一歩、踏み出した
次の日
朝食のために大広間の扉を開けた。時折見かけるゼンがいる覚悟はしていた。が、もう一人の兄の姿にユキの足は入口で固まった。
『………イザナ兄様』
「やぁユキ、遅かったね」
ここに来たらどうだい?と、控えていた従者に席を引かせて手招きをする。ユキは引き攣った表情を繕うように笑い、引き寄せられるようにその席へと座った。
『し、失礼致しますっ』
いつ振りだろう。三人そろって食事をするのは。
座ってから横目にイザナ兄様をみて、そのままゼン兄様をみた。
緊張はないように見えるけど、いつも以上に引き締まった表情をしている。どことなく昨日の様子より別人にさえ見えるようだった。
「もう具合はいいのか?」
『…はい、ご心配…お掛けしました』
「ならよかった」
ゼンの声にユキはぴくりと肩を揺らした。平静を装って返すけれど、その声は震えていた。
「兄上、ハキ様はご一緒ではないのですか?」
「あぁ、今は席を外している。…ユキ、体調悪かったのか?」
『ぇ、……っ、』
体調ではない。強い花の香にあてられただけだ。
でもそう正直に答えてしまっていいのかな?
優雅にティーカップを持ち口許に運ぶイザナを見てユキは自分のために用意された前菜に目を向けた。
『…いえ、……少し、眩暈がしただけです』
柔らかそうな海老をフォークで刺しながら、その手に余計な力が加わった。
僕はどうして目を見て話せないのだろう。
だから誤解されてると知っているのに。
「そうか、無理はするなよ」
イザナの言葉に軽く首肯し返事を返す。
『……ありがとう、ございます』
雰囲気から逃げるように、前菜とスープだけで部屋を出た。緊張で胃が気持ち悪い。ユキは胸を押えて、今出たばかりの扉を見た。
『……ごめんなさい』
また心配をかけてしまう。わかっていてもやってしまう。兄様に何度謝ったって、兄様を困らせてしまうだけなのもわかってる。兄様は謝って欲しいんじゃなくて、理由が知りたいだけだってことも。そのことに知っていて尚、謝るのはおかしいのかもしれない。
長い廊下を自室に向かいながら歩く。風通しの良い一階は窓ガラスがなく、石の柱と床でできている。中庭の見えるあたりまで歩いてきて、ふと心地よい風が吹いてきた。つられて顔を上げると、前から両手に本を数冊積み重ねた少年が見えた。
『……リュウ、さん』
彼もこれから仕事なのかな?
咄嗟に柱の影に隠れて、近付いてくるリュウの足音を静かに聞いていた。一定のリズムで心地良く感じるそれは、ユキのすぐ後ろを通過していく。気付かれてなかったことにホッとして、立ち上がろうとした時足音が止まった。
「おはよう、ユキ様」
リュウの淡々とした声に、どきりと胸が跳ね上がる。そんなユキの内心を知らないリュウは、続けてこう言った。
「あのあとゼン殿下と話せた?」
その言葉に胸が心拍数を上げて鳴り出す。痛いくらいだった。
『………まだ、です』
何も話さずにはいられなくて、隠れたまま答えた。
『……こ、恐くて…話せないです』
兄様は優しいから、本音を隠すかもしれない。心配してもらってる反面、ぐじぐじと意気地のない僕のことは嫌いなのかもしれない。声や態度には出さないだけで。
そう思うと、全身が緊張から硬直して小さな一歩すら踏み出せない。今日の朝食でもそうだったように。
「もっと肩の力、抜いたら?」
知らず知らずのうちに耳を塞いでいた夕希の肩に、ぽんと暖かいものが触れた。驚きから、肩を揺らした。上を見ると、そこには思いの外近い位置にリュウの顔があった。彼の手が自分の肩に伸びているのが見える。
『……っ?!!…ぁ、……あの………リュウさ、…』
「…そんなに恐がることない…と思う。……上手く言えないけど」
『………っ』
そんなこと言わないでほしい。
君に兄様の何がわかるの。
………僕の、何がわかるの。
肩からの温かみを振り払うようにユキはリュウの手を払い、静かに立ち上がった。
『………簡単に、言わないで』
自分の耳に届くのもギリギリの声でそれだけいうと、僕は力の限り走った。方向も走り方も滅茶苦茶だって自覚しながらもただ我武者羅に走った。
走りながら思った。
八つ当たりなんて最低
彼は何も悪くない、悪くないのに…!
「力の抜き方、知ってるなら教えてよ」
あれ以上あの場にいたら、そう叫んでしまいそうだった。