音のない世界
夕希が発見されてから、1週間くらいでまなかが目をさました。まなかは不安そうな顔ひとつせず、ちさきと「ぬくみ雪、ぬくみ雪!」とはしゃいでいた。
夕希は起きたらどんな反応するだろう。
やっぱり不安でも我慢して、泣かないでいるのかな。
「要?」
「どうしたの、ちさき」
翌朝3人でちさきの作ってくれた朝食を食べていた時のことだ。突然名前を呼ばれて彼女の方を見ると、箸を休めてこちらを見ているちさきがいた。
「……夕希が見つかる前からだったけど、今の方がもっとぼんやりしてる。食欲もないみたい……」
「そうかな?」
「しっかり食べないと倒れちゃうよ。夕希はきっと大丈夫だから」
「………ちさき」
大丈夫なんて、どうして言えるの?ちさきはあの海の中での夕希を見てないから、そんなことが言えるんだよ。苦しんでたほんとの夕希を知らないから、だからそんなことが言える。喉のところまででかかった言葉を飲みこんで、箸をおいた。
「……御馳走様。今日は夕希のところ寄ってから帰るね。夕飯はいらないから」
「要っ!まだご飯残って…」
「お腹いっぱいなんだ。ごめんね」
立ち上がって家を出た。頭をめぐるのは、必死に手を伸ばしてくる苦しそうな夕希の顔だけだった。
「八つ当たりはよくない。ちさきを傷つける」
「……そんなの紡に言われなくたってわかってるよ」
「ならやるな」
後ろから声がした。歩くスピードはそのままに保ち返事を返す。すると今度は追い越して、前に立ちふさがった。
「辛いのは要だけじゃない」
「それもわかってる」
「わかってない!」
「っ…!」
珍しく感情的な紡に目を見開いた。
「……好きなら大事にしろ。それでなくてもちさきは変わったことを苦しんでる」
大事にしたい。だって好きな人だから。
大切にしたいよ、でも夕希だって心配なんだ。
紡の言いたいことはわかる。ちさきだけ地上に残って、一人だけ冬眠できなくて、僕達を見るとき、たまにだけど辛そうな顔をする。姿が変わったって、ちさきはちさき。
だけどどこか違う。
紡の家で見たちさきと紡が台所に立つ姿。息ぴったりで、それこそ言葉なんて必要ないくらい考えが伝わりあって…。あんなちさきは知らない。自分の知ってたちさきじゃない。
好きだ。
今だってびっくりするくらい大好きだ。
変わらずに好きだけど。
………だけどちさきを大切にできる相手は、もう側にいるじゃないか。
「………紡はほんとの夕希見たことがある?」
「要?」
「夕希はね人前じゃ何でもないように振る舞うけど、本当は女の子みたいに繊細で寂しがり屋なんだ。人一倍変化に敏感で、ついててあげなくちゃ消えちゃうんじゃないかって思うくらい」
脳裏にちさきや夕希を思い浮かべた。二人とも大事だし本当ならどちらか一人なんて選べない。それに普通だったら選ぶなら好きな人を選ばなきゃいけない。そんなの頭ではわかってる。友達と好きな人じゃ天秤にかけられないし、想いの強さはそれくらい違うから。だけど、だけど…!
「……ちさきには紡がいるよね。夕希には誰もいないんだ」
夕希だって、好きな人に匹敵するくらい大切な友人だ。
「唯一肉親のお母さんだってまだ冬眠中だし、誰かが心配していなくちゃ夕希は自分が必要ないんじゃないかって不安に押し潰されたままで何時まで経ったってあのままかもしれないじゃない」
夕希がいなくて心細いのは自分の方だ。
「夕希は人の心にすごく敏感なんだ。………それこそほっといたら影で毎日毎日泣いていそうな子なんだから」
泣きたいのももしかしたら自分かもしれない。
「だから夕希は…」
僕の抱えてるような気持ちを持って、あの時冬眠に入ったんだとしたら?そしたら夕希は悲しい気持ちを一人でずっと溜め込みながら眠ってるのかもしれない。
だから目を覚まさないのかも。
「要やめろ!もういい」
気づいた時には身体が震えていた。震える両手を紡が掴んでいる。
「二人とも大切なのはよくわかった。だけど少しはちさきの気持ちも汲んでほしい。ちさきだって夕希を心配してないわけじゃない。要のことと同じくらい大事に思ってる。五人で一緒に過ごしてきたならそれくらい気づいてるだろ」
要の言葉にハッとなる。
夕希が目覚めないこと。それしか頭になかった。ちさきが夕希を心配してないはずがない。そんなこと考えればすぐにわかったはずなのに。
冷静さがかけてたのは僕か。
ちさきの一言にかっとなって、大人げなく八つ当たりして、ちさきを傷つけた。
「………できるだけ早く帰るから。それから、…やっぱり夕飯も一緒に食べる。ちさきにもそう伝えてもらえるかな?」
「わかった」
安心したように微笑んだ紡は、五年前の彼よりもやっぱりどこか大人っぽくみえた。その表情で五年間ずっとちさきの側で見守ってきたんだろう。そう考えれば考えるほど胸にちくちくと棘がささる。側にいられなかったことを悔やんでも仕方ない。仕方ないのだけど消化できないもやもやが未だに奥で燻ってる。