- ナノ -




焦がしバターとポワソンの主張


“偉大なる航路”―グランドラインの後半である新世界の海。
夜更けから日を越した時刻になっても、大船団で行われる馬鹿騒ぎの明かりが闇の中で際立っている。
何隻もの帆船が寄り合う中心にある白鯨を象った大きな船こそが、この一団の本船になるモビー・ディック号だ。
その甲板で行われているのが大宴会だった。

「なぁ…エース隊長さぁ…」
「ああ、気にしてると思うぜ」
「やっぱり…いくら隊長でも、あんな事がありゃなぁ」

酒を飲みつつ、食事に手をつけて盛り上がっている最中でも、何人かはチラチラと視線だけをやる。
小声の話題の人物は、隊長たちが集まる席でジョッキを手前にして両肘を机について沈黙している。
考える人、といった所だろうが…まず、そんな姿勢で宴の中、黙していること自体が異常事態に近い。

エースは、挑んだ“白ひげ”に敗れてから白ひげ海賊団に所属するに至るまでは、とにかく手のつけられない悪童のような暴れっぷりだった。
“白ひげ”を「親父」と、その仲間たちを「家族」と大切な存在として認識して仲間入りするようになってからは、憑き物が落ちたように変わったのは記憶に新しい。
いや、ずっと影を落としていた本来の性格が、ようやく陰りを脱しながら外へ出せるようになったのかもしれない。
けれど、それはまだ、所属する白ひげ海賊団の内と彼が認める限られた者たちにだけだろう。
口にはせずとも、マルコやジョズなどのエースを気にかける何人かは、そう推察していた。

内に抱えるものはともかく、普段のエースを表現するならば、まさに太陽といったものだろう。
本人がメラメラの実の炎人間であるイメージもあるが、明るく仲間思いで、敵味方関係無く人を惹きつける不思議な魅力がある。
彼と関わる誰もが、良し悪しはあれど、ポートガス・D・エースという燃え盛る炎を強く印象に刻まれる。
宴会でも、筋肉質ではあるがその身体の大きさで一体どこに入るのかというほどの大食感で、どんちゃん騒ぎが好きなムードメーカー。
敵を相手にする以外は、いつだって自身のペースを崩さない明るさが印象的なのだ。

それを思い返すと、今の静かな状態が白ひげ海賊団にとっては天変地異かと危惧するほどに奇異に思える。
しかし、他の船員たちが視線は向けるものの表立って話題にしないのは、そうなるに至った事情を思い当たるからだった。
正確には、目の当りにした…が、正しかったが。

「“神風”」
「!」
「あれから、進展あったのか?」

後ろから追加の料理を持ってきたサッチが発した通り名に、エースの肩が大きく反応する。
明らかに図星突いてる!な、ハラハラ空気が遠巻きの船員たちから発されても、隊長クラスは平静だった。
焼き上がったばかりのポワソン料理から香ばしいバターが食欲を刺激する。
まるで「まぁ、まずは食べようぜ」と言うように前に置かれたので、エースが顔を上げた。
その顔は、サッチに対してあからさまに不機嫌を向けていた。
だが、予想通りだったのか、サッチは面白そうに軽く笑うだけで横に立ちつつジョッキの中身を味わう。
エースの正面に座して、酒を飲むマルコが勝手に答えを返していた。

「進展なんてある訳ないよい。だから、こんな状態なんだろう」
「んなっ!?何でお前が言い切れるんだよ、マルコ!」
「おれじゃなくても、誰だって分かるよい」

叫んだエースに対して、マルコの言葉に周囲が頷いて肯定する。
「なっ!」とショックを受けるエースの後ろで、豪快な笑いを響かせたのは“白ひげ”だった。
「親父まで…!」と苦い言い方は、羞恥を隠しきれていない。
巨大な杯で酒を飲み干しながら、“白ひげ”はエースを見下ろした。

「あんな事をやる娘は、後にも先にも、あの跳ねっ返りしかいねェだろうなぁ!グラララ!」
「いや、親父…笑ってるけど一歩間違ったら、とんでもねェ事になってたぞ」
「エース。お前、あの娘に何て言ったんだっけ?」
「……」

