- ナノ -




5 名乗り合い


なまえ、と名乗った少女の案内で獣道の奥に続く石段を進んだ。
雪が降るため視界がどんよりと暗くなるが、石段を木々が覆い隠すようにしているから一層見えづらくなっていく。
お互い一言も発することもなく、時折、う、と名前が劉麒の腕の中で呻いた。
先を進みながらも、その声に度々振り向くなまえは恐る恐る聞いてきた。

「あっ…の、その、方は……貴方の、えとお連れですか?」
「んや、今日初めて会った」

え、と瞬いて警戒を一瞬解いてしまった様子に喉を鳴らせて笑った。

「こいつは俺の主で、ずっと探してたもんでな。あと1人、探してたヤツも見つかったから儲けたわ」
「…?…はあ…」

視線をやって細められた瞳は暗い紅色をしている。
思い返せば、無造作に跳ねまくる白髪といい着崩された服装といい、明らかにこの国の者ではない。
知識の乏しいなまえでも分かることは、異人であるということだけだ。
異国に対して過敏な時勢…普通であれば近づかないが、何より、その腕に抱き上げて語る言葉と様子に心に響くものがあったから。
人の機微に聡いなまえにとって、直感的に助けたいと思ったので充分だった。

(よく、分からないけど…この人は嘘をついていない。助けられるなら、助けたい)

ギュッと手を胸元で握り締めて決意を硬くすると足も自然に早まる。
奥深く上へ上へと上がっていく中で小さな後ろ姿を眺めながら、影に使令が戻ってくるのを感じた。

ーここより少し先に大きな寺があります。人の気配は数人ほど。武器も敵意も感じられないので、寺の僧でしょう
ーだろうな。なら追っ手の心配は大丈夫だろ

是、と回答してきた使令に頷いて腕の中で意識を失っている名前を見つめる。

今日、初めて出会ったー。
しかし姿を見つけたのは随分と前だ。
蝕を起こして虚海を渡り蓬莱へきたのが約2年前…宛てもなく漂うように彷徨い存在した。

異なる世界は通常交わらない。
蝕という天変地異だけが災厄として、僅かに世界を繋げるだけ。
よって、こちらでの身体を持たないーこちらに適応する胎果でないー場合は、無理に世界を超えたとしても存在を保つのが難しくなる。
世界は常に異物を拒絶している。
劉麒はこちらに渡った際、名前に巡り合うまではまるで自分がモヤのような曖昧な存在であることをぼんやりと楽しんでいた。
こちらの者たちは、劉麒の存在を見たり声を聞いたりできない…見える者がいても、姿が歪んだり声だけだったり不安定な形でしかない。
亡霊だ、こちらにとってあちらは影みたいなもんだと劉麒は笑った。
劉麒が形を保ち、こちらの人が認識できる存在なれたのは王を見つけたからだ。

王気は目に見える形ではない、麒麟によって光であったり喜びであったり覇気や畏怖であったりするらしい。
曰く、麒麟の直感が天の意思なのだと。
教えられたことを思い出して納得した。

(無性に嬉しかった…俺にはこいつが必要だなんて、柄にもなく考えちまうほど)

遠目でもすぐに分かった。
沢山の武装した人間たちに混じり、刀を振り上げて高らかに指揮を下す後ろ姿。
血と争いが充満する中でも、その姿だけがくっきりと浮かび上がり惹きつけられた。

ー王は気力の衰弱が激しいようで
ーあァ、分かってるさ。原因もずっと見てきたんだからな

爺湖の言葉に心中で頷く。
ずっと側で見守ってきた…無理に誓約して連れ去ることもできたが。
そうしなかったのは、躊躇するほどに名前が動乱の真髄に組み込まれていたからだ。
蓬莱という国の礎に影響を及ぼすかと思うくらい心配した。
転機は名前と同志らが己の師を救おうとしたことで訪れたが。

ー名前なら大丈夫だろ、乗り越えられる。ずっと見てきた俺の主だからな
ー根拠のない自身も天のご意思ですか
ー知らね。それよか餅月(へいげつ)?
ーここに

爺湖との会話の合間、偵察から戻ったばかりの使令を呼べば返事がある。
身体の所々に硬い鎧を持つ馬のような風体…飛廉(ひれん)と呼ばれる妖魔で、劉麒が下した名を餅月という。

ー以後は徇麟の側にいろ、守れ。連れ帰る前に怪我でもされちゃ元も子もねェからな
ー御意

スッと餅月の気配が消える。
顔を上げて再び前を見やれば、既に目の前には大きな鳥居が立ち並んでいた。



「まぁ、これは…!すぐに奥へ。なまえ、お前は井戸に水を汲みに行きなさい」

鳥居をくぐってすぐに着いた本殿では、どこか神聖な気品を感じさせる尼が数名おり、存在感のある人物がなまえに指示を出した。
奥へと案内し、敷物に寝かせて手当のために戦装束を軽く外した尼が何事か口にする。
戸に寄りかかるように見ていた劉麒は集まる鋭い視線に僅かに肩を竦ませた。

