中編 | ナノ
見ていたよ

「こんなところにいたのか、ユキ」

隅の花壇横に座り込んでいたユキはふと後ろを振り返って、『………兄様』と呟いた。兄であるゼンの後ろには兄の側近であるミツヒデと木々の姿もある。

「また朝食を食べないと料理長が嘆いてたぞ」
『……ぉ、お腹、すかないのです』
「だからといってサラダだけというのは感心しないな」

ユキは幼い頃から人見知りで身の回りの世話人とでさえも話すのが苦手で、王城アレルギーを発症した母のハルトと一緒にウィラント城へ移っていた。それが今回、母が兄に王位を譲るのと同時に城へ戻ってきた。

『……ごめ、なさいっ…』

立ち上がるとユキは、小走りで城内へと駆け込んでいく。一度も目を会わさず去っていった弟に、ゼンは髪をくしゃっとかいて、溜め息を吐き出した。

「…嫌われてるのか?俺は」

その呟きは当然本人の耳に届くことはなかった。



全力で逃げ出してきたユキは自室の前で漸く足を止めた。上がってしまった呼吸を整えながら、部屋にはいり鍵をかける。それでも他人との接触がこわくて、クローゼットの中に膝を抱えて座り込んだ。

『今日の予定は午後からの座学とそのあとの稽古だけ、それまではここにいてもいい、よね。……ぁ、でも食事時には集まって食べるようにって、兄様仰ってたっけ…』

俯くと額に膝があたった。ここは狭くて暗いけど、自分の心音だけだから落ち着く。外は音が多くてこわい。人の話し声、鳥の鳴き声、足元からも音がする。音に溢れて賑やかだ。脳裏にふと浮かんだのは、もう城を発ってしまった母様の言葉。

" 色んな人を知ってもっと世界を見なさい。怖いものばかりじゃないはずよ。"

そうは言われても、出来ないものはできない。兄様方のように、僕は振る舞えないのだから。

重くなった瞼をゆっくり閉じると、ここ数日の慌ただしかった数日の出来事が浮かんでくる。

戴冠式のためにやってきたここは、本来母様がいるべき場所だった。なのに何故か僕には他国の王城を訪れるときのような緊張感がはしっていた。自分の兄と会い、これからは一緒に過ごしていかないといけないところなのに、全く実感がわかなくて、指で数えられるくらいはお会いしたことのある兄様方はそんな僕にもひどく優しかった。

それから無事戴冠式を終え、兄はそれぞれイザナ陛下、ゼン殿下となった。ユキ自身もこの国の第二王子へと地位があがったのだけれど、その位に見合う技量まであがることはなかった。






「ユキ・ウィスタリア第二王子はここにいらっしゃいますかー?」

コンコンと小気味良い音に、ユキはうっすらと顔をあげた。手首に付けた腕時計に視線を落とすと、まだ昼食には早い時間。聞き覚えのない声に、ユキは少し身構え答えた。

『……ど、どちらさま、ですか?』
「質問を質問で返しちゃあいけませんよ、王子ー」
『でも……っ』
「言い訳禁止でーす」

知らない人だからと、答えようとしたユキの言葉を遮るように、相手の声が重なった。

「ゼン殿下から言付け預かってるんで、出てきて下さいませんか?」

ユキはピクリと肩を揺らし扉をみた。

……ゼン殿下。
兄様から、僕に?
さっき逃げてしまった事への呼び出しだろうか。それとももっと大変な何かを知らず知らずのうちにしてしまったのだろうか。

体が震え、ますます出にくくなってしまう。

…………こわい。

早く帰って…っ!

正直なところ、ユキの答えははじめからその一択しかなかったが、兄からの言付けともなれば、聞かざるを得ない。

「…出てきて下さらないと、お伝え出来ませんよー」

ユキが悩んでいる間にも、声は急かすように何度もユキへ語りかけてくる。ユキはその声に堪えられなくなって、ぎゅっと目を一瞬だけつぶり、そっと扉に手をかけた。








「薬室ちょー、王子連れてきましたよ」
「おー、なかなかやるじゃなーい。ささっ、入って入って!」

王宮の薬室は想像してたより、薬の臭いがしなかった。もっとこう、いろいろビーカーにすごい色をした液体がいっぱいあったり、試験管まみれのをかんがえてたのだ。人にしたって、博士みたいな格好の恰幅な体つきのめがねをかけた中年の男性が働いてるようなイメージをしてた。

ただ、薬室長と呼ばれていた人は白衣はきていたが、すごく綺麗な女性で、嫌な顔一つせずにユキを受け入れてくれた。

「診断したのは随分と昔だから、きっと私のことは覚えていないわね」

独り言のようにつぶやく女性に、そんな前から薬室やってるんすねと茶々を入れる青年。ユキはそのやりとりを部屋の隅で静かに聞いていた。親しげで楽しそう。そんな気持ちが湧いて出ていて、慌てて左胸に手をあてた。

「ユキ王子、私はガラク・ガゼルドよ。ここでは薬室長をさせて貰ってるわ」

宜しくねと手を差し出された。ユキはおずおずと手をとり、小さくはいと返事を返す。

「今日来て頂いたのは、勉学の息抜きに明日私の助手であるリュウと薬草採取をお願いしたいのです。1日で行って帰ってこれる場所にありますし、リュウも何度か行ったことがあるので心配はいりません」
『息抜き………?』
「はい、もし嫌でなければ。何でも、聞けばユキ王子はずっと部屋に篭りがちで座学が多いのでしょう?座学も良いですが、天気のいい日には、気分転換もいかがでしょう?」
『………っ、』
「それにゼン殿下の名前を出したのは貴方を部屋から出すための口実であり、殿下は私の提案に賛成して下さっているだけなので同行は致しません。あくまでも貴方が行くかどうか決めてくださって構いませんよ」

