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相模・奥州メモリアル 3


「何だ…?」

呟き、振り返っても枯山水の庭が広がっているだけ。
丁寧に刈り揃えられた庭木の囲う池に落ちた葉の水面が揺れる音だったのだろうか。
いや、確かに何かの気配を感じたはずだと顔をしかめる。
自身の直感は間違っていないはずだと、止めていた足を止めずして奥へと踏み進む。

地は関東の相模、城は小田原の城郭。
その屋形を我が物足で進む幼い少年の名を梵天丸という。
生国は奥州の陸奥であるが、遥々、異国の地を訪れているには訳がある。

(あっちの方か?)

仕える臣下も連れず、他国の城郭内を歩く足取りは荒々しい。
この屋形に至るまでに何人かの使用人と女中とも擦れ違ったが、一様に蒼い顔をして遠巻きにしていった。
梵天丸の放つ気が人を竦ませるほどであるからである。
当の本人も自覚しているが正す気はない。
かくも、自身を見て怯え、離れていく者たちの姿がどれも同じに映るからだった。
その度に疼く己の右目の痕に不快感を覚え、態度は更に乱暴になる。

(絶対に尻尾を掴んでやる)

それでも何かを探すように足を進めるのは、通された座敷を掠めた影を見た気がしたからだ。
ほんの刹那、鳥の舞うような線はまやかしの如く。
あまりの出来事に驚き、珍しく父である伊達輝宗へと自ら訴えたが笑いで濁されるだけ。
苦々しい心地で悶々としている梵天丸を見かねたのだろう、声を掛けたのは出迎えてくれた者だ。

―そんなに気になるなら、私が輝宗殿と話している間に城郭を見て回るといい。なに、若君には良い気晴らしになられよう

相模の国主、北条氏直の申し出に輝宗は軽く頷いて許しをくれた。
もっとも、梵天丸としても、大人同士の長々とした会話のために大人しく座して待つよりはマシだと踏んでいた。
こうして城郭内を散策しているに至るのだが、チラリと過る気配を追って足を踏み入れたのが隅にあった屋形なのである。

人気の少ない外縁を通りつつ、開かれている襖の間にも視線をやるが座敷が広がるだけで何もない。
使用人どころか仕える家臣の姿も見えない、静寂に包まれている屋形は奇妙で仕方なかった。
追っていた気配を見失い、佇んで中庭を睨み続けていた梵天丸の耳に入った音があった。

「?」

声だった、穏やかな響きの。
遠くからではないが、くぐもって何を言っているか聞き取れない。
しかし、音からしても梵天丸の知る言葉の響きと全く異なっているようで首を傾げる。
声を頼りに見失いかけていた方角をようやく定める。
真っ直ぐ一直線、つきあたる襖が僅かに開いている。
音の出は間違いなしと踏み、歩み進んで襖に手をかけた。

「〜〜〜、〜〜is〜?〜〜me.」
「……」
「〜〜OK.」

誰かが誰かと会話をしていると気配で感じ、襖を開いた。
軽快な音を立てて、閉じられていた間に光と風が入る。
「!」と、驚いた反応をしたのは梵天丸の方だった。

室にいたのは自身と変わらぬ年頃の童一人。
色素の薄い髪を長く垂らして書物を見開き置いている顔は、こちらを見たまま。
突然の訪問にも驚きも怒りもせず、ただ静寂の面持ちで梵天丸を見上げていた。

「…アンタ、だけか?今、他に誰かと話していただろう」
「さぁ、どうだろう。それよりも、君が誰なのか名乗るべきだと思うけど」

何度見渡しても、冷静な童しかいない室内に小さく舌打ちした。
追っていた気配の欠片も無い。
仕方なく、目下へと注意をあて不機嫌を隠さない様で言い放った。

「俺は奥州の伊達輝宗が嫡男、梵天丸。歩き回っていい許可は貰ってるぜ、文句は言わせねぇ」
「輝宗公の…父さんの御友人だね。僕は北条氏直が嫡男、国王丸」
「嫡男!?お前が!?」
「驚くよね、北条には二姫しかいない事になってるから」

梵天丸の驚愕に、声を立てて笑った国王丸だった。
当然の反応だろう、他国に知れ渡る北条の子は二人の姫しかいない。
世継ぎにあたる男子がいないのだと言われているから。
だが、梵天丸の入れた訂正には国王丸の笑顔が引きつった。

「姫かと思った」
「そっちか!?悪かったなッ、どうせナヨナヨしてるよ!!」

会話している中で初めて静寂を崩して怒りを含んだ声を荒げる。
眉を寄せて不機嫌そうでいる国王丸の上に立てたようで、梵天丸も口端を上げて鼻を鳴らす。
「ハッ」と笑う様に、面白くなさそうに眉を上げた。

「アンタ、何でこんな所にいんだ?嫡男なんだろ」
「さっきも言っただろう。表向きはさ、世継ぎは存在しない事になってるんだよ。だから、ココで大人しくしてる」
「?」
「見た目で分からない?僕の顔さ、珍しいだろう」
「…言われてみりゃ、珍しい」
「母上が海の向こうの生まれなのさ」
「海の向こう?南蛮か?」

目を丸くして驚く梵天丸に国王丸は頷いた。
髪色自体が明るいと思っていたが、よく見れば顔立ちが見慣れない作りをしている。
その上、交わした瞳の色で納得した。
不思議な色合の、綺麗な輝きがあった。

「父上は西国へも足を運ぶ事があってね、九州を訪れた際に賊に襲われていた異国の商船を助けた事があった。その折に貰った下働きの南蛮人がさ、男じゃなくて女だった…で、後はね」
「アンタが生まれたと?」
「そう。父上には正室がない、側室との間に生まれたのも姉と妹の二姫だけ。でも、唯一男というだけで異人の血混じりを世継ぎとして推すには厳しいだろう」

