曲名は虹だよ、福山さんの」
「え、本物?」
「確かめにいく?」
「行こう」
確かに合唱コンクールの時上手いなと思ったけど、にわかに信じ難くて声を頼りに廊下を急ぐ。その間にも、天使の歌声は続いていて耳が幸せだった。
着いたのは第3音楽室。窓から差し込む太陽光に照らされ、鍵盤を弾く真波君の姿が眩しい。目を閉じたままで、楽譜もなしに歌う彼の姿はまるで自分が作った曲を弾く作曲家のようだった。
「あっ誰か来る!」
階段からバタバタと走る音が響く。悪いことをしているわけじゃないのに、その音を聞いた私達は反射的に隣の空き教室に隠れていた。
バタンと荒々しく開いたドアに、ピアノの音が止まった。
「夕希君っ久しぶり!」
この声、誰だろう。男子ってことは声質で分かった。少なくともうちのクラスではない。久しぶりってことは何度か話したことのある相手なのかな。えっちゃん知ってるかな?と、隣に私と同じようにしゃがみ込む彼女を見やると、口許を手で塞ぎながら、ふーふーと荒い呼吸を繰り返している。手の隙間から少し見える頬は赤い。あ、萌えてるんだな。と、察した。
「それから…おはよう夕希君」
彼の声に反応して、そのあと足音が聞こえた。多分真波君が入り口近くまで来たのだろう。だんだん近づきいてくる。あ、いま何か小さく何か言ってる?
『ごめんね、治すの…時間、かかっちゃってた』
何か言ったあと、聞こえたのはここからだった。
「夕希君のせいじゃないでしょ。それにどうして謝るの?」
『えっ、……とね、それは…その、真波君、走ってきてくれたみたいに見えて、心配かけちゃってたかな、と、思って…、勘違いしてたら、ごっ、ごめんなさい』
彼も真波君というのか。珍しい苗字だと思っていたけど、同じ学年に二人もいたらしい。そういうのアウトオブ眼中だからなぁ。にしても、ダブル真波君可愛すぎか。これ腐ってなくても萌えるだろ。てか、夕希君は計算しないでこの発言してるんだよね?多分。
「……夕希君には敵わないなぁ」
わかる、すっごい同感。無意識的にやってるから、もう文句のいいようもないこの感じ。ほんと流石としかいえません。もうえっちゃんは完全にとけちゃってる。その間にも二人の会話は続いている。
『あ、……あのね、…真波君に…渡したいもの……あったんだけど、…か、…ばん…教室で、ね。…お昼やすみに…渡してもい?』
声が詰まりつまりなのは、声自体が震えてるから多分恥ずかしいからなんだろうが……なんだろう。このキュンとくる感じは。
「何くれるのー?」
へらりと応える彼に、『開けてからの…ぉ…おたのしみ!』なんてもう、目の前で見てる彼からしてみれば、萌えないわけないよね。いや、声だけでもこんなに萌えるのにさ。まぁ男性から見たらどうか分かんないけどね。
「えぇー?焦らすねぇ夕希君」
ホントだよ、夕希君。焦らすなぁ。無意識でやってのけるから流石だよ、女子力あるよ。高すぎだよ。その上あざとくないし!
『……遅くなっちゃったけど、お誕生日プレゼントだもん』
んんー!?なにこの子。今日で、私の中の真波君のイメージがだいぶがらりと印象かえたけど、ここまでとは。ほらもうひとりの真波君も声が出てこないみたいだよ?
「ぇ、あ、…準備してくれてたの?」
『心配かけちゃったお詫びも兼ねてるの』
「じゃあ…楽しみにしてるね?」
相手の真波君とっても嬉しそうだ。
『……うん、あっ、……あとね放課後、…一緒に自転車部行ってい?』
「ん?どうしてー?」
『休む前 ……黒田先輩とか東堂先輩とか、ぃ、いろいろとご迷惑かけちゃったので 、お礼に差し入れをちょっと……』
「…夕希君は気を使いすぎだよ」
ため息をつく彼に、真波君が焦ったように、『迷惑、だった……かな?』なんて心配そうに尋ねる。今の一撃でもうとっくに私の友人えっちゃんのライフは0だったのだけど、ついに吐血した。
「っそうじゃないって。大丈夫だよ、夕希君の気持ちセンパイたちもきっと嬉しいから。…だから泣かないでよ」
泣いたの!?見たい、すごくみたいよ!なんで隠れてんの私達?もう!
タイミングがいいのか悪いのか、頭上で予鈴のチャイムがなった。その音に、もう時間だと音楽室の二人は、連れ立って離れていく。その足音が完全に消えたのを見計らい、えっちゃんに声をかけた。
「えっちゃん、生きてる?」
顔を覗き込むと、何かブツブツとつぶやく彼女に「なに?どしたの?」と聞く。
「……気弱な夕希君にガン攻めして欲しい」
もう相手にしても仕方ないと判断した私は、えっちゃんをひとり空き教室に残し、廊下へと出た。
「あー……、ようやく今日から、うちのクラスも元通りだ」