- ナノ -




瀬戸内・九州道中 2


潮の匂いを頼りに南へと下って人の野へと下りて幾日を過ごす。
里を点々としながら、内海沿いに国境へ向かっていた。
周防から安芸へと足を踏み入れた頃には、随分と時間を掛けてしまった気もする。

(肉を切らせて骨を断つに代償痛し、だな)

少しずつ癒えてきたとはいえ、身体に巻かれている白い包帯は目立つ。
素のままで目立って一目を引いてしまうので、仕方なく拾った着物を活用する事にしたのは新しい。
海沿いを歩いて拾ったものは、擦り切れているが羽織る事はできた。
黒一色なのが好みにであったが、通す袖も無く上部を覆うだけの変わった形をしている。
南蛮の陣羽織だろうと知識から検討をつけて呟いた。

「mantって言ったけ」

南蛮かぶれの北の昔馴染を思い出した。
彼の影響ですっかり南蛮文化に抵抗ないどころか興味出てしまったのは否めない。
祖父が怒るからあまり口にしないようにはしているが。
怒りを受けるのが嫌だというよりは、その身にかかる負荷が心配だから。

とにかく今は良いかと意識を戻して腰を落とした。
打ち寄せては引く波と水平線の向こうに見える一団は、まず間違いない。
風魔からもたらされている情報は真実に等しい。
伸ばした手が拾ったのは、流されてきた旗だった。
周囲の水も赤が入り交じって、あちこちを染め上げている。

「押されているのは参(からすき)星、攻めを緩めないのは七つ方喰(かたばみ)。戦況は圧倒的に毛利の不利か」

拾い上げた緑の旗は赤黒く汚れて裂かれている。
おびただしく流れついて来る肉塊の纏っている装束でも判断がつく。
足元が屍の打ち寄せとなったため、跨ぎ越してから緑旗を手にしたまま進んだ。

歩いている場所も、激しい交戦があったのか見る影もなく酷い有様。
荘厳で美しい社に皮肉笑いを向けてから、徐々に近づいて来る船影の動きを静観し続けた。
緑の御旗船の方が数が多いが、統率がなっていない。
数段も大きい紫の御旗船に蹴散らされて海路が開かれてしまう。
烏合を蹴散らす荒々しい戦い方は将の性格だろう。
小であろうと機能すべき力があるはずが、活かされていない。

後ろを振り返って見やる先は、内海を挟んだ向こうに広がる広大な中国の地。
国境から入って海沿いの村里しか訪れていないが、城下近くで波紋は広がっているのだろうか。
見えない痛手が中国と安芸を蝕んでいる深刻さに頬をかきつつ、思考を巡らせた。
他国の事情に口を出す謂れでも立場でも無いが。

下げた視線に、ヒラリと黒い羽根が舞って見えて口だけ動かした。

「行け、掴んでくるだけで良い」

羽根が霧散すると、手を下ろして答えを出した。
どうせ動けるのも今だけなのだから、多少の寄り道も多めに見て貰えるだろう。
帰るのがまた遅くなるなと、自国を想う面持ちで動かない。

海風が強くなって黒い羽織を靡かせる。
途中、船の進路が向きを変えたのは堂々と立っている姿を見つけたからだ。
社を挟んだ回廊や散っていく小舟の各々で毛利軍の兵たちが叫んでいたり退却したりと混乱を極めている。
対して、大社の前で出迎えを待つかのように立っていれば、それはそれは目立つ。
目の前に持っている緑の御旗が揺れて、大きく紋を見せれば殊更。

これは釣り餌だ、悠々と微笑みを湛え続けていれば食いつきがあった。
船団の中心から一際大きな船が真っ先にギリギリまで近づいた。
陽の光を遮る影が金属音を響かせて落ちてくる。
ドンッ!と社の床を揺らせて着地した男は海の荒々しさを体現した偉丈夫だった。

重々しい金属が響いたのは持っている得物だろう。
先端は船の碇だが形状は鎖を絡めた巨槍。
並みの男でさえ持つ事さえ困難であろうに、軽々と肩に乗せて乱雑に歩き向かってくる。
迫力なら申し分ない、浮かべ続ける微笑みに別の感情が湧いた。

近すぎない距離で足を止めた銀髪の眼帯男は、旗からこちらへ視線をやった。
初めて瞳が交差し合って、感情を探り合う。
少なくとも、こちらはその瞳に宿る荒々しい炎を見てとるだけで図れた。
やはり真実、なら、交わす言葉による。

「肩透かしの海戦をさせられた後で、テメェの部下で足止めさせて逃げようって腹か?相変わらず、血も涙もねぇ野郎だなぁ毛利は」

ケッと唾を吐き捨てて不快を隠さない粗野な仕草。
「で」と碇の槍を握り直した眼帯男のギラギラとした右目が怒気を伝える。

「まさか、本当に一人で立ち向かえるとは思ってねぇだろうなァ?ヒョロいニーサンよぉ」

この西海の鬼相手に、そんな馬鹿な真似やるか。
と、脅しを込めた風圧すら感じる先制。
振り下された碇槍を僅かに首逸らしで交わしつつ、笑みは絶やさなかった。

「何か誤解されてるみたいですけど、俺は毛利の兵じゃないですよ」
「嘘つけぇ!その手に持ってるモンが証拠だろうが。命乞いなら聞いてやろうと思ったが…決めた!てめぇは逃がさねぇ」
「俺を討つんですか?」
「なに、アンタもやる気なんだろ?この鬼を舐めんじゃねーぞッ!」

