Who is it to have called?
誰かに呼ばれた気がした
すごく、すごく、とおい
かすかに声だと認識できた
音だって間違われてもおかしくないくらい遠い気がする
性別の判断もできないくらい
……そんな離れてちゃ、わかんないよ
呼ぶならもっと近くで呼ばないと……
だれ?
だれが呼んでるの。。
だれを呼んでるの。。
『…………っ、』
熱のせいかぼやぼやする思考。何となく呼ばれたような気がして、夕希はうっすら重い瞼を押し上げた。真っ白…ではなく、夕焼けの浸食によって橙色に染まった天井は幾度となく見てきた保健室のそれだった。
昼休み、黒田さんにつれてきてもらって、一度眠ってから起きて…。そうだ、放課後になったら、起こしてくれるって、せんせ言ってたのにな…。
怠さが最高潮になっていたときより幾分和らいだ身体を起こすと、傍らに真波が座っていた。
『なっ…!』
何で!!
何時からいたのかわからないがすやすやと眠っている。時々頭がかくんかくんとゆれ、頭上のアホ毛が踊っていた。
咄嗟に口に手をあて驚きを押し込めた夕希は、もう一度彼をみた。ここまで近くでみたのは初めて視たときから一度もない。レース中はいつも沿道ではなく、少し会場から離れた高台であったり、もくしは建物の影からであったり、とにかく選手からは目の届くことのない場所から見ていた。
学校でも廊下ですれ違うことはあってもまともに目を会わせたことはない。
この間宮原に呼ばれて彼を紹介されるあの日までは、話したことすらなかった。
でもまさか、、、、
それがこんな近くにいてもらえるほどになるなんて。
"今日"は楽しい夢の終わりだから。
だからこんな側にいてくれてるのかな。
なんて、ね。
『真波君』
気持ちよく寝ている人を起こすのは気が引けるけど部活もあるだろうからと名前を呼んだ。
「………ん、…ゆきく、ん?」
『うん、おはよー』
「あ、おれまで寝ちゃってたのか…」
何度か目もとを擦った真波は、夕希をみてから周りを見渡し、「やっちゃったー」と苦笑いした。ほんとうは保健の先生から起こすように頼まれていたのだと言った彼に彼らしさを感じながら夕希は少し笑った。
『そーいう日も、あるよね』
「夕希君身体は平気?」
『家に…帰るくらいは、回復した、かな』
「なら良かった」
ずっと苦しそうだったら送っていこうかと思っていたなんて笑顔で言われて、心配をかけていたことに申し訳なさ過ぎて真波に頭が上がらない。
『…へんなこと、いってなかった?』
「夢でも見てたの?」
『ん、実は。……内容は、忘れちゃったけど』
嘘、全部覚えてる。
もう何年も繰り返し繰り返し見てきた、一生消えない僕の罪の夢だもの。
真波の声に全神経をそそぐ。そうでもしないと、今にも会話が成立しなくなる。夕希は怪しまれないようにと必死に耳を傾けた。
「おれ、夢はあまり見ないかなぁ」
『……熟睡してる証拠だよ、きっと』
「いいんちょには、“授業中寝るなんて信じらんない”ってしょっちゅう怒られるけどね」
『……今の、宮原さんに似てたかも』
「そーだった?」
『うん。特徴とらえてた』
「よく怒られてたからね」
真波は続けて小学校からずっと、と笑いながら言った。
『そっか、すごくながいね』
そんなに昔から一緒だったんだ。……羨ましい。なんてまた余計な思考がわいてきて、頭を左右にふった。いつもなら彼の前でも今までどおりの真波夕希を、他の同級生に接するような態度で、どこにでもいる同級生を演じてこれたのに今日はぼろぼろだ。いつぼろがでてもおかしくない。むしろすでに変に思われているかもしれない。熱のせいだろうか。それとも明日がはじまりだからか。
「夕希君ふらついてるけど、ほんとついてかなくて平気?」
『…うん。……僕こそ、こんな時間まで付き合わせちゃって…ごめんなさい。部活がんばってね』
