やっぱりあの子
『……どうにかして会いたい、だなんて、本人を前にして言う台詞じゃないよね』
「詩音…くん?」
『理緒は、帰ってからも祈ってた。…君と僕が再会できることを』
「…っ、」
『願いを叶えられるのは僕しかいないじゃないか』
数分でもう日が変わる。そんな夜更けに窓ガラスに何かが当たる音がした。はじめは風のいたずらかと無視を決め込んでいたけれど、一定の間隔で何かがあたることに違和感を感じた。黒子はおそるおそる窓を薄く開けて隙間から外を見た。
『あぁ、やっとか。警戒心強いんだ』
窓の下、一階の玄関の先、表札がついた塀の先に彼はいた。薄暗いけど、雰囲気でわかる。理緒君ではなく、詩音君が来てくれたんだ、と。
玄関を出ると、風が吹いていて、反射的に肩をすくませた。パジャマのままじゃ寒かったみたいだ。けれどそんなことはすぐに頭から消え去った。
目の前にいる彼を見てから、夢ではないんだと確認するように、頬をつねった。
「……いたい」
『当たり前』
「どうして詩音君が出てこれてるんですか?まさか、…ボクの悩みで理緒君が嫌な思いをしてしまっていたんですか?」
詩音の近くまでいくと、彼は羽織っていた上着を黒子にかけながら笑った。
『そこまでやわじゃないよ、理緒は。今は寝てるから、出てこれてるんだ。あまり長く話すと、理緒を寝不足で困らせるけど、……でも、』
「でも?」
『もやもやした気持ちだけは解消しておくべきだと思ってね』
そう言って詩音君は柔らかい笑みを浮かべた。とても儚げに見える一方で心の奥にいる理緒君のことを考えている見守る立場の彼が垣間見えた。
「大切なんですね、理緒君のことが」
『そりゃあ、ね。…って、嫉妬かな?その顔は』
「…そんなんじゃありませんよ」
だけど、大切に想われる彼の立場に自分がたてたら、なんて…。
おこがましい。けれど思ってしまった。
ピンチに助けてくれる。助けてもらえる彼が少しだけ羨ましくて、そんな存在を内に秘めることができた彼がすごいと、感じてしまった。
これはやっぱり彼の言うとおり、嫉妬という感情なのだろう。
本人に言い当てられたからと言って、口にするには憚られる感情だからこそ、尚更彼には伝えたくなかった。
「詩音君」
『どうしたの?改まって』
「もう少しだけ、話してもいいですか?」
人が寝静まっている外で話すのも良かったが、意外と人の声は響くものだった。どんなに二人が静かに話していても、誰かに聞かれているのではないかと、緊張感がわく。
黒子は家に招いて、自室に彼を招待した。まだ理緒すらもあげたことのない部屋だ。少し部屋を見渡して、『物が少ないね』と詩音がつぶやいた。
「そうですか?ふつーだと思いますけど。理緒君の部屋はどうですか?」
『女の子みたいだよ。ぬいぐるみとか写真立てとか多くて』
「らしいなって思っちゃいました」
『でしょ。僕には居心地悪いくらいだけど、理緒にはあってるよ』
「あ、適当に座っててください。今、飲み物持ってきますね」
『ありがとう』
返事を聞いてから、一度一階のキッチンまで降りて、ココアをいれた。入れてから、コーヒーを頼んでいたことを思い出したけれど、もう仕方ないとその考えは一瞬で消し去ってすぐ部屋へと戻ってきた。
詩音君は円形のクッションに座っていた。部屋の中を物色するでも、挙動不審に見回していることもしていなかった。静かにそこにいた。
緊張さえ感じていないかのように自然に振る舞う姿に自分のほうが来訪者のような、あるいは試されているかのようなへんな気分になる。彼が部屋の主のようにさえ思えた。
「お、またせしました」
『ごめん、気を遣わせて』
「いえ、それは…」
とんでもないです。こちらこそ来てもらって、と少しずつ小さくなる声に、詩音くんがくすくすと口元を隠して笑った。
『僕から来ないと会えないもの。それよりありがとう』
