相模・奥州メモリアル 1
相模湾を臨める位置に築かれた城は、この日ノ本には珍しく、広大な総堀が城下の町全てを囲い込んでいる。
正面は八幡山を背にし、背面は相模の海が広がり、左右は河や湿地帯を基にした天然の要塞を強みにするは、昔から難攻不落と名高い。
東の覇者、相模の国の拠点と謳われる小田原城。
堅牢な城塞よりも更に目を引く正門は初代から城を守り抜いてきた栄光の象徴である。
いつしか栄光門と呼ばれるようになった門へ、速度を落とさず駆けてくる馬が二頭いた。
門兵も、その門の上を基点に城の全貌を視界に入れていた影も反応したが、近づいてくるにつれて馬に跨る人物を確認するや、すぐに門が開かれる。
完全に開き切るのを待つ気が無いらしい訪問者は、速度を緩めず爽快に中へ入城してしまった。
「いつ来られても、荒々しいお人だ」と、見送った門兵が疲れたように口にした。
通り様に、三日月を模した前立ての下で口が弧を描いていたのも見ている。
下知された故に従うものだが、あまり嬉しくない客人なのだ。
それは一卒の身でしかない兵にはどうにもできない事情であり、単なる私情でもあった。
客人は相模の国主たる北条と誼を結ぶ列記とした同盟国なのだから。
北に広がる諸国を併合して束ねるは、独眼の竜と称される若武将。
奥州筆頭、伊達 政宗。
右目と呼ぶ腹心、片倉 小十郎を連れての小田原城訪れであった。
「名前ー!名前はどこぢゃー!風魔ー!」
城内の本丸殿に響いたのは、国主である北条 氏政が張り上げる声だった。
最初は目下の孫を呼んでいたが、ラチがあかないと部下のものへ切り替える。
間も無くして、背後に出現した風魔に驚き尻餅をついてしまった。
「驚いたではないかっ心の臓が止まるかと思ったわい!風魔、名前はどこぢゃ!」
「……」
「なんぢゃ!あやつ、また二の丸に篭っておるのか!?北条の後継たる者、本丸に座しておれと言うに…」
「!…」
「そもそもご先祖様は早雲様から始まり、代々この城の天守と本丸にて栄光を継いできたのであって、…あ、こりゃ、風魔!聞いておるか?大事な話ぢゃと…!」
途中、クドクドと昔話を始めようとする氏政に、風魔は腕組みのまま僅かに首を反らせて話題を変えた。
名前の話に戻せば、氏政も思い出したように話を切る。
当初の慌てからの苦い表情で紡いだ。
「また懲りもせず奴が来たんぢゃよ!あの傲岸不遜な態度、伊達の小倅めっ!栄光門の威光を心得ぬの何と腹立たしい事かっ…名前はあやつに気安過ぎる!今回こそ、わしが直に灸を据えてやる」
だから戦でもないのに鎧を纏っているのだろう。
先祖代々伝わる無敵の槍という北条栄光槍を振り回す氏政に、風魔は姿勢を変えずに見守るままだった。
激しくなる動きは大振りになり、やがて腰を仰け反らせた瞬間が決め手だ。
素早く支えた風魔の腕に押される中、氏政が「はぐぅわ…ッ!こ、腰がッ」と泣きを含んだ呻きを漏らす羽目になる。
「くぅ〜ッ…!まだまだ若い者には負けんというに…、そうぢゃ、少しだけ、ほんのすこーしだけ腰が弱くなっただけぢゃ!風魔!名前を呼べ!わしの代わりに独眼竜を成敗せいと、…なに?西国の薬膳があるとな!?京の土産…!う、うむ。あやつに任せても良きぢゃな…わしも分かってはおる、うむ」
悔しそうに興奮していた風魔が身振り手振りで何か伝えると、途端に変わる態度。
名前からの伝言だったのだろう、一転した氏政の態度は仕方なさそうだったが、真では非常に嬉しそうに見えた。
何度も自身を納得させるような仕草素振りを繰り返すようにして、風魔の手を借りながら本丸の居室へと足の向きを変える。
その実、あんなに興奮していたのは、己の可愛い孫と話したかったからであると知るは、風魔や家臣たちであった。
ほぼ同時刻、当の探されていた孫は何をしていたかというと、話中の通りに二の丸にいた。
天守閣を有する城の象徴というべき本丸より段を下げた位置に広がる平地には、幾つもの館が並ぶ。
使用人たちによって家畜が買われ、限られた田畑が広がる一帯を土掘と武装した兵たちが警護する先に、最も格式高い大きな館こそ二の丸御殿と呼ばれる場所だ。
本丸に比べれば随分と味気ない造りになっているが、そもそも元々は先々代の政策によって、行政、法に基づく裁判などを家臣たちが協議・情報交換をするために成り立ったのが始まりであった。