「この方の手当をするので、そなたは外で待たれるがよい」
「何で?別に俺がいても問題ねーだろ」

尼たちの表情がにこやかなまま強張る。

「主人が女性であるとご存知では?」
「見たことあっから問題ねェ」

真顔で答えた次の瞬間には、問答無用で部屋から叩き出された。

昏睡状態が続いた名前の意識が戻ったのは数日後であり、それまで劉麒はなまえと尼僧と会話をして過ごしていた。
この寺の長である尼僧は目に光がない。
しかし明らかに異人な風体である劉麒に臆せず過去も詮索しない。
ただ何かを察しているような微笑みを携える様は何もかもお見通しなようで不思議な感覚を覚えてしまう。
同時に、だから徇麟はココにいるのかと妙に納得した。澄んだ空気と雰囲気がどこか蓬山を思い出す。

「そなた、名は何と仰るのですか?」
「ねェよ、好きに呼んでくれや」
「白い髪をお持ちだとか…では、白(はく)とお呼びしましょう」

劉麒は苦笑する、皆、好き勝手に呼んでくれるが必ず白に因んだ呼び名になる。

「あんた、目が見えねーのに何でも分かる風だ。俺やこいつを怪しいと思わねェの」
「露とも。特に白、そなたはどこかなまえと同じで俗世離れした空気を感じます」

微笑む尼僧の隣でなまえが驚いた。

「異人だからだろ?」

鼻で笑って返す劉麒の指す異人とは、こちらの者ではないという意味だが。
なまえは己の明るい金茶の髪をつまんで落ち込む。すぐに劉麒が鼻をほじりながら続けた。

「違うもんは弾かれる、今の荒れているこちらじゃ尚更だ。だからアンタらは山奥で引きこもってんだな」
「…!尼僧さまの悪口っ言わないで下さ、い!」

怒るなまえに尼僧が軽く制して返す。

「こちらにはこちらの理がある故。そなたと主人は何やらこちらとは別の理由がおありのようです、ゆるりと過ごされなさいませ」

有無を言わせない答えに観念して頷いて返す。出来た人物に皮肉は効かないらしい。

「失礼します、御仁が目を覚まされたようです」

廊下から尼が声をかけてきた。



「…」

どれくらい長い間、意識を失っていたか分からない。
ただ自分が絶望に暮れて全てを投げだそうとした時、鈍く光る銀色を見た。
感覚が鈍くなっている身体を起こすと、開いていた襖からちょうど尼が桶に水を持ってきた。

「おぉ、お気づきになられましたか」
「こちらはお寺で御座いますか。お助け下さったのは…」
「ここは尼寺ですよ、お武家様。尼僧様をお呼びして参ります」

水桶を横に置いて去っていく尼の声と見回した部屋の様子でどこだか想像がついた。
神に救われたと見ても良いかもしれない。

(こんな私でもまだ生きろと言われている気がする)

グッと握りしめた拳で瞳を強くした際、ちょうど数人が部屋へと訪れた。
1人は格好からして尼僧と呼ばれた者、もう2人は。
最後に記憶に見た白銀の男、そして尼僧の後ろに隠れている頭に布を被った少女だった。

「貴女が尼僧様でいらっしゃいますか。この度はお救い下さり誠にありがとうございます。また、神のおわす域を俗世の汚れが立ち入ってしまいお詫び致す」

素早く布団から起き出し、居住いを整えて畳に額をつけて謝を示す。
仏教でなく神道に連なる宗派なのだろう、奥深い山にあるのだから俗世(武士のいざこざ)には良い感情を抱いていないだろうに。
助けてもらった感謝に武士の矜持はいらない、素直に現された様だ。

「いえいえ、どうか頭を上げて下さい。お目覚めになられてよう御座いました」
「遅れながら、長州藩士の苗字家が嫡男、名前と申す」
「長州、遠き彼の地のお生まれでしたか。して嫡男と…」

尼僧の言葉に頭を上げた名前は初めて笑みを見せた。疲れたような困ったような、何か吹っ切れるような曖昧な感情で。

「苗字の正室に生まれた嫡子は私だけで御座いました故。妾は一族郎党みな火事で亡くなりました…不幸な事故だと御方様は嘆いておりましたが」

母と呼ぶのも許されないほど身分も矜持も高かった苗字の正室は嫡男を生んだと豪語して聞かなかった。
気の弱かった当主、焼き討ちにされた妾一族…表には見えない血に塗れた武家。

「もう昔の話です。家も身分も、守りたい者さえ失くしてしまった私は何者でもありませぬ。名前とお呼び下さい」
「分かりました。では名前殿、まだ回復されといないでしょう。今はしっかり養生なさいませ。そなたの連れもご一緒に」

連れ?という尼僧に目を僅かに丸くすれば、後ろで襖に寄り掛かり欠伸をしていた白銀の男がニヤリと笑った。

「ご用があれば、このなまえに申し付け下さい。大抵の事はこの子が知っております」
「、私がですか!?」
「なまえ、そなたにも良い機会です。色々とお話を伺いなさい」

派手に戸惑うなまえを残し、部屋を後にする尼僧を見送って改めて2人に向き直る。

「なまえ、というの?私は名前。改めてよろしく。して…」

微笑みかけた後で名前が言葉をきって男を見つめる。男は飄々とただ返すだけ。

「俺ァお前の臣だ。よろしくな、名前」

訝しげに眉を寄せた名前は何も言わない。
なまえはアワアワと両手で顔を隠し、遅れながら小さく「よろしくです」と呟いた。

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