テーブルの上に飲み物を置き、向かい合せで座ると、改めて理緒君とは別人なのだと思い知らされる。顔形は同じ人なのに、声色や表情の出し方が違う。何度が違うと感想を抱いてきたはずなのに、本当に別人格として“存在 ”していた。
「それはボクの台詞ですよ。理緒君の事を想っての行動だって、理解してますけど…。でも、嬉しかった…」
だからこうして引き留めるような真似をしてしまう。きっと人が思ってるより、ズルい人間だ。
自分の罪悪感に気づいていて、彼の優しさに甘えている。どうしたら少しでも長く留まってくれるだろうとそればかり考えているのだ。
『…自分から来ておいてなんだけど、少し恥ずかしいね。いつも、僕がこうして出るときは大抵悪意のある言葉が飛び交ってることが多いから何というか…新鮮だ』
いただきますとマグカップに口をつける詩音の姿を見ながら、黒子もココアを一口飲む。どこか照れているようにも見える詩音の表情は、今まで見てきたどの彼にも当てはまらなくて、新しい表情を知るたびに嬉しさが増した。
詩音の発する言葉は、ココアのように優しくて甘い。
「……詩音君は、そんな時にしか出れないことに気持ちが滅入ることは無いんですか?」
ふと感じたことがそのまま口から出てしまった。自分のことを守ろうとして作った別人格の彼の存在意義を消すようなことだ。言ってしまってから、口元を押さえたけれど、やんわり笑う詩音の「隠さなくて大丈夫」という声が聞こえた。
『さっきの質問の答えね、はっきり言ってないよ。むしろ頼られて嬉しいって思う。僕は理緒がストレスを感じていないと存在できない。人と接することに怯えないでいられるようになったら、きっと…』
消えるんじゃないかな。
さらっと涼しい顔で爆弾発言をした詩音はまたマグカップを口元に近づける。分かってはいたことだったけれど、本人の口から言われると現実味が増す。
それはいいことのようで、二人を知っている自分としては複雑だった。
『顔に出すぎ。わかりやすいって言われない?』
それはそのまま表情に出ていたようで、詩音がくすくす笑っているのが聞こえて顔を上げた。
「あまり…」
『そうなの?僕としては理緒も感情がすぐに出るから似てるなと思ってたんだけど。だからきっと友達になれたんだなって』
「似たもの同士なんでしょうか、ボク達って」
『少なくとも僕個人としては、そう思ってるよ。趣味も近いし、僕と君とよりは近いかな』
「趣味、あるんですか?」
『まぁ一応。でも聞いてもつまらないよ。その訳にもきっと気づいてるね』
きっと詩音君にはお見通しなのだろう。ボクが詩音君の趣味や思考が全て誰に繋がっているかなんて分かりきっているのと同じように、彼もまたボクの表情を見て気づいている。ボクが時間稼ぎのように分かりきった質問をする意図にも。少しでも君と話せたらという願望にも。
気づいてて付き合ってくれている。
「……ズルいですね、詩音君は」
『そうかな?一応誠意を込めて、答えを選んでいるつもりだよ?質問ばかりの君よりは考えがあると思ってるけれど』
詩音はココアをもう一口飲んでから、マグカップを口元から離した。カップの縁を指先でなぞりながら、それに、と付け足す。
『理緒の為を思うなら、本当はもう帰らないといけない。けれど帰れずにいるのは、僕という存在を認知してる君ともっと話がしたいからだと思う。他の人は理緒として接してくるのが当たり前だからね』
くすっと笑う彼が、今にも消えてしまいそうに見える。そんなはずないって今の理緒を見ればわかることなのに、何故かざわざわとして胸が落ち着かない。その後も他愛もない話を続けていたけれど、覚えているのはここまでの記憶だけだった。
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