- ナノ -




9 知り得た真実


「…ん…」
「お、目ェ覚めたか。どこも痛くねーか?水あるぜ」

穏やかな心地で目覚めたなまえはぼんやりとした頭で聞こえた先に振り返る。
整った立派な造りの部屋、隣には椅子に腰掛けていた銀時がスッと水を陶器に注いでいた。

(私は、確か海で…あの人が!)

血の気が引いてガバリと起き上がり、バランスを崩してよろめきそうになる。
横で慌てた銀時が肩を掴んで落ち着けと制した。
身体に力が入らずだるさが抜けない。

「あんだけの蝕を起こした上に、まだ血の臭気にあてられてんだから寝てろ。ここは安全だからよ」
「違うんですっ私はどうでもいいの!あの人は、あの人は大丈夫なんですか!?」

必死の形相で振り向くなまえの目からは今にも涙が零れ落ちそうで、銀時は言い淀む。
なまえが心配している人間が誰を指すのかは知っている…燈豊と餅月から聞いた。
名前の仲間、戦を共に闘っていた高杉という男がなまえを助け、庇って海に落ちたのだ。
その男を救わんがために起こされた蝕が、結果として十二国で別れる原因になった。

ー生きてはいるでしょう、恐らくは。虫の息でしょうが最後に浜の方へ流されるのを見ました。雁の方へ流れ着けば或いは…

柳の虚海側へ出た時、燈豊はなまえを背に乗せて高杉を諦めた。
使令は王や麒麟から離れて他国へ入ることができない。
それは他国への侵略、すなわち覿面(てきめん)の罪に値する大罪だからだ。
雁の所領へ流された男よりも麒麟の命を選ぶ、使令として当然の選択だった。
銀時の気配を灯台代わりになまえを連れて合流した背景を、気を失ったなまえは知るはずもなく。
飄々とした態度を保った銀時はヘラリと笑って、なまえの髪を指し示す。

「生きてるだろ、その内会えるさ。それより自分の身を考えた方がいい。ココはもうお前の知る日の本じゃないからな」
「ッそれはどういう…ッ髪が金色に!?何で、今まで茶色だったのにこんな!」

眩いばかりの金の波打つ髪に驚愕して戸惑うなまえはオロオロと途方にくれる。
響いた声のおかげで頭に手を当てながら、面倒くさそうに告げた。

「なまえ、おめーは人じゃない。俺と同じ、麒麟っつーこの世界の神獣だ」

え、と息を飲んだ様子にゆっくりと世界の理から説明を始めた。

銀時が話す内容は夢物語に思えた。
ここは神がおわす異世界で、自分はこの世に十二しかいない仁の神獣、麒麟。
生まれる前に日の本に流されて以来、ずっと探し続けられていた。
人でないかもしれない…そう思ってはいたが、いざ肯定されると簡単に認められるものではないのが常々で。
異世界とは分かっていても、自分の存在に納得できない日々を過ごす。

「徇台輔、お召し物をこちらに。お綺麗な御髪も結わえますゆえ、玉にしましょうか瑪瑙にしましょうか」
「果実はいかがでございましょう。それとも、甘水がよろしゅうございましょうか」

州城に仕える女官たちが、なまえが回復するまでの数日間世話をしてくれた。
金銀の刺繍を施された見事な絹の衣、玉や琥珀が輝く髪飾りで髪を整えられて化粧を施された姿は宝玉だと褒め称えられた。
なまえを見かける者は男女問わず平伏して叩頭の道を作る。
ココで自分はとんでもなく尊い存在と敬われているのは認めるしかなかった。

(私は仕方ないけど…あの人は生きている、きっと元気になられている)

ぼんやりと豪勢な部屋から雲海を眺めて感じ入ることは誰にも告げていない。
高杉と呼ばれていたあの人の安否ーなまえは最初の戸惑い以降、口にしなかったが漠然と生きているとだけは感じていた。
ただの希望かもしれない…しかし何故かなまえの中で確信めいた心地が消えないから。
だから今はあの人よりも、数日間ぱったり合わなくなった人物が気になった。

「あの、銀さん…えと、劉台輔にはまだお会いできないんですか。劉王にも」
「申し訳御座いません、徇台輔。私たちも主上と台輔の行方を存じ上げませんのです…全ては至終様のご意向で…」

数日で親しくなった女官が耳打ちしてくれる。気さくで優しいこの女性も城の主は怖いらしく、顔面を蒼白にしていた。
州城の主ー州候である至終という人物になまえは一度も会っていなかった。

(名前にも会えないの、辛い…)

世話をしてくれる者たちはこれ以上にない扱いでもてなし、気遣ってくれる。
それでも気さくに話せる人物に会える方がよっぽど望ましかった。
好意を無駄にできないし、大胆に主張できるほど快活でもない。
落ち込んでいた矢先、ようやく部屋から謁見の間に通されて初めて城の主を見た。