ジョズやビスタに問いかけられても、ムスリと口を噤むエース。
それにサッチが楽しそうに答えた。

「『信じられねェ』だったか?」
「違ェよ!『本気じゃねェだろ』、だ!」
「変わらねーじゃないか。惚れてる女に咄嗟に、そう言い返した事にゃ尊敬するけどよ」
「馬鹿、それ呆れてるだろう」
「どっちも、おれが悪いって言いてェんだろう!」
「どうしょうもねェ馬鹿だって言ってんだよい」

怒るのはエースだけで、囲む面々は笑いを含んだ呆れでねめつける。
それは話の当事者であるエースよりも、その相手である方との付き合いがよっぽど長いからだった。

グランドラインの後半の海である新世界に縄張りをもって君臨する四皇。
その一角である“白ひげ”と並び数えられるのが“赤髪”だ。
傘下を含めば五万を超える大勢力であって、その力で広く縄張りを有している“白ひげ”とは異なり、“赤髪”は表立った縄張りの境界が無い。
だが、彼らが航海するその範囲を侵そうとする海賊たちがいれば、好き勝手する間もなく、完膚無きまでに叩き潰される。
それは、決して赤髪海賊団が赴いて相手をしているからでは無い事が特徴的だった。
“赤髪”の縄張りに暮らす人々も、他の海賊たちも、また、目を光らせる世界政府や海軍も、こう言った。

『赤髪には神風が吹く』、と。

―気持ちは嬉しいけどよ。お前と、そんな仲にはなれねェ…

好きです!、と正面から想いを告げられたのにも、心の中は衝撃と高揚で大変な事になっていたけれど。
その欠片すら見せないようにポーカーフェイスを崩さず、けれども、嘘は無いようにと真剣に返したつもりだった。
自分たちは相容れない海賊団で本来は敵同士。
奪うか、奪われるか。
男としては、「奪ってやるから覚悟しろ」と言い返すのが矜持だろうが…言えなかった。
エースにとっては、そんな言葉すら言えなくなるくらいの存在だった。

“神風”の名前。
赤髪海賊団の幹部でありながら、赤髪の船に留まらずにグランドラインのあちこちを巡り渡る。
赤髪傘下の縄張りが荒らされれば真っ先に駆けつけて敵を追い払う。
傘下でなくとも、理不尽な事件があれば、海軍だろうが七武海であろうが単騎で挑んで一戦やらかす。
そうして、あちこちで起こる騒動の中に吹き抜ける。
名の通り、“赤髪”の神風なのだ、あの娘は。

「もう風なんて可愛いもんじゃねェよい、暴風だ」
「グラララ!ハリケーンか!違いねェ!!」
「“赤髪”が手ずから育てりゃ、ああなるんかねェ」
「どっちかって言うと、“赤髪”でも手に負えなくなってるから“神風”なんじゃないのか?」
「そもそも、おれはエースがアレのどこにそんな惚れてんのか知りたいんだが」
「お前らな!!逆に聞くけど、惚れてる奴いねェよな!?」
「いねーから安心しろ…って何度言わせるんだよコレも」
「名前以上の女なんていねェ!」

否定するマルコを筆頭とする隊長面々はエースの宣言に一斉に沈黙した後で、空になっている己のジョッキを見た。
それから、「誰か酒変える奴いるか?」というサッチの声に、次々と「おれ、杯で頼むわ」と度がキツく、辛い方へ変える希望を出した。

「それで、何だっけ?あぁ、確か会話した日も悪かったんだよな。誰だった?アイツにエイプリルフールだろって吹っかけた奴いたよな」
「サッチだな」
「サッチだよい」
「おれだったか?」
「お前か!!」

全員に名指しされて、自分に疑問を向けるサッチにエースが叫ぶ。
それから、全員がその後の騒動を思い出して“白ひげ”を見上げた。

―古今東西、真剣なお付き合いには相手方の親への挨拶が礼儀…“白ひげ”…いいえ、お義父様!!

それから時をおかずして、モビー・ディック号に乗り込んできて。
さすがに警戒と臨戦態勢で応じる白ひげ海賊団の猛者たちにも全く臆する事なく、“白ひげ”を前にして叫んだのだ。
己の愛刀である海楼石の刀をかざし向けて、堂々と覇気を放ちながら言い放った。

―私がお義父様に一撃入れられたら、エースとの結婚を前提にしたお付き合いを認めて下さい!!

