- ナノ -




相模・奥州メモリアル 4


「?」

不意に遠くから聞こえてくる音に顔を向けた国王丸に、どうしたのかと氏直が問う。
眉を寄せて無言だったのが、段々と険しく、それはそれは面倒くさそうなものに変化していくから、察した氏直は苦笑した。

「おや、またいらっしゃったか」
「僕はいないって伝えて下さい、父さん」
「せっかく出来た友だろう、仲良く遊んだら良いじゃないか」
「アイツがあんな風じゃなかったら、僕だって嫌がりませんよ!」
「はは、元気なのは良い事だぞ」

抗議するも流されている間に時遅し。
バァン!と効果音が聞こえそうなほどに、大きな足音は部屋の前で止まる。
げ、と顔を引きつらせる国王丸の目には、二本の木刀を肩に持って不敵な笑みで登場した梵天丸があった。

「Come on,国王!戦るぜ!」
「もう勘弁してくれ、梵天!」
「No! Come on!」
「引っ張んな!」

「氏直のオッサン、コイツ借りてくぜ!」と、返事など聞かずに首根っこ引きずっていく奥州の若君。
その姿を見送る氏直は、国王丸曰く殴らせて欲しいほど清々しかったという。
最後の声も好調な梵天丸に掻き消された。

地は北は奥州、城は出羽の米沢の城郭。
広々とした庭で今日も竹刀が打ち合い、光と火花が散る。
攻めて攻めまくる梵天丸の勢いを受け流してばかりの国王丸は疲れた様子だった。
釣り合わない力では勝負がつくのも早く、片方の竹刀が弾け飛んだ。

「もう終わりか?やる気出せよ、つまらねぇだろうが」
「連日お前に付き合わされる身にもなれよ!僕はお前と違って戦闘馬鹿じゃないんだよ!」
「ハッ、体力無ぇだけだろ」
「お前よりは学識あるけどな!」
「あぁ!?俺の方が頭良い!」
「僕の方が上だ!」

顔を付き合わせて互いに悪口の言い合い。
梵天丸も竹刀をほっぽり投げて、最終的には顔や髪を掴み抓り合うやり取りでギャーギャーと騒ぐ。
通りかかった女中が短く叫んで慌てて走り去る。
これでも、かたや客人の子、かたや国主の子である。

「阿保の癖に!」
「馬鹿だろ!」

いぃッー!と掴み合う頬で顔は情けない。
そこへ、凄まじい雰囲気が影を差した。
しまった、と顔を蒼くする梵天丸が見上げる先には怒りの形相の目付役。

「待、小十郎…!」
「梵天ッ、お前という奴はあれほど客人に無体を働くなと言い聞かせただろう!」
「分かった、俺が悪かったって!」
「そもそもお前はまだ自覚が足りないとッ」

と、後は小十郎の長い説教に逆らえない梵天丸を眺める事で解放される。
溜息をつきながら、放り出してしまっていた竹刀を拾い戻ると梵天丸が頭を痛そうに押さえていた。
どうやら雷は落とされたらしい。
これ以上はさすがに可哀想だと思い、未だ怒りそうな小十郎へ口を開いた。

「そう言えば先ほど、父上が小十郎殿とも話をしたいと言っていました」
「私と、で御座いますか?」
「部屋にいるはずですので、僕はまだ梵天と遊ぶとも伝えて貰えませんか」

ポカンとする梵天丸が何か言うのを遮るように後ろにして、無言になった小十郎を見上げて頼み込む。
やや迷ったようだったが、「分かりました。お伝えして参りましょう」と軽く礼をとって身を引いた。
去る背を見つつ、微笑んだままの国王丸へ梵天丸が呆れた顔でぼやく。

「どうするんだよ、オッサン何にも知らないんだろ」
「さぁ。何とかなるんじゃない?」
「丸投げしやがった」
「僕としてはお礼を言って欲しいくらいだけどね」
「あー、Thanks.」
「You' re welcome.」

ニヤリと笑みを交わした後、互いに竹刀を手に駆け出す。
ここにいる訳にはいかないから、場所を移すためだ。
また小十郎が戻ってくれば、恐らく今度は国王丸も説教だろう。
そうならないように父が上手くやってくれるだろうと期待だけしておくのだった。

屋形の裏手まで回り、辿り着いた大木を見上げて同時に竹刀を隅へと置く。
幹に助走をつけて足をかけ、枝を掴んでよじ登った。
上へ上へと進み、生い茂る葉に身が隠れる所でようやく落ち着く。
見下ろすとそれなりの高さがあり、城郭と後ろに広がる城下の町並みが一望できた。