段を上がった豪勢な椅子に座すは予想外の姿でなまえは瞬いてしまう。
質素ながらも豪華に仕立て上げられた衣服を纏い、黒髪を揺らせて深い蒼い瞳を柔らかくする女性ー
見たことない顔だったが、雰囲気で反射的に理解した。
名前だ、と。
名前の座す下に控えていた男が振り向き、獰猛な猛禽類を思わせる眼光に震えた。

「道候、徇麟が怯えている。不遜な態度を控えて、その顔だと睨んでいるようにしか見えない」
「恐れながら主上。かようなことより蓬山の事情を伝えられてはいかがか。徇台輔もむさ苦しい城などより聖地である蓬山が恋しくていらっしゃるだろう」

城にいるのは気まずいだろう、そう嫌味を言われた気がした。
同時に何て冷たくて強い人だろうと思うなまえの気持ちが動く前に、名前が立ち上がって厳しい目で至終に対峙する。

「王だから、麒麟だからと述べているんじゃない。怯えている女の子に対する大人としての態度じゃないと言っている」
「貴女の倍は生きておりますので大いに心得ている。言われる謂れもないと思うが」
「貴方だからこそ告げるんだ、至終」

名前の厳しい言葉に至終は眉を吊り上げた。
互いに互いを頑として譲らない。
張り詰めた空気から溶けたのは、至終がなまえへと振り返り深く叩頭したからだ。

「ご無礼をお許し下さい、徇台輔」
「い、いえ!そんな、私は全然気にしてないですからっどうか頭を上げて下さい!」

ハラハラと慌てながら両手を振って否定すると、ようやく頭を上げた至終の表情は険しくも幾らか穏やかであった。
ちょうど下官が外から声をかけてきた所で立ち上がって答える。

「どうやら蓬山から連絡があったようですな、私は失礼致しましょう」

微かに微笑み、名前となまえに一礼して間を去っていく。見送っていた2人だったが、名前は何だかモヤモヤした表情で呟いた。

「まったく、さすが道州の化狸。煮ても焼いても絶対喰えないよ、あの人…」
「え?じゃあ、至終様って…」
「なまえは気にしないで大丈夫だから。何にも悪くない…私がいるからなんだ、ごめんね」

アハハと前よりも快活な笑いを見せる名前はなまえに近寄って「今まで会えなくてごめんね」と告げる。
曰く、この数日間で一気に王様業や何やらを叩き込まれたらしい。
えぇー…と顔を蒼くするなまえにも気にせず、これから蓬山に向かうことを告げた。

「私と銀は正式に天から認めてもらう儀式を受けるために。なまえは蓬山に戻って暮らすために」
「…じゃあ、また名前や銀さんと離れ離れになるんだね…何となく覚悟はしていたけど」

顔を俯かせて落胆する、薄々と感じてはいた。2人との扱いの差…この国は2人を必要としている。
だから、なまえも別で同じくらいどこかで切望されているのだと。
敬われ大切にされたのは証だ、そういう存在なのだという。

「なまえが思うほど別れるわけじゃないよ」
「何故そう言えるの?」
「私がそうさせないから」

きっぱりと答えた名前の言葉があまりにも男前で、気がつけば声に出して笑っていた。
廊下の先、書面から顔を上げた至終が喰えない笑みで呟く。

「王としては悪くない」



随分と好い加減というか凸凹な2人組だと高杉は眼前で酒を飲む男と六太を見やる。
六太に連れられて訪れたのは、漁村から内陸へと随分進んだ大きな街。
途中、騎獣だと見せられた灰色の大きな狼に燈豊を思い出したが黙したままにした。
実の所、狼は六太の使令である悧角(りかく)であったため、六太自身は高杉に何も言われず胸を撫で下ろしていたりする。
こうして半日かけて空を移動し、国土の中間に位置する街が首都の関弓であると知るのはずっと後のことだ。
一角にある大きな館は緑色の派手な柱が目立ち、どこか華やかな造りで客も男ばかり。

(どこの世界でもココは大差ないな)

影から花娘(ゆうじょ)の熱い視線を感じて、見ぬふりをする。
聞かずともどういう場所か、あちらで大分遊び回った高杉はよく心得ていた。
こうして妓楼に不釣合いな六太が主人だと引き合わせたのが、風漢(ふうかん)と名乗る飄々とした人物であった。

「道中で六太から話を聞いたそうだな。どこまで理解した?」
「この世界には神や妖魔がいて、十二国があり、それぞれ十二の王が統治している。王は世襲制でなく麒麟という神獣が天意を受けて玉座に据える。人間には仙人もいてあんたらのような仙籍を持つ奴らは言葉にも傷にも苦労しねェ。そんな所か?」

到底では受け入れきない理をツラツラと自然に述べる高杉に六太はポカンとなる。
過去、幾度か海客や山客と接する機会があった。
みな一様に、異世界に飛ばされるという奇異な出来事、道理の通じない世界に混乱したり鬱々としていた…が。
この高杉という男、腕組みのまま余裕と落ち着きを崩さない。
ブハッ!と派手な声を上げて風漢が爆笑する、片手で叩いた机が揺れた。