こちらとて特に抵抗も暴言も吐いてはいない。
だが、男の沸点の上がり方や怒り具合で相当頭にきたのだろうと伝わった。
これでは交わせる言葉も交わせないか、と嘆息して目的を変える事にした。

「目的は少し違うけれど、そうだな…じゃあ、俺に教えて下さいよ、貴方の実力を」
「あぁ?」
「瀬戸内の誇る西国の鬼、長曾我部 元親殿?」
「上等だァ!そのいけすかねぇ笑み、全部喰らってやらぁぁ!」

豪快に振り下された一撃に炎が宿されて眼前に迫る。
口端を上げながら、湧いた感情は高まって力になった。

ギィン!と激突した刃が巻き広がるように波動する。
得物の巨大さによる豪快な動きからの猛攻を細やかに避けながら、左の死角へ迷わず放つ一撃。
狙われるのをよんで防ぐのは流石だったが、生まれた隙に懐へ飛び込んだ。

「ッ」
「隙あり」

諸に回し蹴りをくらって離れた身が、回転して態勢を立て直す。
一層憤怒に染まる表情は鬼に相応しく、内心で少し困り汗をかいた。

(そんな刺激したつもり無かったんだけど…思った以上に沸点低い?)

気が短いとは聞いていたが、一度火がついてしまうと手がつけられなくなる癖もあるらしい。
「それで有利に立ったつもりか!!」と叫ばれて、落とされた攻撃の威力といったら。

重い、と困り汗がヒヤリ汗になって笑いが僅かに引きつる。
とてつもなく重いのだ、そして強い。
一撃一撃を受け流すのに精一杯となって後退していく。

「オラオラァ!さっきまでの余裕はどこいったんだいッニーサンよォ!アンタの実力はそんなモンか!?」
「ハハ…こんなもんですよ」

舞台を蹴って跳躍すると、碇槍に足をかけて波乗るように突進。
「げ」と呟き、後ろへ飛びのきつつ空中戦に応じるしかなかった。

「そんなのってアリですか?」
「有りに決まってんだろう!時代は火力よ火力!」
「火力の問題じゃないと思う」
「あぁ!?何だって!?」

根本的に見なきゃいけない所を間違ってるよなと素で言ってしまった。
攻撃してくるのに集中している元親の耳には届かなかったのが幸いだろう。
一撃を己の得物で防いだ後で、飛んだ先に広がるのは海だ。
足場が無いと互いに理解していたが、碇槍による『弩九(どきゅう)』が使える元親は有利。
頭から落ちていくけれど、得物を突くようにして海面を刺した。

「!?こりゃ!」

凄まじい波の衝撃が走って周囲の船を揺らした。
離れた位置に止まっている長曾我部軍の船からも悲鳴が聞こえた。
起こった波は瞬時に真っ白に固まり、形を保ったままになる。
冷気の立ち込める世界が足場を作り、そこへ身を回転させて着地した。

「てめぇ…バサラ者か!」
「一応ね。属性は見ての通りで」

氷の海が広がった社一体を見渡した元親が浮かべた笑みが変化した。
ハハハ!と豪快に発された笑いに、目を丸くしてしまう。

「一応?勿体ぶってんなよ。俺は、こんな氷技はお目にかかった事は無いぜ!アンタ、強いな」
「さぁ…強いのかなぁ?」
「この俺と渡り合える腕っぷしといいッ、あの野郎の部下にゃ惜しいなァ」
「……」

笑いのおかげで少し緩んだ覇気と共に、伏せ眼がちになった双峰が宿す感情。
先ほどまで交わせないと思っていた言葉が今なら届く。
そんな確信があって、武器を氷へ突き刺した。

「!」
「俺は毛利軍じゃありませんよ」
「…本気で言ってやがるのか?毛利の捨て駒じゃねぇと?」
「ええ、嘘は言いません。この戦にも全く関係無い」

少しだけ沈黙した元親が氷を踏んで歩み寄ってくる。
今度は立ち止まらなかったから、至近距離とも言えるくらいに近くなった。
平均以上の元親を少し見上げる形だが、互いに顔も視線も逸らさずに向き合う。
凛とした顔つきでいたが、結局最後にはヘラリと微笑んでしまった。

しばしば静寂が落ちる中、ハッと鼻を鳴らせた元親が動いた。
碇槍を氷へと突き刺して手を離した事が答えだった。

「嘘じゃねぇようだな…信じるぜ、アンタの事」
「ありがと、」

告げようとした礼は、次の元親の行動で止まってしまった。

「悪かった!!」
「へ?」

ドスン!と腰を下ろして胡坐をかく勢いで下げられた頭と叫ばれた台詞。
豪快な謝罪に、思わず間抜けな声を隠せなかった。


[ 55/69 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]