どーん!!、と。
後ろに謎の迫力ある効果音さえ背景にしての要求。
いや、多分、本人からしたら大真面目以外ない発言だろう。

向けられた“白ひげ”は勿論の事、囲んでいた船員たちも…当のエースですら一瞬の沈黙になったのは、今でも忘れられない。
それから、グラグラの実の能力を使っていないはずなのに、「グラララ!!」と大笑いだけで“白ひげ”が高波を起こす珍事になった。

「どこをどう解釈したら、あんな行動に繋がるって…」
「エースに『本気じゃねェだろ』って言われたのと、四月一日で嘘か冗談扱いされたから、本気なのを証明する思考に繋がったんだよい」
「あー…“東の海”の言葉…」
「『恋はいつでもハリケーン』な、ホントだぜ」

話ばかりで誰も手をつけないポワソンへ、ジョズがナイフを入れていく。
小皿へと切り分けていきながら、バターものせていった。

「結局、本人達の自由にすればいいと親父が許したから良かったものの…」
「勝負応じてたらマジで親父に挑んでたぞ、あの馬鹿娘」

下手したら、四皇同士の戦争にまで発展する!?…と、一部は危惧していたらしい。
幸い、杞憂に終わったが、もはや告白を通り越してプロポーズな域の本気を見せられたエースがここ数日、真剣に悩んでいるという訳である。

因みに、名前といえば、“赤髪”…正確には副船長のベックマン…からの電伝虫を受けて、レッド・フォース号に引き返して以来大人しいし、音沙汰は無い。
名前と長い付き合いになるマルコやサッチは、十中八九、副船長に絞られているんだろうなと悟っていた。

「アイツにゃお前の事も話してんだろ?」
「……ああ、話した」

一度笑いを止めて向けられた真面目な問い。
暗に示されても意図が分かるから、エースも張り詰めた息で低く、だが、はっきりと返していた。

エースに流れる血の事。
世界が否定する伝説の大犯罪者の血。
そして、何よりエース自身に深く陰りを落とす負い目。
海賊王ゴールド・ロジャーの息子だという真実。
“白ひげ”のお陰で、ずっと欠けていた『父親』という存在の安定を得ても、幼少期から刻まれた心の負い目は簡単には消えない。
自分は愛されちゃいけない存在ではないか…いや、愛されてはいけないんだと。
思っていた…けれど、心中に浮かんだ名前の姿に漏れたのは笑みだった。

「なのに、アイツ…」と、呟いたエースの空気の変化にも驚かず、見つめる“白ひげ”は優しい。

ーあのね、私が惚れてるのはエース、貴方なんだよ?海賊王の息子とか、ゴール・Dなんだとかポートガスじゃないとか、ぶっちゃけ!どうでも!良い!から。私は、エースが!好きなのっ、愛してるの!!

「とか、言ってそうだな。アイツなら」
「あり得る…想像に難くない」
「だから、お前ら盗み聞きでもしてたのかよ!?」

エースのツッコミに、神妙に首を横に振った面子と“白ひげ”も再び声を上げて笑った。
何を言っても、“白ひげ”を含めて名前と付き合いが長い組には敵わない所がある。
それがエースには悔しくて素直に羨ましいでもあった。

「で、」と、話を戻すサッチがジョズから小皿を受け取ってフォークを使う。
料理を口に含みながら、モグモグとしゃべりを続けた。

「進展は無しとして、お前は何をそんなに悩んでんだい」

大好きな宴で盛り上がらず、大食らいな癖に食も普通になるほど真剣になって。
それだ!と、会話の成り行きを見守っていた船員たちも心の中で思ったのだったが。
ようやくエースも本題を思い出したらしく、マルコたちを一人一人順に、最後に“白ひげ”を見上げて口にした。
ゆっくりと、大真面目に、ずっと悩んでいた事を。

「おれも名前を嫁にくれって、“赤髪”に挨拶しに行くべきか?」

次の瞬間、マルコが無言で自身のフォークをポワソンに突き刺す。
ドスッ!!と、なんだか物凄い音を立てた上には、焼け過ぎたバターの香ばしさが滲み出ている。
無言で口に入れて食べる味は、蕩けるほど美味しい。
だが、マルコに続いて他の面々は次々と席を立って酒盛りを再開し出した。
加えて、それに“白ひげ”は喉を震わせて笑うだけ。
残されたエースが「おい!聞いたのお前らだろーが!」と逆に絡みに行く形になる。
その姿はいつものエースであり、見守っていた船員たちは、会話を止めて席を立った隊長たちに心の中で無言の拍手を送っていたのだった。

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