溶けた角砂糖みたいに@月城雪兎
まだ小さい子猫を見つけた。
白くて段ボールの中で震えてる。
家には祖父母しかいなかったし、飼っても大丈夫だろう。
土手の水際近くにいた猫に触れて抱き上げた途端、身体が傾いた。
猫は水が苦手だ。
だから両手を使うことは出来ない。猫を支えながら、足だけで岸辺にたどり着こうと足掻いた。しかし藻が足に絡みつき、思うように近づいていけない。
っ……!!
このままじゃ、
何とか呼吸をしなきゃ。
と、試みるけど、それもそろそろ限界に近かった。
…、とーや…!
親友の顔がふと浮かんでふっと意識が遠ざかる。その時お腹のあたりに力が加わった。
もしかして彼が助けにでも来てくれたんだろうか。
勘が鋭く妹思いでちょっと不器用な彼のことが浮かんで少し安心してしまった。
「……ユキッ」
「………雪兎さん!」
真っ白な天井を背景に、二人の顔がみえた。
ひとつは登下校を共にする同級生の桃矢、もうひとつは彼の妹のさくらちゃんだ。
「ひやひやしたぞ、ホント」
「…やっぱり桃矢……だった?」
「いや、俺は電話しただけだ」
苦虫でも噛んだような顔で、視線を別に向けた桃矢。さくらちゃんもそれにつられるように廊下の方をみた。
嫌な予感が走る。
ガタッと勢いよく起き上がろうとすると、桃矢が低く呟いた。
「……面会はまだ出来ない 」
「ま、だ?」
「まだ意識不明なんだ、あいつ」
最悪ではない。
けど最悪に限りなく近い答えだった。
「同級生なの」
さくらちゃんが泣きそうな声でいった。
「わたしのクラスの、夕希くんていう男の子」
ということは、あのしっかりと支えてくれた手は小学生の子となる。
口許を押さえた。
そんな、ぼくは……なんて、こと。
自分より年下の男の子に、全て委ねてしまった。
「心配するな」
「ぜったい大丈夫ですっ!」
左右それぞれから手が握られた。
その温もりは泣きたくなるくらい嬉しい。
「そうだね。……信じて待たなくちゃ」
落ち込む前に祈るんだ。
彼の無事をぼくが信じなくてどうする。
「俺が着いたときには、川辺に二人とも横たわってたんだ。まだあいつにも息があって、うわ言みたいに「大丈夫ですか」って言ってた。気を失うまでずっと気にしてたよ」
桃矢の話を聞き終えて、それから二人が藤隆さんに付き添われ帰宅してから、数時間がたとうとしていた。時計は十時を越えている。
がちゃりと小さい開閉音がした。
「……起きてるか?耳だけ傾けてくれればいい」
近くまで近づいて来たのは、桃矢たちの帰る少し前に病院へ駆けつけてきた彼のお兄さん、七瀬遙くんだった。さくらちゃんから聞いた話だと同じ高校二年生らしい。
「……うん」
少しの緊張感を感じながら返事をした。
「夕希が目を覚ました。今はまた眠ってる。明日は検査がある。けど明後日になれば時間がとれる筈だ」
「…ほんと?良かったっ!」
「……それだけ」
要件は伝えたと踵を返した彼に向かって「さっきはごめん、それから伝えてくれてありがと」と言えば足音が止まった。
「夕希にいってくれ。俺はただ頼まれただけだ」
「夕希くんが…。わかった、そうするね。でも七瀬くんもやっぱり、ありがとう」
伝えずに帰ることも出来たはずだ。
弟を危険にあわせた相手にあうなんて、嫌だったはずだろうに。
「夕希は…、」
「えっ?」
「……夕希は怒ってなかった。なのに俺が騒ぐのはお門違いだ。……お前も守っていただろ」
それだけ聞こえて足音が再開し、すぐにドアがしまった。
守っていたって、人間と猫じゃ命の重さが違う。
夕希くんの守ったものと、
ぼくの守っていたもの。
