- ナノ -




織田包囲網戦線 2


明朝、本丸の御殿へと登場した名前が向かうのは城内最大の座敷にあたる大広間である。
従者によって襖が開かれると共に飛び込む光景は見慣れたものだ。
少なくとも月二回、必ず開かれる重臣たちによる合議の時には。
広間を区切る中段から下段にかけて、役職、身分に沿って座す諸臣たちが順に頭を下げて伏していき、すぐに頭を上げて姿勢を正す。
対して一瞥をくれるだけで足を止めずに前へと進んでいく名前に、上段で待っていた氏政が喜びで迎えた。

「おおっ名前!名前よ!よくぞっよくぞ決心してくれた!これで北条は安泰ぢゃ!くぅ〜…!全てはご先祖様がお前を見守ってくれたからじゃのぅ」
「いや、気持ちは嬉しいけどさ。幾ら何でも感動し過ぎだって、じーちゃん…」
「日の出一番に国中に触れを出させたんぢゃ。わしとお前がおれば、魔王など恐るるに足らん!北条の栄光を再び世に知らしめてやろうではないか」

上機嫌に鼻高々とする氏政は自身の隣を示して、困った顔で微笑する名前を座らせる。
昨日まで氏政が座していた場所であり、上段の中央に位置する主座。
軽く肩を叩いて促す氏政から改めて広間に座している者たちを見渡した。

「……」

一人一人が静かに見渡す名前に応えるように見つめ返している。
ゆっくりと確認するように間を置き、最後に横下へと行き着いた。
上段から段を下げて最も近くに座る臣ほど重臣を示す。
「殿、六城様。此度はいかに」と、発したのは大道寺氏だった。
面と向かう位置に座す荒木氏も「皆、覚悟は決まっております」と続けた。
だが、名前が浮かべる表情の冷静さは変わらず、代わりに問い返す。

「昨夜の騒ぎは川中島のものだという報だったが、確かか?」
「はっ!確かに御座います」
「なんぢゃ、昨日の地震は虎の軍神のせいぢゃったか…彼奴等ときたら、相変わらずだわい」
「ですが、実は他にもと…」
「他?」

言いにくそうにした家臣は話に割り込んだ形であったが、遠い位置に座す彼を真っ直ぐに見て聞き返す。
諸臣の瞳が名前と彼のやり取りを写す間も、その家臣は怖じけずに発言した。

「物見によると、青の旗印に竹雀の紋を確認…間違いなく奥州の伊達であったとの事に御座います」
「なんと。では、北の竜は川中島へ横槍に?狙いは軍神か?虎か?にしても豪胆な」
「天下取りに名乗りを上げたとは聞いたが、動きの速いものよ…では、その伊達は」
「それが、武田と上杉の牽制にて軍を引いたようです。未明には我が相模の国境にあったと」

氏政が顎髭をさすって呆れている間に、報を知る諸臣たちが口々に発する。
川中島の戦いへ奇襲をかけたのだろうが、上手くいかなかったのだと論じる。
物見は、斥候は、いや、使者を先に走らせるべきか。と、止まない発言にも、名前は静かだった。
氏政はそんな孫を眺めるが、ほとんど傍観に近い。

「六城様」

発されていた会話を止めたのは、大道寺氏が名前を呼んだ一声だった。
ピタリと止んだ静寂に名前が伏せていた瞳を向けた。

「伊達軍は相模の国入りをしております」
「それで?」
「我が国と奥州は不可侵の同盟故、今回の撤退からの足休めに選んだのではないかと。通過させた支城からも戦は報にありませんでしたので、敢えて国入りを許しました」
「念の為、兵糧と武器の数を確認し蔵出しすせています。徴兵と部隊の用意も済ませておりますので。必要ならばいつでも使用できるよう書面も整えておりますが」
「しかし佐竹殿、あの竜が請うとも思えぬが…」
「施しではない、買わせれば良いのだ。もっとも、これも万一を想定した案に過ぎぬ」

荒木氏へと冷静に返した佐竹氏は己の後ろに控えている者たちを見た。
すぐに複数の書を手に掲げて示されたのを一瞥し、名前は「他は?」とずっとこちらを見続けていた松田氏に聞いた。

「魔王の進軍ですが伊勢へ達したと。北畠との交戦は必定でしょう」
「徳川方は駿河へも使者送ったきりで動きはありません。魔王は本軍のみで進むつもりと思われます。北畠が簡単に破れるとは思いませんが…」
「動くならば位置的に武田か今川では。しかし、武田は上杉との戦の後とも考えると動きは鈍いでしょうか」
「いや、乱破の報では交戦は無かったとそうですぞ」
「ならば、虎の気性だ。何ら動きがあるだろう!上杉は今は動かぬと見た」
「軍神は不要な戦はせぬ将、対して虎は血気盛んから機動力に長ける将…有り得る」

家老たちの発言に頷く諸臣たちも大半は同意見のようだ。
そこへ襖が開き、端にいた者へ外の者が耳打ちした。
すぐに「報ありて!」と、大きな声が上がる。

「相模湾に入った水軍有り。旗は七つ酢漿、四国の長曾我部とのこと!また、駿府にて今川の陣触れ確認の狼煙が」

瞬いた名前は振り向き直った者たちへ口を開いた。

「魔王へは、この名前が出向く。北条は従属しないとの返答を丁重にな。だが、それ以上は今は動かない。機ではない。今川へも使者を立てろ、魔王の挑発に乗るなと」
「しかし、今川義元が聞くとは思えませぬが…」
「打てる手は打っておく。甲斐と越後へも文と使者を、諸国内へもな。大道寺、伊達軍の応対は任せる。政宗公が何か求めるならすぐに俺を通せ。荒木、梶原へ長宗我部軍を迎えるよう伝えろ」
「畏まりして御座います」
「政に変は無いな?」
「つつがなく」

反はあるか?と聞いた名前へ「今が機ではないとは何故でありましょうか」と声が上がった。
それに「徳川が動いていないのが証だ」と一言で答える。
息を飲んだ者は何かを理解したように頭を下げる。
他の臣たちもザワザワと理解したように話し出したが、他に反が無いのを確認して名前は手を示した。
気づいた大道寺氏を含めた重臣の諸家が手早く書面を差し出す。
視線は走らせて、その幾つかへと取り出した判を押印していった。
全ての書が下げられると、「さて」と立ち上がった。

「以上だ。散」

頭を下げた諸臣に表情を緩めて笑いかけた。
それから、咳払いをした氏政へ向いた。

「じーちゃんは俺が立つ時、風魔と小田原を護ってくれないか」
「無論ぢゃ!」
「ありがとう」

得意そうにする氏政へ頭を軽く下げる名前を、頭を上げた諸臣たちが穏やか目で見つめていた。


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