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そもそも私に数字の才能さえあればこうはならなかったわけで。
「先生、それ今日の小テスト?」
「そ、ああほら弘前、よくやった」
ベッドから半分だけ出した頭に藁半紙が乗せられる。
もぞもぞと亀のように手を出して紙を見ると。
「あれだけ俺が2人っきりで教えてやったのに、また満点ならず、どういうことだ」
「えぇー」
掛け布団を引っ剥がされたのでしぶしぶとベッドの上で足を抱え込んで座った。
再び小テストを見ると、なるほど、この間付きっきりで教えてもらったときにも何度も引っかかった形式の問題だ。
三角関数はどうにも好きになれない、というかそもそも他のところも好きではないけれど。
「何でお前は数字だけこうもできないんだ」
「数字できたらここにはいませんって」
「その、数字以外は予備校内でもずば抜けてできるってのがまた気に入らないんだよ」
実際、先生たちの間では話題になったらしい。
高校3年のこの夏休み、初めて予備校というところに訪れ受けさせられた全教科テスト。
国英理社、全てここ数年の予備校生の中でトップの点数を取ったにも関わらず数学のみ他人が解いたのかと疑われるほど。
もちろん、そんなわけはなく。
そりゃ私立の大学なら数学を受けなくてもいいところは普通にあるわけで、そこを狙えばトップレベルの大学でもいけると言われているわけで。
でもやっぱり、できるだけ親への負担は減らしてあげたい。
ただでさえこうして、夏休みの間だけとはいえ予備校にも通わせてもらっているし。
だけど、私のしたいことを国立の大学でするためには入学するために数学の関門を乗り越えなければならない。
「最初は、俺にマンツーマンで教えてもらいたくてわざと間違えてんのかなとも考えたけど」
「そろそろ自意識過剰は控えた方がいいですよ、モテませんよ」
「それにしてもわざとならもっと上手く間違えることもできるだろうしな、お前なら」
「…お褒めの言葉どうも」
何度やっても数学は理解不能。
sinだのcosだの、何の役に立つっていうの、なんて子供っぽく言ってみたくもなる。
そして、これもまた理解不能なことに付きっきりで教えてもらううちに予備校から一駅先にある数学担当松島先生の家に来るようになっちゃって。
いや、そういう雰囲気になったのが先だっただろうか。
初めて見たときから、先生の中では一番若くて大学卒業したばかりだしなかなか好みの顔だと考えなかったこともないけれど。
でも、まさか、こんな。
「こんな状況。ばれたらやばいですよね」
くすくすと笑うと先生は鼻で息をついて私の頭を数回優しく叩いた。
「まったくだ。もうちょっと賢い生徒だと思ってたのになあ」
「先生こそ、未成年者それも予備校とはいえ自分の生徒に手ぇ出しちゃって。確かに真面目そうな顔ではないですけどね」
目を見つめると、先生の唇が私のに重なる。
「いっそ、ばれちゃったらいいのに」
先生は怪訝そうに私を見た。
私だって、こんなこと言うつもりなかったけれど。
一度出た言葉は飲み込めないから。
「そしたら、先生とか気にしなくていいし。いつでも会えるし。デートだってできるし。数学だって、こうやって家で教えてもらえば」
「お前なあ、親のすねかじってる学生と無職なんてデートする金すら無いぞ」
「私もバイトしますってば」
「大体世間の風当たりとか色々あるだろ、面倒なこと。ほら、そろそろ帰りなさい。今は一人暮らしだからって夜遅くまでいるなよ」
そんなこというなら、元から期待させないで。
優しい言葉も、手も、今はただ全てがもどかしい。
だから願ってしまうの。
面倒なもの全てから解き放たれた、2人だけの世界。
でも世界はそんなに甘くないし先生だって甘くない。
「送ってく」
「大丈夫です、近いんで。見られたらまずいんでしょ」
腕を先生に向けて広げると、しょうがないなぁ、の言葉と一緒に抱きしめられた。
しょうがないから、私も今はこれで我慢してあげよう。
「じゃあ弘前、また明日」
「はい先生、また明日」
明日の先生と生徒を約束して。
願ってしまった
(あなたの前でだけ私は)
(こんなにも子どもっぽくなってしまうの)