「高杉とやら、お前は随分と肝が据わっているな!面白いっ、こんなに愉快なのは久しぶりだっブハハッ」
「おい、笑ってる場合かよ」

六太のたしなめに、涙目の笑いを止めて風漢が続けた。

「では蝕の話はまだのようだな。こちらとあちら…日の本を蓬莱と呼ぶ、普段は交わらないが蝕という天災で交わる。こちらから行くことはできないが、あちらから流れ着く者を海客と呼ぶ…お前のような者をな」

酒を飲みながら語る風漢に、高杉はようやく腕組みを解いて酒に口をつけた。
透明な液体に揺らいで映る自身の姿。

「だが俺はこちらへ来て顔が変わった。髪も目も、こんな色じゃねェ」
「それはお前が胎果だからだろう。こちらで生き物は卵果と呼ばれる果実から生まれる…。卵果は蝕であちらへ流されて女の腹に辿り着き、親に似た殻を被せて生まれるのだ、あちらの人間としてな」

こちらで生まれるはずだった人間なんだよ、お前は…と続けて台詞を切る。
さすがに胎果の話は驚きを隠せなかったらしく、目を見開いて固まっている。
ややあって、酒を口に含みながら喉を鳴らせて笑った。

「なるほど、俺の本来の姿はコレだと。天とやらも大盤振る舞いしてくれたらしい、おかげで女に困らねェよ」
「食いつくとこ、そこかよ!」

六太が噛みついたが否定はしない、いや、出来ないほど確かに見惚れる美しさだから苦虫を噛み潰した顔をする。

(なら、猪女も胎果…になるな)

名前の後ろ姿を思い出して、改めてあちらでの出来事を思い出す。
恐らく妖魔だと思われたー燈豊は名前を王だと、リュウキが選んだリュウオウだと言った。
王ほど貴重な存在だからこそわざわざ連れ戻しに来たのか…そして自分はとばっちりで流された、と解釈する。

(あいつがどうこうしようが興味ないが、なまえだけが気がかかりだ)

目を細めて、必死に自分へ手を伸ばして叫んでいた姿を思い出す。
助かったのを見たわけではないが、目覚めた時に燈豊の気配がなかったのだからなまえを助けたのだと思いたい。
確かめる伝があるとすれば、名前。
かくもこの世界で生きる術を身につけなければ始まらない。

「俺は娘を助けて蝕に巻き込まれただけの海客だ。強いて言えば、お前らが探しているのは俺の腐れ縁だろうよ」
「ほう?」

興味深そうにする風漢に六太も身を乗り出す。
言葉に不自由しない身分の者など得てして雲の上の人間…ただの海客に興味があるはずがない、当たりかと思い告げる。

「トウブンと名乗る翼の生えた紅い犬に襲われた。そいつはリュウキの命で王を守っている…その王と告げられたのが名前だ」
「紅い犬…天犬だな。名前とは響きから女か?」
「間違いない、劉麒の使令だっ!あいつ蓬莱で王を見つけたんだな!」

喜んでいる六太を観察していると、風漢がニヤニヤとした顔で返してきた。
大体何を考えているかは予想がついたので不快を露わにして文句を言う。

「言っておくが、てめェが考えてような仲じゃねェぞ。やめろ、虫唾が走る」
「ではどんな仲なのだ?」
「腐ってるのに千切りたくても千切れねー悪縁しかあるめェよ」

舌打ちして機嫌を損ねた高杉の目が据わっているからに本気らしい。
風漢はからかう笑みをやめた。

「途中で別れたから行方は知らねェ。生きてりゃココで即位するだろ、俺には関係ないが。それよりもお前らに話がある、俺の腕を買う気はないか」

腐れ縁の行方を聞かれる前にさっさと見切りをつけて話を逸らすと、
六太は渋ったが風漢は乗ってきて、「何を望む」と簡潔に意図を読み取る。
さぁ交渉の時間だ、と笑った。

「どこでもいい、俺がこの世界で生きる術を学ぶ処を紹介しろ。3年…3年であんたらに報いるだけの礼をしよう」
「投資というわけか。だがお前にそれだけの価値があるとまだ見出だせん。商いするには確約が足りぬな?」

意地悪くごねる風漢。
違う、と付け加えてやった。

「投資とは博打だろう。値打ちがあるか目利きが試されるのも買い手次第だ。さァどうする」

酒を飲み干して優雅に笑む高杉は楽しそうだ、六太にはいまいち駆け引きの良さが分からなかったが。

「のった。お前の才、この風漢が買ってやろう」

派手に両手で膝を叩いて答える様子に呆れ返って、六太は小さく呟いた。

「最初から決まってんじゃねーか」

随分と経って、柳に胎果の新王が登極したという噂が雁で働く高杉の耳に入った。

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