手の書物をめくりながら、何のことはないと語り聞かせる。
黙って聞いていた梵天丸だったが、よくよく言われている話を噛み砕いてから理解する。

「そんな大事、何で俺に話す?」
「何でだろう。君が僕と同じだからかな」
「同じだと?俺はお前なんかとは違う」
「だって、君は嫡男なのに世継ぎとして見放されたんだろう?」
「!?」

何の気なしに発された一言に戦慄して肩を動かす。
ゾワリと空気が殺気立った事は肌で分かっていたけれど、国王丸の目線は書物だった。

「てめぇ…ッ、そりゃどういう意味だ」
「伊達の世継ぎは、疱瘡で右目を失って自暴自棄になり、家臣たちからも見放された荒くれ者の問題児」
「ッ!!」
「と、聞いているよ。違ってる?」

視界が勢いよく変わって映る鬼の形相。
掴み上げられた襟元のまま、正面にあるは隻眼の悪貌に他なく。
されるがままに見下ろす国王丸は、ただ激怒で言葉すら出ない梵天丸を瞬き見続ける。

「ッてめぇ、に!俺の何が分かるってんだ!知った口聞くんじゃねぇ!!」

たかが異国の血が混じっている身と一緒にするな!と。
吼えるように絞り出す左目が充血してすら見える。
己の片手をあてるは、包帯を巻く右目の痕。
ギリギリと握り潰すようにする力と叫びが静寂を揺らがす。

「この光を失った右目がッどれほど醜悪か!知りもしねぇ癖に俺を語るな!!」
「光を失った事が辛い?」
「決まってるだろう!!」
「そう」

噛み付きそうなほどな距離であっても、国王丸は淡々と視線を落として梵天丸の右の包帯を見る。
窪んだ先に光は無く、世界を映せないという絶望に溢れる傷。

「土砂崩れによる飢饉」
「!、はっ?」
「南方の村々では収穫が足りず課役に耐えかねた一揆が続いた。君は知らない?」
「そ、れは…知らねぇ…」
「最近の話だよ。どこの国だって?陸奥、君の国だ」
「!!」

右目から左目へと視線を移されるや否や、思わず息を飲んでしまう。
透き通る珍しい色の瞳は無を湛えたままでいた。
冷たい静寂に触れたかのようなヒヤリとした感触。
掴んでいる手が緩みかけたが、無表情だった国王丸の気が変わった。

「僕の国じゃない、君の国の話だ。どうして、他国の僕が知っていて君が知らない?」
「ッ…」
「それも右目が光を失ったからだって言うか?片目が見えないからだと叫ぶか!」
「ぐッ…それはッ…」
「なのに、君は伊達の世継ぎじゃないと僕に言われて怒るのか!?」

大きく見開かれた左目と共に、完全に力が無くなった。
開放される国王丸の身が自由になったが、怒りを湛え続けるのは国王丸の方だった。
ウッ、と唇を噛み締めて震える梵天丸が項垂れるように座敷に手をつく。
耐えるような背をずっと睨み続ける国王丸の表情は静かな怒りを発し続けた。

「君が嘆くべきは疱瘡で右の光を失った事じゃないだろ。目が見えない事を言い訳にして、見なきゃいけない見えないものを、見てない事じゃないのか」
「見なきゃいけない、見えないもの…っ?」
「光が映らない範囲だって、見ようと思えば何だって見えるようになる。僕らは、それができる立場にいると思ってる」
「お前…何を、言ってるんだ。分から、ねぇ…」

何を見てるんだと、紡いだ梵天丸の難しい表情に国王丸は眉を下げて口を閉ざした。
代わりに開きっ放しだった書物を閉じて、梵天丸の両手へと固く握らせる。
茫然としている梵天丸は書物の表紙を見たが、異国の文字で全く理解が出来なかった。

「You can’t find peace by avoiding life.」
「??」
「あげるよ。君が見るべき光を見つけられる事を願ってる」

伏せた顔は打って変わって非常に悲しそうなものであった。
それは梵天丸へ向けているのではないと分かるからこそ、余計に訳が分からずに戸惑ってしまう。
その答えを返したのは、梵天丸の後ろ上からだった。

「梵天、国王丸殿と仲良くなったのか」
「!?、父上ッ」
「だが、惜しい。時間だ、そろそろ引き上げねばな」
「これは、その…!わっ!?」
「行くぞ、はっはっは」
「離して下さい、って父上!!」

驚き見上げた先には、いつの間に立っていたのやら輝宗が満足そうな顔でいた。
理解が追いつかずに言葉を紡げない梵天丸を掴んで軽やかに踵を返す。
「じゃあ、またウチの倅と遊んでやってくれ」と国王丸へ一言だけ残して去っていく。
引きずられるように抗議している梵天丸は、それでもしっかりと書物を握っていた。

「〜っ、国王丸!」
「!」

室に座したまま動かない姿へ、小さくなる梵天丸は叫んだ。

「覚えてろ!必ず、お前と同じものを見てやる!」
「…ああ、待ってる!!」

咄嗟に叫んで破顔するままに、手を挙げる。
数度振った先、書物を掲げて振り返す梵天丸も睨み笑っていた。
輝宗の浮かべる横顔にも小さな笑みがあった。

突然の訪問者が去り、静寂が舞い戻った室内で気配が落ちる。
黒い闇を伴った影は梵天丸が追いかけていたものであった。

「ありがとう」

呟いた国王丸の言葉に呼応するように、影が薄れた。


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