マルティエが泣くから、
夕希は甘い飲み物が好きだった。
珈琲より紅茶派で、無糖じゃなくてミルクや砂糖のたくさんいれられたものが大好きだった。
目の前にはミルクティー。
湯気があがっていて、夕希は頬を緩めた。
『覚えて、たんだね』
「甘い飲みもの出すと、ゆうは目を輝かせてたから。どんなに機嫌を損ねてても、飲み物には素直だったでしょ?」
こんな細かな好みまで覚えてるなんて……。
あんなに昔のこと、なのに。
夕希は『いただきます』とティーカップを傾け、一口含んだ。
『……っ、』
「……どう、かな?」
『……おいし』
「そ、そっか!」
あからさまにほっとしたような表情の真琴を見て、夕希はカップを置いた。
『あ、のさ……』
「なっ、何?!」
『……そんなに緊張されてたら、話しづらい』
「ご、めん」
肩から腕がぴんとはり手は膝のうえで固く握られていた。そんな真琴の姿勢はどこか身構えているようにもみえる。
もしかして……真琴は。
『こわい?』
「えっ」
『びくびくしてるように見えたから 』
「っ!!」
その言葉に力を抜き始めていた体が強張ったのが伝わってくる。
『そっか……そう、だよね』
拒絶されていた側にいる真琴のことだ。
何言われるんだろうとか、きっと不安でいっぱいなんだろう。さっきからこちらの動きを窺っているような態度はそのせいだ。…わかっていたことだ。
『……大丈夫だよ。謝りに来ただけ………だから、もっと力抜いてきいてほしい』
こわがらないで。
ずっと避け続けていた僕が強制できることじゃないけど、こわがられたまま話すなんてつらくて耐えられそうにない。
それが遙の願いだって強く考えていても、僕の心がそんなに強くない。
「ゆうちゃんごめんね」
夕希の感情が伝わったのか、肩を落としたような沈んだ声が聞こえた。
『……謝らなくていい』
真琴がこわがる原因を作ったのは、紛れもなく僕だ。
それほど僕が彼を傷つけていた確かな証拠だ。
だから真琴が謝らなくちゃいけない必要性は何処にもない。
『……もうとっくに気づいるだろうけど、僕はキミを避けてた。退院のあと何度も家に来てくれたこと、夏休み、冬休み、1年の始まり…毎年欠かさずに来てくれてたことも知ってる。
キミはちゃんと向き合ってくれてた』
ただ僕が逃げ回るような卑怯者だったというだけだ。
『トラウマが出来たことを理由にして……キミが僕にあったら、キミがますます海を嫌いになる。そんなこじつけをして僕は逃げてた。だからキミに非はないんだよ』
「ゆうちゃん……それは違うよ」
静かだった真琴がやんわりと否定してくる。顔をあげて真琴をみると、困ったようにへにゃりと笑った。
「俺も安心しちゃってたから」
『……あん、しん?』
「ん、そう。ハルには虚勢を張って、ゆうちゃんに会いたいとか、どうしてるかなってよく言ってた。勿論それも本心だったけど、毎回ゆうちゃんちに行って、いないことがわかるとちょっと安心してたんだ。会わなくてすむ……って。
だからゆうだけ、自分を責めなくていいんだよ」
『そんなささいなこと…っ!キミは大切な人を事故でなくした。僕はその人のこと知らなかったとはいえ、キミにとって僕はあの忌々しい事故を思い出させるものだった!僕はキミを苦しめる元凶だったんだっ!だからっ……』
「もういい…、もういいよ夕希っ!」
『……いいって何がさ』
「ゆうもこわい思いをして、怪我で入院までして、それで苦しんでないなんて言える立場じゃないだろ。ゆうだって苦しんだんだ。そのうえ俺のことまで気にかけてちゃ…ゆうが、…ゆうが壊れちゃうよ。
だから全部を自分のせいにして抱え込まないでっ…!」
声を大にして僕の考えを否定してくる真琴は、小さい頃の彼とは別人みたいだった。やんわり駄目だよと止められたりしたことはあったけど、こんなに強く意思を表すことはなかったから。
そうか、
真琴もあうことをこわがってたんだ
僕だけじゃなかったんだ
小さい頃から大人びていた真琴。
達観しているくせにどこか危なっかしくて、いつも手作りのミルクティーを出してくれた。
お兄さんみたいな同級生。
同い年の従兄弟。
それが仲良くしていた当時の真琴だった。
『真琴、今は?』
「えっ?」
『今も……こわい?』
お互いに気持ちを話して、それでもまだこわい?
僕はもうこわくない。
キミでさえ怯えていた僕らの再会がこうして実現してた。
真琴が僕だけが悪くないと、俺にだって非があったと、吐露してくれたからどこか気持ちが楽になったんだ。
七瀬の好きな水に例えるならば、ぶくぶく沸騰していたものが雨の力で鎮静化した感じ?
雨というより雹とか霰とか豪雪とかかも。
とにかくそれくらい驚いたんだ。
七瀬からはそんな様子一度だって聞いたことなかったから。もしかして七瀬は気づいててあえて言わなかったんだろうか?
「こわくないよ、ゆうちゃん」
『ほんと?』
「うん。お互い様だし、おあいこだ」
『おあいこ…か』
そういえば真琴は僕に会うことをこわがっていたみたいだけど、トラウマの元凶の僕とこうして話していて大丈夫なんだろうか。
夕希は座っていても目より高い位置にある真琴の頭をぼーっと見つめた。
「心配してくれてるみたいだけど、俺はもう大丈夫だよ。夏休みには合宿も決まったし、部長の俺がしっかりしなきゃだから。それにゆうはここにいて、こうして触れられる。存在を確かめられる。だからゆうがトラウマに繋がるなんてことは絶対に無いんだよ」
『……真琴』
キミは僕の考えていたより、ずっと強かったんだね。部長という立場のせいなのかはわからないけど、少なくとも昔よりは強い。
『……それって責任感を抱え込んでることにならないかな?顧問の先生やはるくんに助けてもらうのもありだよ………………って似たようなことはるくんにも言ったっけ……』
「今ハルにもって言った?」
『……』
はるくんの心配事はだいたい想像がついてるんだ。
多分……それは、真琴の抱え込んだたくさんの気持ちのこと。具体的には僕のことや、それによって傷ついた彼のこと。
『真琴、もっと話して』
「えっ?」
『まだあるでしょ?僕は知りたい!表情に出すくらい悩んでたならあるはずだ。吐き出したい気持ち押し込めないで 。僕が全部受け止める。…真琴の言う通り、僕も抱え込んでたのかもだけど、真琴の方が重傷なんだ。ならいっそ全部出しちゃってよ、膿になる前にさ』
それが僕に出来る罪滅ぼしだ。
「ゆう……」
『お願い……マコくん』
「…………そういうのずるいよ、ゆうちゃん」
昔の愛称で呼ぶなんて。
そして真琴はまいったといいだげな今日何度目かの困った表情で、ふにゃりとわらった。
「……それを話したら、ハルとの関係と、ハルの言ってたこと、教えてね?」
『…………交換条件?』
「俺だけ話すのはやっぱり納得いかないからね。ホントは離れてた分だけ話してもらいたいくらいだけど」
それだけいって真琴の瞼が閉じた。その穏やかな表情をみて、夕希も天井に目をやって表情を崩した。
何年来の和解なんだろう。
随分と長かった気がする。
でもようやく……出口がみえた。
マルティエが泣くから、
泣かせてしまう前に仲直りしよう
その証は空かかる大きな虹になる