昇降口を抜けたところで真波が心配そうに夕希を振り返った。腕につけた時計はすでに部活動開始からもう三十分以上過ぎていた。これ以上負担をかけてしまうのは夕希の本意ではない。遅刻させてしまっていることにすら、罪悪感を感じているのだ。それに先輩方に怒られるのは真波である。
「そう?…ならおれもう行くね」
『……うん』
これでいい。これで…。
これ以上真波君をひきとめちゃ駄目だ。
心のなかではわかっていた。しかし夕希は咄嗟に真波の袖口を掴んでいた。
「夕希君?」
『え?……ぁ、ごめん…、引き留めちゃって…、もう本当大丈夫だから』
「大丈夫って顔色じゃ無いけどね」
『それは……熱が…ある、から……』
「でもなにか言いたそう」
『……っ』
確信に近い強い口調でいった真波に、心が揺らがないわけがなかった。夕希にはどうしても伝えたいことがある。しかし口にする勇気がなくて、そもそも最近知り合ったばかりの自分がいってもいいものなのかなんてぐちゃぐちゃ言い訳ばかりが先行してしまう。
『本当、なんでも……』
「ききたいんだ。だから話して?」
ないよといいかけたままの口が止まった。
…真波君はきづいてるのかな。
君にそんな口調で言われたら僕が逆らえないってこと。
夕希は無意識に左胸に手を当てた。鼓動がいつもより早い。理由は明白だった。夕希はぐっと一度、歯を噛み締めて、決意を決めたように顔をあげた。
『……おめでと…って、伝えたかった』
夕希の声は緊張のせいでか細い声となって真波に届いたが、その言葉によくわからないといった顔で彼は問い返した。
「どうして?」
『っ、…ぁ、した…お誕生日、……ってきいた。……だから、』
「あぁ、そっか。ありがとう!………………っていいたいとこだけど、」
言葉を濁す真波に、夕希の胸の不安が膨れ上がる。やはりまだ出会って間もない友人とも言い難い人間の祝福は嫌だったのかもしれない。嫌われることだけは避けたかった夕希は内心焦って今の言葉をとりけそうと口を開こうとした時、真波が先に言いかけた言葉の続きを口にした。
「それは明日、直接聞きたいな」
明日はきっと学校に来られない。それは彼もわかっているはずだと思っていた。今の立っているだけでもフラついている夕希を実際に見ているのだ。この調子では登校もできないと判断出来るはず。それでも夕希だったら登校してくるだろうとそう思われているのだろうか。真波の言葉に戸惑いを隠せない夕希は、『っ…。…あ、明日…は、…』とまで言いかけて口を閉ざした。もし行けないと答えて、嫌われないまではいかなくとも嫌な印象を持たれたらどうしよう。体調不良は立派な欠席の理由になる。が、元々はといえばここ最近調子が悪くともごまかしを繰り返しながら登校していたことが原因なのは、重々承知済み。自己責任だ。明日は金曜日。1日我慢すれば、土日の2連休が待っている。それまで辛抱しろと言っているのか。熱で思考回路が麻痺していた夕希には少しおかしな結論にいたり、返事しようにもできずにいた。
「だからさ夕希君、電話番号教えてよ」
『へ、………ぁ、…えっと、ば、ばんごう?』
「そっ。ケー番!ケータイの番号!まだ交換してなかったでしょ?」
『直接…、会いに。…登校しなくていいの?』
今にも泣きそうな声で言った夕希に、真波は全身で驚いていた。
「えっ、夕希君明日も学校来るつもりだった?!駄目だよ、休まなきゃ!もっと悪化しちゃったら、それこそ大変だからっ」
『……だ、って、真波君が…、直接って』
「それ勘違い!…電話で充分おれは嬉しいからさ」
ごめんねと謝罪しながら、真波は近寄ってきて夕希の背中をぽんぽんとたたいてくれる。真波の手はとても暖かくて、胸まであたためられた。この温かさなずっと変わらない。きっといつまでも変わらない温かさだ。
「それじゃおれ、もういくから!明日待ってるね」
お互いの連絡先を交換すると、足早に真波が部室へ向かっていく。
『うん、ありがと』
また明日、とは言えなかった。ふと、ほんとは言うべき言葉だったかなと、立ち去ったあとで気付く。けど、でも残念ながらその時の僕には言えるほどの勇気は持ち合わせていなかった。