「国王」
「ん?」
「あれからよ、少しだけどお前の言ってた光ってのが見えるようになった、」
「……」
「気がしてる。まだ全然足りねぇけどな」

下を見据える梵天丸の左目には底知れない力強さが輝いている。
ように見えた、今は。
初めて小田原の城内で出会った時とは想像もつかないほどの面持ちだろう。
小さく頷いただけで応えた。

梵天丸は変わった。
目付役である小十郎に使い物にならなくなった右の眼球を除かせ、病へ己でけじめをつけた。
自棄をやめ、荒れるのをやめ、勉学に励み、修練に身を費やす。
父と、父の紹介する者たちに教えを仰いだ。
何より、指南役となった小十郎を自身の右目と称するようになった。

「でも、こうなるだなんて思ってなかった…」
「?、いきなり何だよ」
「いや、まさかさ。梵天が南蛮語使えるようになるなんて」
「Ha!俺にきっかけを与えたのはお前だろうが」

二度目の邂逅一番、自信満々に指を突き付けてきて言い放ってきた一言。
唖然とする国王丸に構わず、「I got it!どうだ、てめぇに追いついたぜ!」である。
後に父を通して聞いた輝宗の話では、南蛮書物と格闘した後で輝宗に請い、わざわざ南蛮商人を城へ呼びつけたらしい。
単語の読み書きから始め、発音に悪戦苦闘する様には悔しいという負けん気が溢れていたと。
その甲斐あってなのだろう、国王丸も閉口せざるを得ない見事な返しで再会真っ先に勝利宣言をしに来たのである。

(とんでもない負けず嫌いだコイツ…って思ったよ)

口にしたら、また取っ組み合いになるので言ってやらないが。

闘争心と対抗心は既に大人にも勝る立派さであろう。
負けないくらい理知にも長ける、豪胆さと決断力もある、人をまとめる才覚の片鱗も見せている。
指南をする小十郎や見守る輝宗の目に宿る梵天丸への期待は国王丸にだって感じ取れていた。
梵天丸は飛躍するだろう。
将来、この奥州を統べる大きな器として。

瞳を伏せた国王丸の微妙な変化に感づき、向き合う動作が伝わる。
細められた左の眼光を感じて、横目を向けた。

「で、お前はどうするんだよ」
「僕?…何が?」
「しらばっくれんな」

梵天丸は枝へと足をかけて頭一つ分優位に立つ。

「俺はこの国の上に立ってみせる、誰よりも強く、何にも負けねぇ竜のように…いや、竜になる。アンタも同じになれよ」
「それが本音じゃないか。僕も父から国を継いで国主になれって?」
「ならなきゃ許さねぇ」
「なら、僕らは国や領土をかけて争うようになるだろう。今の世の習いだ、梵天が僕を殺すんだろうね」
「No.そうじゃねぇよ。つーか、お前には勝つって選択肢はねぇのか。いや、俺が勝つけどな!」
「違わないさ、この乱世で国を負うっていうってのは、そういう事だろ。あと、僕は梵天を殺せないよ」

降参とでもいうように手をヒラリと広げて笑う。
不愉快さを隠さない梵天丸がおかしいとでも伝えたかった。
だって、どう考えても無理なのだから。
国王丸には梵天丸に刃を向けてまで国を得る道理が無い。

「お前が昔のまま成長して暴君になったのなら、僕はどんな手段を使っても勝つし、迷わず梵天の首を斬り落とすだろうけどさ」
「You are devil.末恐ろしいやつ…ッ」

何のことは無いと笑顔で告げてくる国王丸に、梵天丸は顔を引きつらせた。
奥州の者が聞けば、ただでは済まされない台詞だ。
冗談でもない、本気だと背筋を震わせる声色だった。
だが、すぐに笑みは伏せた瞳に陰を宿すものに変わった。

「けれど、竜になるんなら心配いらないだろ。お前が竜になって天下に出て、相模が必要になるなら遠慮なくその手で僕を殺すといい」
「ッ」
「竜の梵天なら本望だ」

絶句する梵天丸を敢えて見なかった。
夕焼けの落ちる奥州の城下と遥か先を視界に入れて思う。

梵天丸に言われずとも、自身が望まずとも、相模の国主になる。
確信に近い事実だと考えていたし、そうなるつもりである。
今は世継ぎとして公に認められていないけれど、家臣たちにかしづかれ、祖父と父に教え大切にされ、姉妹と共にあると自覚すればするほどに増す覚悟。
頭が理解してしまう性分なのだから仕方がないと割り切ったのは物心ついた頃だ。

己には『国』を守る責がある。
国王丸には、国主北条の者としての責が。

苦ではない、重いと感じられなくなったほどに重いソレを、伏せた瞳に見ていた。

しばらく黙っていた梵天丸が動く。
落ちた衝撃に瞬きつつ、軽く痛む頭を押さえる。
怒り顔の梵天丸の一喝が夕闇に響いた。


[ 65/69 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]