朝練があるっていうのに、寝坊した。先日の朔の言葉が思っていた以上にぐさっと突き刺さるものだったから。なんてただの言い訳に過ぎないけど、それが大部分を占めてるのは確かだった。さらには目の下に、隈というオプションつき。

おかげでいつも見ているニュース番組も天気予報もノーチェックだった。

偶然彼女も部活が無いことがわかったのが、昼休みで、その流れでカフェにでも行こうかと向かっていた矢先に少し強めの雨が降ってきた。

急いで近くのコインランドリーに走りこむ。

そこで初めて空を見た。彼女から聞いた降水確率に納得のいく空模様。お互いに傘を持っていないことが発覚して、カフェに行くのを断念しようかと思考が働きだした時こっちへ向かってくる足音がした。同時に傘に跳ね返る雨音もする。

音のする方を見れば傘に隠れて表情までは見れないが、手に持つ鞄に母校の校章がついていた。中学生か。

……朔は持ってたかな。

ひどい言われようだったけど、気になるに決まってる。こんな強い雨のなか帰ったりでもしたら、風邪を引いてしまう。

「え、…?」

彼女の声に驚いてどうしたのと声をかけようとして、声がでなかった。目の前にさっきまで歩いていた中学生がたっていたからだ。

「ん」

さらに驚いたことに藍色の傘を差し出してきた中学生は、なんと朔だった 。

「……陸、知り合い?」

彼女の声にかろうじて頷き、「……、朔?」と呼びかける。一瞬だけ視線が交わった。すぐにふいとはずされる。

「んっ」

なおも傘を差し出してくる朔に言葉はない。たぶん受けとれってことなんだろう。けど。

「朔が濡れちゃうでしょ」

「……折り畳み、あるから」

それだけ言うとタオルを持っていなかった手に傘を押しつけ、朔は走り去っていった。


宇宙で月が笑ってる


「純っ、お疲れ様!」

純の控え室にお邪魔して、雨でずぶ濡れになった髪を乾かして貰っていた純に声をかける。ドライヤーの風で、ふわりと髪がなびいた。

『あ、お疲れ様です。涼太君』

少し疲れたのか弱々しく笑う彼に、「大丈夫?」と尋ねた。

『今日午後の体育で持久走やったんです。だからちょっと、疲れちゃって……』

ああ、成る程。
さっき撮ったシーンで、傘を陸に押し付けた朔が家まで全力で帰るところがあった。運動は苦手な朔だけど、自分の気持ちと自分の行動に戸惑って全力で家まで逃げようとする。その走り方はどこか兄を彷彿させるようにと、監督から指示をもらっていた。

純自身が、あまり体力がないことと走り方に納得がいかないみたいでと、このシーンは純の希望で何度か録りなおしになった。監督は最初のものでいいといったらしいけど、純はどうしてもとねばっていたのだ。

『陸と朔に、ちゃんと血の繋がりがあるんだって、すれ違ってるからこそ、何気ない仕草からでも伝わるようにしたいんです。……僕自身、体力はないですが、出来る限り涼太君の走り方に近づけますから、もう一度走らせてください!』

純の熱意のこもった力説に監督もやる気をみなぎらせていた。


「ありゃ…それであれだけ走れば疲れちゃうっスよね。明日はきっと、肘から膝まで筋肉痛だ」

『ふふっ、そうですね。でもこのあとはここまでハードなの、ないかなって』

「どうだろ、最後はもしかしたらふたりでバスケしたりするかもっスよ?」

『球技全般苦手なのに…。もしそうなったら、教えてくださいね、涼太君』

純は体力もなくて、と眉をハの字にする。意外な一面にへぇと素直に驚いた。

「意外っスね!前に野球部の作品出てたから運動得意なのかと思ってた」

作品名は何だっけ。
たしか、、、

『「夕凪ブレイブ!」』

声が被ってどちらからともなく笑いが出た。純が笑うと、なんだか俺まで嬉しくなる。その気持ちがちょっとだけ兄弟みたいなんて思ってしまった。




『……一緒に食べていい?』

「勿論!」

お昼休憩になって、スタッフから受け取ったお弁当を持って今度は純が控え室にやってきた。二つ返事でOKをだし、向い合わせの席を引いた。

「あの映画の時は体力持ったんスか?」

さっき会話に出た映画のことだ。 "夕凪ブレイブ"は二時間にも及ぶ長編映画で、ひとつの町の、ひとつの小学校にあった、少年野球チームの話だ。大雑把に言えば廃校寸前の学校の話。ナインの気持ちが大会までに徐々にまとまっていって、地区大会で決勝まで勝ち進むのだ。

『……体力は持たなかったよ、だからすごく大変だった。僕、最初オファー受けたとき断ったの、髪こんなだし野球部っぽくないからって』

髪を指でいじる純を見ながら、俺は支給されたペットボトルのお茶を一口ふくんだ。

「けど、役柄しっくりきてたっスよ?」

イメージどおりで、と涼太が付け加えると、純は控えめに『ありがとう』と笑った。

『ハーフの役ってちょっと、気持ちはわかるからかな。…………僕もクォーターだから』

「えっ、そーだったんスか?!」

『あれ、知らなかった?』

「聞いてない!」

そもそも地毛だったことすら知らなかった。むしろいまの髪色は染めているのだと思っていたくらいだ。あれ、ということは一番はじめの主演映画の髪色こそが染めていたことになるのだろうか。

『"ポラリス"の印象が強いのかな?』

「そーなんスよ!茶色っぽくなかった?」

『よく覚えてるね』

純はクスクスと笑って、『あの時は実はウィッグだったんだ』と付け足した。

「ウィッグ?!」

初めての純の主演作、ポラリスは俺が最初に純を知ったあの犬の作品だ。光のあたり具合や髪の質感は本物だと思っていた。

『…うん。あまり小さい頃から染めちゃうと髪傷んじゃうからって、母が。母はこの髪色がお気に入りみたいなんだ。きっと僕よりも気に入ってる』

「いいお母さんっスね」

涼太の言葉に先程の笑みを浮かべたまま、『そうなのかな』と、純は笑った。

『涼太君も地毛だよね?』

「そっすよ!俺のとこは母親が英国生まれ日本育ち」

ほんとお互いのことよく知らないんだな。

日本育ちなんだね、と微笑んだ純が、お弁当の玉子焼きに箸を伸ばした。ん?お弁当?

「そーいや今更なんスけど、それ毎回スよね?手作り?」

『ん?あ、お弁当?うん、僕が作ってるの』

自分のはプラスチックの器にあるものだが、純はいつも弁当箱を持参していた。

『時間ない時は頼んでるんだけど、あのお弁当ってカロリー高いものしか入ってないから健康に良くないなぁって思ってて』

「しかも野菜ばかり、、、ベジタリアン?」

『今日はたまたまだったの!』

恥ずかしさから顔を赤くさせた純に、年相応な表情を感じながら、思わずふふっと吹き出した。純が困ったように、笑わないでと伝えてきたけど、もっと色々な顔が見たい俺にとっては、それがまたうれしくて、笑いは収まりそうにない。

もっと知りたい。

純を見ているだけで、そんな欲が湧いてくるのは共演者だからじゃない。兄弟役をやってるからというのとも違う気がする。この気持ちがなんなのかという問いに答えは出ないけど、ひとつ確かなことは純をひとつ知るたびに、いつか彼が言ってたつまらない人間とは程遠いんじゃないかってことだ。つまりまだ純は、俺に心は開いてくれているわけじゃない。だからこそ思うのだ。もっと深くを知りたいと。

[ back ] [ next ]

[ back ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -