中編 | ナノ
バレリーナのつまさき

夢を見ていた。

冷や汗のせいでYシャツは身体中の水分が抜けてしまったと思えるほどにびっしょりで少し寒い。なのに頭は熱のせいでぼんやりし、顔はほてってくらくらする。その目眩すら覚える不安定な視界に真っ先に入ったのは見慣れない日本家屋の天井板だ。目の届く範囲で見渡して見てもやはりピンとくるものはなかった。

どこだろう、ここは。

家の和室はこんなに立派な天井板を使っていない。障子紙も模様入りのものなんて使ったことはない。

そもそも僕は家にたどり着いたのだろうか。

夕希の頭がようやく動き始めて、東堂と会った記憶まで蘇ってきたとき、和室の襖が開かれた。

「真波、起きていたのだな。身体は辛くないか?」

『…と、…どう先輩……っ』

起き上がろうとするも腕に力が入らない。

「今日はもう遅いから泊まっていけ。その身体じゃ家まで持たぬではないか」

『おそ…い?……ぇっ……今、…何時ですか?』

夕希が慌てて周りを見渡すも、辺りに時計などはない。

「もう八時過ぎだ。あぁ、親御さんには連絡しておけよ」

八時……普段の夕希ならば、家で夕飯を食べ終え自室で勉強かピアノでもひいてまったりしている時間帯である。

『ぇ、でも…っ』

こんな遅い時間まで、自宅以外の場所にいたことがない夕希はひどく動揺して、半分パニック状態だ。

『…もうこんなに、…ご迷惑……かけてしまって、…さ、更に泊まっていく…だなんて、…』

ここもきっと東堂の家なのだろう。布団も冷却材まで貰っている。罪悪感で東堂の顔が直視出来ない。

「そんな身体のお前が家に着かなかった場合の方が大変なのだぞ

真剣な東堂の声色に、夕希は俯いたまま何も言えなくなった。それは彼の言うとおりだったからだ。探しだす手間をかけてしまうのは夕希の本望ではない。ゆっくり顔を上げた夕希は『……おせわになります、東堂先輩』と、彼の目をみて言った。











夕食だと言われ、テーブルに案内された夕希はその豪勢さにただただ圧倒されていた。

『……こ、これが夕食、なんですか?』

「なんだ、物足りないのか?真波」

『いえっ、…こう、……なんと言いますか、一般家庭ではこんな、立派な食材…使えないので…。…毎日食べて…いらっしゃるのかと思うと、なんだか…目眩がして』

皿にのせられている金目鯛のあかをぼんやり見つめながら、ありのままの感想を伝えれば、「ハハッ、なんだそんなことか」と東堂が笑った。

「真波おまえがいるから、今日は特別なのだ。客人だからな」

『で、でも…、僕、自転車競技部の…東堂先輩の、後輩じゃ、』

「後輩に部は関係ない!とにかく気にするな」

ニカッと白く眩しい歯を見せ笑った東堂は、冷めぬうちに食べてしまおうと夕希に言うと、目の前に広がっていた刺し身に箸を伸ばした。



暫くたって夕希もお言葉に甘え箸を手に金目鯛の煮付けを一口口へと運んだ。醤油を控えめに砂糖と甘く煮付けられたそれはふんわり口内に行き渡る。何度も噛まぬうちにとけてしまい、くせになって無言のまま咀嚼した。そのうち何時間くらい煮込んだらこうなるのだろうと、変な方向に意識がそれていって、口は動いているものの、熱のせいか味がわからなくなってきた。量も一向に減っていく様子が感じられない。

「どうした?不味かったのか?」

『いえっ!そんなことは…』

「……食欲がわかないのか?」

『……、すみ、ません』

夕希が器に残ったご飯に目をやりながら謝ると、「謝るな」と東堂が優しい口調で言った。

「体調不良なのだから、仕方ないだろう。今日はもう休め」

『はい』

テーブルに器をおいて、ご馳走さまでしたと手を合わせる。目を閉じ、残してしまったものに心のなかで謝罪をしていると、ふわりと髪を撫でられた。

『東堂先輩?』

「……あまり抱え込むなよ。何かあったなら、すぐに周りを頼れ」

言葉の真意はわからない。しかし体調の悪い自分を東堂がひどく心配してくれているのが伝わってくる。いつもご心配おかけしてすみません。それだけ伝えて夕希は貸し与えられた部屋へと戻っていく。









「…………そうはいっても、きっと君は隠し続けるのだろうな」

夕希がドアを出ていこうとしていた時、東堂の呟いたその言葉は誰にも届かなかった。


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