「はじまり」
「ユキ様、朝食のお時間ですよ!」
「今日という今日こそは食べていただかないと困ります!!」
「ここを開けてください!せめてお顔だけでもっ」
「ユキ様!!」
暫く偵察で城を留守にしていたゼンの耳に入ったのはユキの部屋の前で騒ぐ兵やメイドの声だった。
「これは何事だ?」
必死にドアに向かっていたその一人に声をかけると、訴えるようにその場にいた全員の視線がゼンに集中する。これには後ろにいた木々やミツヒデまでもがたじろいだ。
「ゼン殿下いいところに!」
「実はゼン様が、偵察に赴かれたあの日からユキ様が部屋から出て来られないのです!あの日の朝食以来何もお召しになられておられないのです!」
偵察に出発したのは三日前だった。イザナ陛下も遠出をすると聞いたのが、朝食のユキが退室した後だったから、その後に閉じこもったのだろう。
「水さえもか?」
「えぇ。…お声さえ、聞こえて来ないのです」
ゼンの問いかけに、一番年若い侍女が涙声で答えた。
「たしか内鍵だったな」
「そうです。窓も鍵をかけられてるようで…」
「無理に破るのはどうかと思いまして、ずっと呼びかけていたのです」
侍女だけではなく、兵からも疲弊気味の表情が窺えた。これ以上負担をかけさせるわけにはいかないだろうと、ゼンは一先ずその場にいた者に休息するよう伝えて下がらせた。
「俺が話してみるよ。ミツヒデ、木々も先に休んでくれ」
「ゼン……けど、」
「行くよ」
「………って、木々!」
意図を汲みとって素直に離れていく木々に、引っ張られていくミツヒデを見送りながら、ゼンは目の前の扉を見た。
さてと。
「………ユキ、聞こえているか」
出来る限り優しい声で弟の名を呼んだ。
「何があったんだ?…お前と、話をしたい。城の者の声は聞こえていたんだろう。皆、お前を心配している」
ゼンの声にさえ、反応ひとつ返ってこない。物音さえ聞こえなかった。
「……話したくないなら、それでも構わないから!…顔だけでも見せてくれ」
それでも音のしない扉に深いため息が漏れる。
……俺は相当嫌われているんだな。
ゼンが燃え尽きたように扉に寄りかかって、次の策を練っていると珍しいふたり組がこちらにやって来た。
「オビ、それにリュウ?珍しいな。一緒なんて」
ゼンの言葉に、オビがニカッと快活に笑った。
「そう?オレ、リュウ坊とはちょいちょい会いに行くくらい仲良しなんすけどね!」
「勝手に来るだけだよ」
「つれないなぁ!」
「で、何の用なんだ?」
ゼンが咳払いして尋ねる。すると「危うく脱線してたねぇ」と悪びれもなくオビが言った。
「あのなぁ…」
「主、主!あのですねぇ、それよりですねぇ!リュウ坊が原因をご存知だそうでっ」
「っ、そうなのか!?」
「というか…僕のせいだと思う」
いつもと変わりない様子で経緯を話すリュウに見えたが、どこか負い目を感じているのか視線がいつもより下気味だった。
「リュウに悪いとこなんてない。むしろすまんな、お前も困ったろ。こんなことになって」
「でも、おれが追い詰めちゃった」
「そうじゃない。だから気にすんな」
「でも…」
「あっ、隈が出来てるじゃないか。もう今日は休め、薬室長には俺から伝えとく」
「………まだ昼時だけど」
「それでもだ」
有無を言わせないゼンの態度に、リュウが折れた。
「………じゃあ、お願い」
「あぁ!任された」
「これ…。渡して欲しい。こないだの紅茶、気に入ってたみたいだったから」
懐から出した茶葉を手渡し、リュウはゼンに背を向け去っていった。来た時より、少しは気が楽になっただろうか。
「オビ」
「ん?何ですか、主」
「窓からユキは見えるか?」
「や?あの王子様、クローゼットがお好きだから」
「初耳だぞ、それ」
「あれま!言ってませんでしたっけ?侍女が下がるまではベットに入ってますけど、気配なくなったらクローゼットで過ごしてるんですよ。ここに来てからずーっとね」
「寝る時も?」
「そう、部屋にいる時は殆ど!」
「オビーーっ」
「か、鍵開けてきまーす!」
逃げるように駆けて行った背中に、ため息を吐いても仕方ない。今までユキのことを、向こうが避けているからと深入りせずにいた結果なのだ。現にオビの方がユキのことを知っている。ガチャリと開いた部屋に、踏み込むとその殺風景さや生活感のなさに胸が締め付けられた。
クローゼットの前まで行くと、微かな寝息が聞こえ、中の人の気配に安堵する。そっと取っ手を引くと、猫みたいに身体を丸めて眠る弟の姿があった。
「……ユキ、もう日が高いぞ」