当主の代が変わってから際立った外見の変化は無いものの、その実、今や相模の政の核はココである。
「お待ち下さい、政宗様!同盟国とはいえ、いくらなんでも無防備過ぎますぞ!」
「No problem!モタモタしてると置いてくぜ小十郎」
「政宗様!」
「どうせ、いつもの場所に決まってんだよアイツは」
他国の懐という状況には変わりないため、見るからに警戒して進もうとする従者の気など意に介さずに主は歩を緩めない。
擦れ違う者たちが、見慣れぬ人物であると目を丸めたり、驚いたり、また会釈していた。
その度に意識をとられ、進む方角を見失いそうになる小十郎を横顔だけで振り返りながら、政宗は「Ha!」と笑いを漏らす。
栄光門を抜けて石段を上がり、城門をくぐり、館へ足を踏み入れて中回廊に沿って進んでいく。
本来、家臣ですら表の対面の間までであるのに、政宗が進む先は更に奥まった座敷。
一気に人気が無くなるのに加えて、小十郎の顔を強張るのは当然だ。
「心配いらねぇって言ってるだろ」
「しかし!どう考えても、この先はッ」
「That's right.別に初めてじゃねぇから良いっつってんだ。俺が信じられねぇか?」
「そのような事は決して。けれども…いや、コレは俺がつけねばならない義か…」
「あん?眉間の皺は良くねーぜ」
政宗の発言に、最初は警戒だらけだったのが事情を理解して別の険しさに変わる。
眉間に指をあて、唸る仕草をする小十郎の気苦労をからかうようにあしらった後、政宗が足を止めたのは館内の北奥に近かった。
質素な書院造の襖から灯りが見える。
中に気配があるのは明白で、口端を上げた政宗が勢いよく襖を開いた。
「Hey,名前!来てやったぜ」
遠慮の欠片どころか不遜溢れる豪快さには、小十郎の気苦労が心中で増してしまう。
それでも、声と視線を受けた室の主人は、さして驚きもせずに手元から目を上げた。
「お前、慣れてるからって少しは弁えろよ」
「客人の出迎え放り出してる奴に言われる筋合いはねぇよな?」
「こっちが支度するのを待つつもりも無かった癖に。おかげで俺はココから動かずとも、お前の足取りがよく聞こえてきたよ」
「行儀の悪い“地獄耳”だぜ」
「優秀、って褒め言葉だと受け取っとくよ。俺の自慢の影だからな」
ああ言えば、こう言い返す。
目を見張っている小十郎そっちのけで軽い皮肉の応酬をしていながら、政宗はさっさと室に踏み入って腰を下ろす。
名前は机に広げていた巻物を巻いてどかすと、対面しつつ、会話を切って改めて紡いだ。
「二月ぶりだな、マサ」
「I'm glad to meet you after a long time, friend?」
「Maybe me too.」
「Ha!アンタらしい返事だ」
「こじゅさんもお久しぶりです」
「あ、ああ…久しいな、名前」
「少しは力抜けたらしいな」
「なっ、政宗様!」
「細かい事は知らないけど、大体、マサのせいだろ」
「Save your breath!」
意味を汲み取れなかった小十郎は返せなかったが、手をヒラヒラと振って応えた名前の態度に満足したらしい。
名前曰く俺様の余裕を称える政宗に、小十郎がついに名前を見たのだが、その目にアリアリと口にしない言葉が聞こえるようだった。
(政宗様がいつもすまねぇな…)
座している主室とは、本来、館の主人が私的に政務や趣に従事する御座の間だ。
家臣は愚か、めったな身分では立ち入れない要所だからこそ奥まった造りになる。
国は違えど、政宗の主室も同じ意味の重さを持つことを承知しているからこその想いだった。
「ま、こんなトコだけどゆっくりしていって下さい」
「主賓は俺だろ?」
「分かってるって。お茶を頼もうか」
微笑んだ名前が口にしたからだろう。
内縁から流れ込んだ風に視線をやると、襖の間から暖かな湯気と匂いが伝わる。
近かった小十郎が襖を移動させると、盆にのせられた三つの茶飲みと甘味菓子が添え置かれていた。
少しの沈黙の後、眉を寄せる小十郎に政宗が噴き出して感想を口にした。
「お前の影ってのは、空気の読み方も絶妙だな。恐れ入ったぜ」
「だろ?」
盆を受け取った名前は、黒い羽を名残にする影を思い出して破顔した。
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