同じ命、に変わりはないけれど。
命をとりとめた日から、1日が経過した。
今は夕希くんの病室の前にいる。
もう一度ネームプレートを確認し、ドアをノックした。
『…………はい』
声変わり前の高いボーイソプラノが聞こえた。
「失礼します」
緊張のためかいつもよりも硬めな声が出た。
ゆっくりドアを引くと、その先にいたのはお兄さんと同じ綺麗な黒髪の少年だった。
彼の視線は窓の向こう側に向けられている。
その瞳は夜の闇を連想させるほど。
お兄さんの瞳、昼間の空の色とは正反対の色をしていた。
『…敬語なんて……僕のほうがずっと年下です』
「でも命のおんじ…」
『…関係ありません』
「そんなに嫌なら止めるけど……」
『……お願いします』
表情は一貫して変わらない。お兄さんもそうだったように、喜怒哀楽がわかりづらい。でも声の色で何となく察することができた。
「ぼくは月城雪兎、はじめまして、だよね?夕希くんって呼んでもいいかな」
『こちらこそはじめまして。…それでいいです』
「じゃあ夕希くん、今回は本当にありがとね。きみには本当感謝してもしきれない。…どこかで会ったりしてないよね?」
その問いに彼の頭が左右にゆれた。
『……ただ見たことあります』
「えっ」
『木之本さんと話してるとこ』
「……もしかして、それで助けてくれたの?」
夕希くんがこくりと頷いた。
「そうなんだ」
さくらちゃんと話をしていたから、か。
でもそれって赤の他人も同然だ。
じゃあ、どうして。
じっと見つめ返してきた夕希くんに気づいて笑い返した。
「あ、身体痛いとこない?検査は大丈夫だった?」
『……異常、なかったです』
言葉数少なく返す夕希くんは話すのが少し苦手に見えた。そのせいかあまり目があわない。
さくらちゃんはどんなふうに話すんだろう。
『あの……』
「ん?」
『……失望、しましたか?』
「失望って?」
『……そんなふうに見えたんです』
「ぼくが?!」
『…………はい』
髪が揺れて、濃紺がのぞく。
けして視線に力がこもっているわけじゃない。なのにそらせない。
「がっかりとは違うかな」
『……、?』
「何話したらって困ってただけ。だから違うよ?」
『……ごめんなさい』
「夕希くんが悪い訳じゃないよ!」
どうしたらいいのかますますわからなくなって、ぱくぱくと動かしていた口を閉じた。
『……月城さんを助けたのは、木之本さんにとって大切な人にみえたからです。…それに後悔したくなかった、です』
「えっ?」
突然口を開き始めた夕希くんは抑揚のない口調で、だけど少し饒舌に言った。
『…木之本さんの大切な月城さんだったから助けたんです。……もし、僕のことを簡単に命を捨てられる人間だなんて思っていたならそれは誤解です。……僕は死にたがり屋じゃない』
「死にたがり屋だなんて!ぼくはそんなふうには思ってないよ?夕希くん。ちょっと気になっていたことはあったけど…… それも今ので解決したから」
『…それは、よかったです』
夕希くんはそれだけぽつりと言った。
多分夕希くんのさっきの言葉は、ぼくの考えに気づいて発したものなのだと思う。じっと見つめてきた瞳を思い出して、聡い子なんだなと実感させられた。
「そうだ、夕希くん」
『……?』
「今度お祭りがあるんだけど、一緒に行かない?」
ただ自分から人を求めない孤立しそうな子だとも感じた。だからこそ、構いたくなる。
「ねっ?きっと楽しいから!」
一人にさせときたくない。
気づけばいつの間にか手を差し伸べていて、そんな気持ちがぼくの中に芽生えていた。
(溶けた角砂糖みたいに甘い)