中編 | ナノ
月よりも遠く

「大丈夫、側にいるからね。苦しいかもしれないけど、もう少しの辛抱だから。ぼくも帰らないで、手を握ってるから、大丈夫だよ」

咳が収まらなくて、過呼吸になって、酸素マスクをされて、看護師さんたちが忙しなく出入りする病室で、その子だけはとても落ち着いて見えた。手をずっと握ったままで、顔が見えるように立ったままで、ずっと見ていてくれた。咳をしながらも、その子の言葉だけは、不思議と聞こえて、ひどく安心して、かすかに残っていた力で頷いた。答えは言葉で返せなかったけど、相手も笑ってくれた気がして、ふっと意識を飛ばした。












朝、目が覚めると、頬を濡らしていた。布団に落ちては、染みてゆくそれをしばしばぼーぜんと眺めてから、手で頬を拭った。

なんだあの夢……

懐かしいようで、全く記憶にない。相手の顔は見えなかった。見えてても何も変わらなかったと思うけれど。

頭をガシガシと掻き上げて、枕元の時計を手に取ればあと30分前で、部活も始まる時間で、「やばっ…」なんて、全然焦ってもいない口調で呟いたあと、おもむろに着替え始めた。

夕希からの待ちに待った電話を受けたのは、部活が終わって家に帰宅した時だった。かかってきた相手の声を聞いて、彼だと気づくことにも時間がかかって、気づいた時には、もう遅かった。

どうしてかって言われると困るけど、声は確かに彼だった。けど、日頃見てるおどおどしてる印象がわかなかったんだとしかいえない。それに一度も言葉に詰まることなくって、驚いた上に何も返せず一方的に会話は終了していた。

今日は運悪く土曜日で、彼に会うことはできない。

ありがとう、の一言が返せなくて、それだけが心残りで、かといって、かけてほしいと頼んだ身としてはかけ直す勇気もなくって、もだもだしてるうちに寝落ちしていた。

だからあんなリアルな夢を見たんだろうか?

今は全く無いけど、昔はひどく体が弱くて、しょっちゅう入院してた。だから病室の記憶は、嫌というほどある。

着替え終え、夢で握られていた左手をじっと見た。

……考えすぎ、か。

ふぁあーと気の抜けた欠伸をしながら家を出る。ロードに乗って学校へ向かう道中、夕希君に月曜日どう話しかけようかとその事ばかり考えていた。



しかし実際に月曜日、顔を出してみた教室に夕希君の姿はなく、それから1週間経っても会うことは叶わなかった。


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