ほっと息を吐き出すとその様子を見ていたガラクの隣に立つ青年と視線が交わった。

…そういえばまだ名前…

訊いてないとユキが口を開こうとした時、青年から声がかかった。

「申し遅れました、ユキ王子。俺はゼン殿下の伝令役オビと申します。以後お見知りおきを」
『っ、はっ、はい。…宜しく、お願い…致します』
「表情硬いっスね、王子!そーんな緊張いらないって!気楽に行きましょ」

オビが近くへやってきてガチガチだったユキの手をとり、「つーか王子たちの任務の護衛俺も行くんで、慣れてもらわなきゃ困ります」と切れ長の目を細めて笑った。

「メンバーは王子と同い年のリュウと、他にリュウの弟子の白雪、兵を二人ほどつける予定でいるので、もしオビが怖いようであれば白雪と話すのもいいかもしれないですね」
「そりゃないですよ、薬室長ー!」
『白雪…様、ですか?』
「ご存知ではなかったですか?」
『…ぇ…、ぁ……っあの、……申し訳、ありません…。も、もしかしたら、すれ違って…いらっしゃる、かもしれませんが、…僕っ』

ユキは城の中でさえ、顔を上げて歩けないほどの、上がり症且つ人見知りだった。その上家族と話すことですら、緊張してしまって目を合わせられない。もうこの薬室に連れて来られた時点で潤ませていた瞳から、ぽとぽとと涙が零れた。

「責めてる訳じゃありませんよ、王子!」
「王子!?あぁ、そんなに擦ったら赤く腫れちゃいますってば!」
「八房はタオルを、ヒガタはリュウにハーブティー頼んで来て!」
「分かりました!」
『……ごめん、なさいっ』

「随分賑やかですね、どうされたんですか?薬室長」

ユキが目許を擦ってしまうのをオビが手で静止して、ガラクがユキの背中を落ち着けるように撫でていた時、柔らかい声と一緒にゆっくりドアが開いた。

ドアの先には赤髪の少女と銀色の髪の青年がぽかんした顔で立っていた。










ユキは長椅子に座って、差し出されたハーブティーを口にしていた。隣りには兄のゼンがオビやガラクから話を聞いている。

温かいハーブティーはカモミールの花から作ったのだと説明を受けたユキは、その香りを楽しみながらちらりと兄の向かいに座る赤髪の少女に視線を送った。

薬室見習いの白雪さん。

初対面で様付けで呼んだところ、恐れ多いですからとさん付けにしてほしいと懇願されたのはほんの数分前のこと。

とっても優しそうでよかった。

そのあと自分の机向こうのリュウにも目を向けて、やっぱり同じ感想を持った。ただ同い年で、なのに僕より落ちついてて、立派な研究者で。

凄いなぁ。

なんて見つめていたら、ちらりと視線が交わって慌てて逸らした。


「ユキ」

そんなことをしていたら事情を聞き終えたゼンが名を呼んだ。その声色にびくりと肩が上下する。怒っている。そんな雰囲気の硬い声だった。

『は、はい…』

人と話すだけで泣くなんてみっともない。兄はきっとそう思っているのだろう。

怒られると分かっているからこそ顔が上げられなかった。ハーブティーの入ったマグカップを見たまま答える。

「どうしてそんなに怯えてるんだ?」
『……?』
「恐い?それとも寂しいのか?お前が話してくれないと俺は分からない。どうしたらいいかも分からない。だから教えてくれないか?それに行きたいのかどうか俺も知りたい」

思わず白いカップから兄へと目を向けた。怒られると思っていたその声は真剣にユキのことを考えてくれていたからだったらしい。初めて正面から見た兄の瞳は綺麗な青藤色だった。




兄からの問いに最後までユキは答えられなかった。あの吸い込まれるような瞳から咄嗟に逸らしたまま、意味にならない母音だけが口からこぼれる。そんな自分が情けなくて、あの場にいた誰にも見られたくなくて、涙が溢れる前に薬室長の部屋から飛び出してきてしまった。

兄様は…どうしてあんなに真っ直ぐで居られるんだろう。

乱れた呼吸を整えながら、近くにあった建物に身を隠した。

中に入るととても甘い匂いに、一瞬意識が飛びそうになる。身の先端に花のような模様があって、身を囲む葉も先端の模様と同じ形をしていた。

何の実だっただろう。

一面に咲くその花のような植物にしゃがみ込んで近づいた。

綺麗な実だなぁ…

近づくと一層甘い香りが増して、頭がぼんやりと霞みがかってくる。

本当に何の実だろう。
これだけ甘い匂いのするものなら印象が強くて忘れられないはずだけど。

駄目だ、頭がクラクラする。
習った気がするけど、思い出せない。

しゃがみ込んだままの姿勢で、ユキは頭を押さえた。そうしているうちに立ち上がる力さえ抜けてしまい、身体が傾いた。

「ユキ……ッ!」

意識が途絶える間際、兄の僕を呼ぶ声が聴こえた気がした。


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